ザ・ブルーハーツの名曲『イメージ』(♪~イメージが大切さ、中身はなくてもイメージがあればいいよ~)を聴くと思うんだけど、日本は、ほんとイメージばかりがもてはやされるよね。
アメリカでもそれはあるんだろうけどね。
実は、先日観た『ナショナル・トレジャー2 リンカーン暗殺者の日記』で、主人公のベン・ゲイツの祖先がリンカーン暗殺の一味になるときのやり取りから、思ったのよ。
ベンは、物証はあるけど、まだ証拠としてはあやふやだから、報道を止めようとするのね。もちろん、止まらないんだけど。
仲間は、後で証明すれば、家名に傷はつかないし、100年もすれば、忘れられていると言う。
でも、ベンは反論するのよ。
“名前にMUD(泥)をつける”という名前を汚すって意味の慣用句が英語にある。(日本語でも同じのあるね)
これが実は、リンカーン暗殺の関係者だった博士マッドさんの名前から由来しているらしい。(冤罪だったけど、この不名誉な慣用句は残ったわけ)
imageの語源は、ラテン語のimagoで、像や似姿のこと。
イメージは、意味的には、映像のこともいうけど、印象や心象、おもかげってとこですかね。
どうも今の日本では、イメージが大切で、最初にイメージがついちゃうと、それとは違う、本質や事実、それの科学的検証は、あんま扱われないし、受け入れられにくいようだ。
血液型とか、まさに。
血液型の人格分析は、現在は、似非科学認定されてんだけどね。
最近じゃ、血液型ハラスメントなんて言葉もあるぐらいだし、テレビでは、血液型を決まりごとのように扱うのは、規制されたし。
血液型占いになっているのは、占いなら、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」で許されるからね。
そう、科学的な正しさより、イメージが蹂躙していく。
マイナスイオンも、その効能は証明されてないんだけどね。
でもさ、プラシボ効果とかで、信じちゃうと思い込みで体内が影響されちゃったりするからなぁ。
難しいっちゃ難しいけど、結局は、鰯の頭も信心からとも言えるわけで。
イメージ左右されて、経験主義の重視やテレビ放送を鵜呑みにし過ぎてるとも思う。
下手すりゃ、テレビで見たことないものは、疑うぐらいの勢いだ。
縁起を担ぐのは、悪いことばかりじゃないけど、体にいい食い物とか、マイナスイオンとか、簡単に信じ過ぎなんじゃないかな。
いい点だけ点を見れば、大麻にだって、いいところはある。
去年、アフリカのある国では、大麻を給食に入れようと検討されたこともある。
同様に、悪い食い物とかでも、信じ込むよね。
あと、いい話、心地よい話なら、心を許しやすいってのもあるね。
これこそ、まさにイメージがいいものだ。
そんで、いい話が持つイメージの悪い部分は切除してしまう。
下手すりゃ、悪いことさえ、イメージだけ良くしちゃたりしてね。
人間も人生も、世界も、闇と光の両面で出来ているのに。
この闇を許容する強さを持つってのが道徳の授業で習ったはずなのに、教える学校で不祥事の嵐だしねぇ。
だまされる人をお人よしという美徳みたいに扱うのも嫌いじゃないんだが。
それにしてもさ、外見だけで人を見るやつを目があるとは言わんでしょ。
イメージの下にあるものを見抜く目を鍛えておいて、損はしないと思うんだけどね。
ね、世の女性の皆さん、親御さん?
そんでね、おいらは、それを鍛えるのに、物語ってのは、一つの訓練になると思うわけですよ。
物語を読むメリットには、そういうところにもあるんじゃないかしら。
映像は、そのままイメージだから、そのどこに真実が潜んでいるか、見抜くように見たりすることでね。
みんなもアリエネェーとか、ウソ臭いだとか、見ながら言ってるでしょ。
あれですよ、あれもまた物語り鑑賞には必要なんです。
心の訓練に物語を。
あ、もちろん、ウソに心を任せるのも、まぁ必要なことなんだけどさ。
最後に、
吉田拓郎の『イメージの詩』の歌詞の一部を。
♪~これこそはと信じられるものが
この世にあるだろうか
信じるものがあったとしても
信じないそぶり
悲しい涙を流している人は
きれいなものでしょうネ
涙をこらえて笑っている人は
きれいなものでしょうネ
アメリカでもそれはあるんだろうけどね。
実は、先日観た『ナショナル・トレジャー2 リンカーン暗殺者の日記』で、主人公のベン・ゲイツの祖先がリンカーン暗殺の一味になるときのやり取りから、思ったのよ。
ベンは、物証はあるけど、まだ証拠としてはあやふやだから、報道を止めようとするのね。もちろん、止まらないんだけど。
仲間は、後で証明すれば、家名に傷はつかないし、100年もすれば、忘れられていると言う。
でも、ベンは反論するのよ。
“名前にMUD(泥)をつける”という名前を汚すって意味の慣用句が英語にある。(日本語でも同じのあるね)
これが実は、リンカーン暗殺の関係者だった博士マッドさんの名前から由来しているらしい。(冤罪だったけど、この不名誉な慣用句は残ったわけ)
imageの語源は、ラテン語のimagoで、像や似姿のこと。
イメージは、意味的には、映像のこともいうけど、印象や心象、おもかげってとこですかね。
どうも今の日本では、イメージが大切で、最初にイメージがついちゃうと、それとは違う、本質や事実、それの科学的検証は、あんま扱われないし、受け入れられにくいようだ。
血液型とか、まさに。
血液型の人格分析は、現在は、似非科学認定されてんだけどね。
最近じゃ、血液型ハラスメントなんて言葉もあるぐらいだし、テレビでは、血液型を決まりごとのように扱うのは、規制されたし。
血液型占いになっているのは、占いなら、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」で許されるからね。
そう、科学的な正しさより、イメージが蹂躙していく。
マイナスイオンも、その効能は証明されてないんだけどね。
でもさ、プラシボ効果とかで、信じちゃうと思い込みで体内が影響されちゃったりするからなぁ。
難しいっちゃ難しいけど、結局は、鰯の頭も信心からとも言えるわけで。
イメージ左右されて、経験主義の重視やテレビ放送を鵜呑みにし過ぎてるとも思う。
下手すりゃ、テレビで見たことないものは、疑うぐらいの勢いだ。
縁起を担ぐのは、悪いことばかりじゃないけど、体にいい食い物とか、マイナスイオンとか、簡単に信じ過ぎなんじゃないかな。
いい点だけ点を見れば、大麻にだって、いいところはある。
去年、アフリカのある国では、大麻を給食に入れようと検討されたこともある。
同様に、悪い食い物とかでも、信じ込むよね。
あと、いい話、心地よい話なら、心を許しやすいってのもあるね。
これこそ、まさにイメージがいいものだ。
そんで、いい話が持つイメージの悪い部分は切除してしまう。
下手すりゃ、悪いことさえ、イメージだけ良くしちゃたりしてね。
人間も人生も、世界も、闇と光の両面で出来ているのに。
この闇を許容する強さを持つってのが道徳の授業で習ったはずなのに、教える学校で不祥事の嵐だしねぇ。
だまされる人をお人よしという美徳みたいに扱うのも嫌いじゃないんだが。
それにしてもさ、外見だけで人を見るやつを目があるとは言わんでしょ。
イメージの下にあるものを見抜く目を鍛えておいて、損はしないと思うんだけどね。
ね、世の女性の皆さん、親御さん?
そんでね、おいらは、それを鍛えるのに、物語ってのは、一つの訓練になると思うわけですよ。
物語を読むメリットには、そういうところにもあるんじゃないかしら。
映像は、そのままイメージだから、そのどこに真実が潜んでいるか、見抜くように見たりすることでね。
みんなもアリエネェーとか、ウソ臭いだとか、見ながら言ってるでしょ。
あれですよ、あれもまた物語り鑑賞には必要なんです。
心の訓練に物語を。
あ、もちろん、ウソに心を任せるのも、まぁ必要なことなんだけどさ。
最後に、
吉田拓郎の『イメージの詩』の歌詞の一部を。
♪~これこそはと信じられるものが
この世にあるだろうか
信じるものがあったとしても
信じないそぶり
悲しい涙を流している人は
きれいなものでしょうネ
涙をこらえて笑っている人は
きれいなものでしょうネ