今回の日本では久々に、東京の下町をたっぷり楽しんできました。人形町、築地、合羽橋に行ってきましたよ~。横浜だけでなく東京にもゆっくり泊まったので、いつもと違う街々を楽しめた感じです。
合羽橋道具街は私、初めてでした。あの、道路の両側に延々とキッチン用品や食器の専門店が続くさまはすごいですね! 価格も安く、大興奮してしまいました。
そして大興奮したことがもう1つ。合羽橋の由来を刻んだ記念碑を見た時のことです。正確にはかっぱ河太郎像の碑なのですが。なんでもこの一帯は1800年初頭の江戸時代、よく洪水が起きたそうです。水はけの悪い土地だったんですね。
そこである時、商人の合羽屋喜八は、私財を投げうって治水工事を始めたそう。掘割を造りだしたのですが、工事は難航しました。それを見ていた隅田川の河童たち。喜八の男気に感銘し、人知れず夜な夜な工事を手伝い、やっと掘割が完成したのだそうです。…合羽橋は、雨合羽に絡んだ名称とされていますが、やっぱり河童にもちなんだ場所だったんですね。
その説明を読んで私はギクリ! これってハワイの小人族メネフネの伝説によく似ているではありませんか! カウアイ島にメネフネディッチ(水路、掘割)というのがありますが、あれもメネフネが夜、造り上げたという伝説があります。
もっとも、あちらはカウアイ島の首長の依頼を受けてメネフネが完成したものですが。一帯のタロイモ畑に水が流れず、人々が飢餓に苦しんでいた時の話です。
メネフネといえば一般に、夜、こっそり現れて人間の仕事を手伝う親切な妖精とされていますよね。しかも人間が難儀した仕事を、夜の間にきっちり仕上げてくれる…とハワイでは信じられています。
河童は、まあ日本では妖精というより妖怪と解釈されていますが。合羽橋の掘割とメネフネディッチを考えた時、なんだか河童とメネフネがダブって見えてしまいました。河童とメネフネ、妙な関連性がありますネ。
そんなこんなで、合羽橋には河童の像があちこちに。すっかりバケーションモードだったせいか、河童像だけの写真がなく、横に自分や連れの写った写真しか撮っていなかった私。ライター失格ですよね…。