森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

番外編「鎌倉の怖い話」

2012年06月18日 | 不思議譚


今回の日本では、いつもゆっくりと訪れる鎌倉に、20分ぐらいしかいられなかったのが残念でした。行くことは行ったのですが、鶴岡八幡宮にお札を返し、新しいものを買っただけ…。おまけに雨がひどかったので、お御籤を引く余裕もありませんでした。

2年前の帰国では、高校時代の友人Yちゃんと2人で八幡宮の界隈を散策して、とても楽しかったのですが。その際、思いがけず鳥肌の立つ経験をした私達。ハワイの不思議話ではないですが、今日は、2年前の鎌倉での出来事を皆さんにシェアしたいと思います。

2年前のその朝、八幡宮を後にした私達は、近くに源頼朝の墓があることを知って、行ってみることにしました。徒歩で15分くらいだったかしら? 頼朝の墓があるという、小さな白旗神社のある小高い丘の前に到着しました。ですが。石段の上にはためく白旗と丘を見たとたん、なぜか私はゾ~ッとしたのです。

「なんかコワイ」。つい呟いた私を、Yちゃんが戸惑いの様子で見つめました。それでも、「なんだか今、一瞬ゾッとしちゃった。でも行こう!」と私。

…その時、別に深い理由があってコワイと言ったわけではないのですが、そういう私を、Yちゃんが引きとめます。「ジュン、ジュンがそういう風に感じるなら、行くのやめよう」。「大丈夫よ、Yちゃん。私、霊感なんてゼロなんだから。ただそういう話が好きなだけで…」「ううん、やっぱりやめよう。私も行きたくない」。そういうYちゃんの顔が、心なしか青ざめています。

そんなやりとりをしているうちに、何だか私もさらに怖くなってきました。気がつくと鳥肌まで立っています。そこで結局、再び鶴岡八幡宮に戻ることに。そう決めて白旗神社のある丘を見上げると、丘全体がコワイ雰囲気で。…丘の下には小さな公園があり、幼稚園帰りの児童がたくさん遊んでいました。「こんなとこに公園なんてあっちゃイケナイ」。なぜかそんなことを感じた私です。

その後私は、頼朝って変な死に方をしたのかしら? と思い調べてみましたが、別にそういうこともなく。馬から落ちて死んだとのことで、ひどく恨みを残すような死でもなかったようです。なのでこの一件についてはわけがわからなかったのですが、その後、ある鎌倉の歴史&史跡の本を読んでいて愕然!

くだんの(なぜか怖かった)白旗神社は、頼朝法華堂の跡地に立っているのですが…(そのため、そこに頼朝の墓があります)。頼朝法華堂というのは、北条氏と対立し、追い詰められていた鎌倉の豪族、三浦氏一族が立て篭もり、1247年に一族郎党、自決した場所なのでした。

なんでも三浦一族、生き残った全兵力がその法華堂に集結し、その数は御家人だけでも260人余り。郎党を含めれば1000人近くがそこにいた、と言われており(新人物文庫「もっと行きたい鎌倉・歴史散歩」より)。その全員が法華堂で、自刃して果てたのだそうです。しかも当主の弟、三浦光村は、自分の首を上げられないよう身元を隠すため、自ら鼻をそいで死んだという…。世にいう宝治合戦の顛末です。

三浦といえば、神奈川県では三浦市、三浦海岸、三浦半島と、あちこちにその名が残っています。もちろん、私も三浦という地名は知っていましたが、豪族の名の名残だったんですね(無知な私)。頼朝法華堂は、その三浦一族の滅亡の地だったわけです。法華堂はもう、残ってはいませんが…。

そんなこととは露知らず、でもなぜかその地を見てゾ~ッとした私達。案外、霊感ゼロというわけでもないのかも? …と言いつつ、もしもYちゃんに止められていなかったら、私はきっとあの石段を、登って行ったことでしょう。

古都、鎌倉には、こういった話がいっぱいありますよね。京都・奈良もしかり。ああ、もしも私がハワイに引っ越していなかったら。そしてどこかの出版社に勤めていたら。古都の不思議話シリーズとして、「鎌倉の不思議なお話」「京都の不思議なお話」なんて作っていたカモしれません。どなたか日本で、拙著「ハワイの不思議なお話」の日本版を作ってみませんか? 歴史・文化もしっかり含めて…。

日本での休暇直後なので、ついこんなことばかり考えちゃいました。
(写真は2年前に訪れた長谷寺です)


 
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする