瀬戸内寂聴さんが亡くなりましたね。99歳での大往生でした。
最近、過去のインタビューなどをよくネットで見かけるのですが、週刊東洋経済に2003年に掲載されたという記事を読んで、ドキッ! としてしまいました。瀬戸内さんが、以下のようなことをおっしゃっていたからです。同年に書いた書籍「釈迦」についてなのですが。
「この本を書くために釈迦のたどった道をすべて歩きました。私は必ずものを書くとき、その場所に立つんです。本で調べただけではダメ。やはりそこに行かないと。土地には、『大地の記憶』というものがあります。大地がそこで起こったことを記憶していて、その大地の記憶が足の裏から伝わってくるんです。そうすると、『あ、書ける』と思います」
これを読んで、腑に落ちたことがありました。私はホノルルのダウンタウンに暮らしていますが、なのに日々、ご近所の歴史的なエリアを歩く時、センチメンタルな気分に陥るのです。特にイオラニ宮殿の周辺ですよね。リリウオカラニ女王が亡くなったワシントンプレイスはもちろん、宮殿をはさんで反対側のカメハメハ大王像のあたりとか。
宮殿の周辺に限られず、ホノルル港やチャイナタウンを歩く時もそうです。
「きっと、過去の歴史をいろいろ読んだので、そういうことを私は自然と思い出しているんだろうな」といつも思っていました。けっこう妄想癖がありますので(笑)、いろいろビビッドに考えてしまうのですよね。
でも。もしかしたらそれは、瀬戸内さんがおっしゃる「大地の記憶」というものなのかもしれません。ダウンタウンはハワイ王国の崩壊の現場だけだっただけなく、とにかく様々なことが起こった土地です。カメハメハ大王も住んでいたことがあるし…。
私はサイキックパワーとかそういうものは皆無なのですが、「大地の記憶」というのは、妙に納得してしまった次第。うまく説明できないのですが…。
瀬戸内寂聴さんのご冥福を、心からお祈りします。
なるほど、これはマナに通ずる考えですね。
マナの漂う土地≠過去の記憶と考えるとわかりやすいですね!
それにしても、桜の木の切り株にタバコを押しつけるなんて、その若い男性はいい最期を迎えませんよ(キャッ!)。
ご先祖さまがパワフルに護ってくれない限り…。
自然を傷つけるって、そういう怖い罪を犯しているんだと思います。
切り株=死ではないですしね。
私はサイキックではないはずなのですが…。ダウンタウンを歩いていると、ずっとではないけれど、フと気がつくとセンチメンタルな気持ちになっているんです。少しブルーな気分というか。
これはワイキキとかでは味わない感覚ですね。
”物にも土地にも記憶がある”
これはハワイアンの言う”マナ”に通じる考え方だと、私は思います。少し前の話になるのですが、我が家の近所の交差点近くに樹齢50年以上はある背の高い桜の木がありました。虫害にあったのか、それとも病気になってしまったのか、ある日突然、根元近くから切られて、すってんてんの切り株になってしまったんです😹。わたしは、毎年その桜を見て、春を感じていたので、悲しいな〜と思いながら信号待ちをしていると、ある若い男性がスマホをいじりながら吸いかけのタバコをジュ〜ッと切り株に押し付けて火を消して、その吸い殻を根元にポイッと捨て、横断歩道を渡って行ってしまったんです。私、なんか、ものすご〜く腹が立ちました💦物を言うことのないものに心を向けて、敬意を払うって、すごく大切だし尊いことですよね。土地にある記憶を感じられるということは、じゅん先生は充分センシティブな方なんだと思います。