森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

ハワイ史にみる「写真の功罪」

2022年08月23日 | 歴史


この週末、ハワイでは3連休でした。金曜日はアドミッションデー(またはステートフッドデー)という、州の祭日だったのですね。

アドミッションデーとは、ハワイがアメリカ50番目の州となった日を記念して設けられた祝日です。ハワイ王国が1893年に倒れ、ハワイは共和国時代を経てアメリカの準州に(1898年)。それが1959年に州になりました。

でも私はこの日を祭日とか祝日と呼ぶことに、大変な抵抗を感じます…。なぜって、別にハワイアンが懇願してアメリカの一部になったわけでなく、アメリカによって領土を奪われ、最終的にその国の一部になったのがこの日、と私は解釈しているからです。「ハワイが準州から州に昇格した」という表現も、私的には大NG。

…ご存知のようにハワイ王国最後女王、リリウオカラニは、白人勢力のクーデターによって退位しました。それは流血の事態を避けるための苦肉の策で。この時リリウオカラニは、事態の判断をアメリカに委ねるといって一時、退位したのですが、その後あれよあれよという間にハワイは準州としてアメリカに併合され、1959年には州になってしまったわけです(その間の経過は思いきりはしょっています)。

実際、1898年のアメリカ併合に対しては反対運動が起き、2万1000人のハワイアンが「併合反対!」の嘆願書に署名しました。その年の国勢調査によるとハワイアン人口が3万9000人でしたから、軽く半分以上のハワイアンが署名したことになります。嘆願書はクエ・ペティションと呼ばれる有名なもので、今では貴重な史料に。2万1000人分の手書きの署名は1冊の本にまとめられ、出版されています。本ではないけれど、その署名のコピーを、私も司法歴史センターというところで見たことがありますよ。

アドミッションという英語は入会とか入会許可、承認などの意味があり、まるっきり上から目線といいますか。アメリカ本土の人々をはじめ一般の人々が、まるでハワイがアメリカ50番目の州になりたくてしょうがなかったかのような印象を覚えるのは…冒頭の新聞少年の写真の影響も大きかった気がします。

「Statehood!(州に!)」と大書された新聞を持つ少年の写真は、とても有名な写真ですよね。皆さんも、見たことがあるかもしれません。でもこの少年は、別にハワイが州になるのが嬉しくて二カッと笑ったのではなく、いつもそうして新聞を売っていたのではないでしょうか? それを後年、政治利用したのがこの写真だと思うのです。このコラージュ内の写真全部が、かなり政治的なものに感じています... 。

ああ、今日はいつになく大辛口になってしまって失礼! でもでも、アドミッションデー、そしてアメリカ独立記念日が巡ってくるたびにこのことが書きたくて、ウズウズしていた私。辛口の独り言、読んでくださって有難うございました~。


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王家の霊廟で、久々に「ゾ~!」

2022年03月10日 | 歴史


もう2週間前になりますが、久々に、ヌウアヌの丘の王家の霊廟に行ってきました! ハワイ王朝の50人以上の王族が眠るこちらの霊廟については、あちこちに書いております。

たとえば、ハワイ州観光局のアロハプログラムでも書いていますので、ご覧くださいね。

この王家の霊廟、大変な聖地でありスピリチュアルな場所ですから、まあいろいろな出来事があるようですが…。今回も、なぜかカメラがおかしくなりました。画面におかしな柄のようなものが入ってしまったり(レンズが汚れているの? と思ったら、その後消えました)、なぜか動画モードになってしまったり。カメラに続き、携帯電話での撮影でも動画モードになったりして、なんだかおかしな感じでしたよ。

「え? カメラがおかしい!」と騒いでいた私に、「ここではそんなことがよくありますよ。想像以上に」とおっしゃったのは、霊廟の管理者のカイさん。実は私にとっても、カメラがおかしくなるのは2度目でした。

このカイさんも王族の末裔の一人であり、世が世なら…という方。その日はカイさんに、ちょっと衝撃的なことを聞きました。ふだんは施錠されているチャペル(上の写真)を見せていただいた時のことです。カイさんが、「1976年にチャペル周辺の溝の工事をした時、19体の古い遺体が出土した」というのです!

何でもその19人は人身御供のようなものではなく、やはり王族。王族だけがつけられる羽毛のケープなどが一緒だったので、そうわかったそうです。ただしやや位の下の王族なので、昔のハワイの埋葬の慣習にのっとって、位の高い王族の墓の回りに葬られたのだろう、との推測でした。

(あ、言い忘れましたが、このチャペルの建物こそが、最初は霊廟として建てられた建物です。ですがそのスペースがいっぱいになったため、チャペルの外に別途、カメハメハ王朝の霊廟、カラカウア王朝の霊廟などが造られたという経緯です)

チャペルの周囲から遺体が出たという話が初耳だった私は驚愕し、「ではその19体は、今どこにあるのですか?」と聞くと…。「また元に戻されてそのまま眠っていますよ」とカイさん。え? このチャペルの回りの土の中に?

「そう…。その角のあたりに4体、そちらに3体…」と、カイさんは詳しく教えてくれました。

…このチャペルに入ったのは、今まで何度くらいあったでしょうか。5,6回? でも! チャペルの回りにグルリと遺体が埋葬されているという話は知らなかった~! 正直、衝撃を受け…ちょっと怖くなってしまいました。

王家の霊廟は、本当に奥が深いと言いますか。訪れるたびに驚きの発見があり、何度も訪れてしまう自分がいます。皆さんもぜひ!




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ポリネシアのタトゥー展@ビショップ博物館

2022年03月05日 | 歴史


ちょっと時間が空いてしまいましたが、カルチャーな毎日を過ごしていた2週間前の週末、ビショップ博物館にも出かけてきました!!

ちょうど会員権が切れていたのでその更新と、もう一つ、気になる展示があったからです。「タタウーポリネシアの印」がそれ。タタウはタトゥーの語源になったサモア語ですね。タヒチでもタトゥー。ハワイではTがKになり、カカウと呼ばれます。

その言葉が18世紀、イギリスのクック船長の太平洋航海の際に西洋に持ち帰られ、タトゥーという英語が生まれました。タトゥ―の伝統については、例によってアロハプログラムでも紹介していますので、ご覧くださいね。

さて、ビショップ博物館の展示では、サモアの伝統に焦点を当て、タトゥの美を写真で紹介。私は数々のタトゥー写真はもちろん、その企画に関わったサモアのタトゥー師、スアさんのお言葉を読んでジーンとしてしまいました。



「私がタトゥーについて話す時はいつでも、ただタトゥー師であることやタトゥーがどうの、などと話すのではありません。家族や人生について話します。タトゥーはライフスタイルであり、文化。私はタトゥーに命だって捧げます」

「タトゥーのおかげで、自分たちが完全に植民地化されたわけじゃないことを思い起こすことできます。西洋人がやって来て教えを解き、西洋の生活様式とともに植民地化していったけど、タトゥーは私たち民族を過去の責任や歴史、遺産、文化に結び付けてくれるのです。…」

なかなか深い言葉ですよね~。もしかしたら、サモアはポリネシアのなかでも「彫り」の中心地なのかもしれません。

このタトゥー展は、7月4日まで開催中。チャンスがあったら、ぜひ! ご覧くださいネ。

(あ、告知していませんでしたが、アロハストリートにて新コラムが公開されています。こちらもご覧くださいね)
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お正月のマグロ@ハワイ

2022年01月05日 | 歴史


前回のなんちゃって御節にも入っていましたが、ハワイには、年末年始にマグロを食べる習慣があります。横浜や、両親の故郷である広島では食べなかったので、何でだろう? と思っていた私。日本のどこか地方の習慣が、ハワイに持ち込まれたのかなあ、と思っていました。

そんな記事を書くにあたり、11月でしたか、ホノルルのタマシロマーケットの社長さんにお話を聞く機会がありました。創業1941年のタマシロマーケットといえば、ホノルルを代表する大型鮮魚店。年末にはマグロを求める人々でごった返す様子が、よくTVニュースに登場したりします。

で、タマシロ社長さんによると、正月のマグロは、ハワイの日系1世から始まった習慣なのだそうです。砂糖きび畑で働くため、日本からハワイに移ってきた人々が昔、「正月ぐらいは年に一度のご馳走が食べたい」と思い、そのご馳走がマグロの刺身だったのですって。

そうやって日系移民が年越しや正月用に奮発したマグロの刺身が、そのうち新年の縁起物とみなされ、他の人種にも広がったものだそうです。なるほど…。

…日本からハワイへの移民は、政府公認の官約移民としては1885年、政府の関わらない私的な移民としては1868年に始まっています。そんな昔のハワイでの生活は、移民たちにとって楽なものではなかったでしょうね。というか、赤貧生活を強いられたのではないでしょうか。

それが、「年に一度ぐらいはご馳走を」と、年末年始にマグロを食べるようになったという…。なんだか胸にジーンとくる話ですよね。正月のマグロ@ハワイ、特別ですね!

ちなみに、我が家では毎年、チャイナタウンの馴染みの鮮魚店でマグロを買っていたのですが、同店はパンダミック中に閉店してしまいました…。どうしよう、と思っていたところ、昨年は主人の友人が届けてくださって、感涙。家族で美味しくいただきました。MAHALO&ご馳走さまでした!

(冒頭の写真は、タマシロマーケットのトレードマークの蟹さんです)
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アロハストリートのコラム「ハワイ州の紋章」

2021年12月30日 | 歴史


隔月連載しているアロハストリートのコラムが、今日、UPされました~。こちらからご覧ください!

今回は、ハワイ州の紋章について書いています。そちらにも使った上の写真なのですが…。これ、どこで撮った写真だと思いますか?

ココだけの話…ハワイ州政庁の、工事現場なんです。長らく庁舎が改装工事に入っていまして。でも、目隠しのためこんな素敵な紋章をつけた板がグルリと貼られていたので、パチパチと撮っておきました。

コラム、ぜひご覧くださいね~。
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