菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

鉱山映画。 『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』 (追記アリ)

2023年05月06日 00時02分56秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第2235回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

 


『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』

 

 

 

配管工マリオが異世界で囚われた弟ルイージを救うために姫と冒険に出るアクション・アドベンチャー・コメディ・アニメ。

任天堂の世界的人気ゲーム“スーパーマリオ”を、任天堂と『ミニオンズ』『SING/シング』のイルミネーションが共同制作でアニメ映画化。

 

声の出演は、クリス・プラット、アニャ・テイラー=ジョイ、チャーリー・デイ、ジャック・ブラック。

監督は、『ティーン・タイタンズGO! トゥ・ザ・ムービー』のアーロン・ホーヴァス&マイケル・ジェレニック。

 

 

物語。

現代アメリカのニューヨークのブルックリン。
マリオとルイージの兄弟は、独立して水道工事会社を立ち上げたが、なかなかうまく行かない。
ある日、マリオ兄弟は冠水事故の手助けしようと現場に行くと、不思議な土管に吸い込まれてしまう。
そこで、マリオとルイージは異世界の別々の場所にたどり着く。
マリオは、ピーチ姫が君臨するキノコ王国に。
ルイージは、危険地帯のダークワランドに。
しかも、ルイージは、強大な武器を手に入れ、キノコ王国に侵略しようとする凶悪なクッパ大王に囚われてしまう。

脚本:マシュー・フォーゲル
日本版脚本監修:上田誠

 

 

 

声の出演。(キャスト)

マリオ  (クリス・プラット/チャールズ・マティネー)

ピーチ姫  (アニャ・テイラー=ジョイ)
ルイージ  (チャーリー・デイ)
キノピオ  (キーガン=マイケル・キー)
ドンキーコング  (セス・ローゲン)

クッパ大王/バウザー (ジャック・ブラック)
カメック  (ケヴィン・マイケル・リチャードソン)

クランキーコング  (フレッド・アーミセン)
スパイク  (セバスティアン・マニスカルコ)
マリオとルイージの父/ジュゼッペ  (チャールズ・マルティネット)
マリオとルイージの母 (ジェシカ・ディチッコ)
ジュリエット・ジェレニック (ルマリー)

 

声の出演(日本語吹替版)

マリオ  (宮野真守/チャールズ・マティネー)
ピーチ姫  (志田有彩)
ルイージ  (畠中祐)
クッパ大王 (三宅健太)
キノピオ  (関智一)
ルマリー (三浦あかり)

 

 

スタッフ。

製作:クリス・メレダンドリ、宮本茂
監督補:ピレリ・レデュック、ファビアン・ポラック
音楽:ブライアン・タイラー

 

 

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を鑑賞。
現代NY、配管工マリオが異世界で弟ルイージを救うため姫と旅に出るアクション・アドベンチャー・コメディ・アニメ。
任天堂の世界的人気ゲーム“スーパーマリオ”を、任天堂と『ミニオンズ』『SING/シング』のイルミネーションが共同制作でアニメ映画化。
英語版はかなりの豪華キャストだが、日本語版で鑑賞した。映画館では映画だけでなくそれを見ている観客の熱も込みで楽しむという作品(業界の試写に行くと面白度が下がるとはままある)があるわけで、今はファンと子供の熱を受けて見たかったので。
実際、児童向けで、キャラ頼り、クセありの笑い、なので、童心に帰ってみることで楽しみが増えるタイプの映画。大人思考で見ると少々入り込みにくい。
監督は、『ティーン・タイタンズGO! トゥ・ザ・ムービー』のアーロン・ホーヴァス&マイケル・ジェレニック。
12歳以下の子供と月一の楽しみとして見に行く映画として申し分のないファミリームービーであり、面白いというよりは楽しい映画。
いわば、最高峰のゲームプレイ動画とも言える。
いろんな要素で映画はつくれるが、ゲーム的映画、MV的映画は、どうにも評価が低くなるが、そういうのも多様性の一つだ。物語だけが映画の良さではない。映像詩も、記録映画もありで、最近だと火災への対応を見せていく『ノートルダム 炎の大聖堂』も物語ではない面白さがある。
脚本は、シーンとキャラのいいところ繋げで、有機的ではなく、薄めだが、ファンの思いをくすぐる。
記憶を刺激し、あなたの思いの発掘具合でも面白さがかなり変わる。あえて薄くしたであろうドラマ(宮本茂もそう発言している)は、あなたのキャラへの思い入れを邪魔しない。
原作の良さを引き出すためには、元々の設定が少し邪魔をするので、片方を切り捨てたのだろうな。アイテムや配管工の設定が活かされはせず、突然出てくるので、その世界の現実ではあり得ることだが、原作がゲームであるということに準拠してもいるので、一つの物語しての結びつきは弱い。
主人公のマリオは、おのおのプレイヤーの反映でもあり、諦めが悪く、何度でも挑戦するポジティブさがある。この諦めが悪い設定は主人公の代表的な定番設定ではある。(同時期公開の『聖闘士星矢 The Beginning』の星矢も同じだが彼は反抗的でもあるので、少々座りが悪い。原作の星矢のキャラを反映しておらず、原作って何って感じになる。この原作の世界観だけをもってくることは、だいたい原作付き映画での失敗の目安。これに世界感も変えれば、ほぼ失敗する。最近だと『バズライトイヤー』が原作の世界観からもキャラも離れたことで『トイストーリー』という原作の良さを消してしまっていた。別物としては悪くない出来)
マリオという稀代のキャラクターに育ったゲームキャラを人間にした映画であり、いわば、『シン・マリオ』といえる。
失敗作として覚えられている実写版『魔界帝国の女神』への目配せさえ忘れていない(仕事用バンのデザインなど。うまく動かないという皮肉も込みで)
こういう小ネタ(イースターエッグ)や、あなたが知ってると意部分思いを刺激し、どれだけの鉱脈があるか、あなたの鉱物を掘り出せるか、これぞ思いの鉱山映画だ。それがこの映画が狙ったことで、最近そういうのが増えている。これは現代映画の一つの形であると言える。この方法において、もっとも大きな成功を収めた映画と言える。『トップガン マーヴェリック』も同系統で、同窓会映スタイル(過去シリーズの登場人物を最集合させる手法)もその一つ。これは体験映画ともなり得る。ピンポイントに懐古や記憶を刺激されるのは体験なのだ。特にポップカルチャーなど文化的記憶は群れとしての共同意識、共同体への思いを強く刺激し、孤独感を消す。(民族意識も抱かせるだろう。今作のヒットは日本の誇りという言葉を吐かせている。大ヒットした『ソニック』の時にはあまり出てこなかった言葉だ)
質は低いかもしれない。だが、駄菓子やジャンクなお菓子に本物の味(例えば苺味)を求めるだろうか? あなたが食べている苺チョコはどれくらい苺が入っているだろう? 苺も食べるし、イチゴ味も食べるのではないか?
もちろん、見る前も見た後の敷居が低いままの映画ではある。(これは宮崎駿の言葉。見た後に敷居が高くなる映画=見た後に観客が成長する映画という感じ)
劇場で聞こえた、映画が終わった後の子どもの言っていた「もう一回見たい」はやはり強い。もちろん、ただ映像快感を与えるだけの映画は毒でもある。中毒の危うさは大人が守るものだろう。
それはゲームでもショート動画で同じだ。
だが、この映画には、動きがある。動きを見ることは脳への良い刺激であり、ゲームが脳の運動によいこともまた事実なのだ。
今作は、無声映画時代のアクションコメディに近いものがある。チャップリンやキートンの短編の味わいだ。(ちなみに質が低く見える要素には、引用のベタさもあると思われる)
アクションゲームの面白さを映画に入れることに成功した一つの成果と言っていい。
音楽のブライアン・タイラーのアレンジぶりは称賛に価する。
40年続いてきたキャラだ、それは絞って上質にしてきたものを出し続けてきたからこその継承が見える。
共通言語を持てることは、子どもとのコミュニケーションにとても大事なもの。世代を繋ぐことの価値をこの映画はもたらしている。たとえば、親が子に偏食に対して、「マリオも苦手なキノコを食べて大きくなったでしょ」と使うはず。あれは『ポパイ』のほうれん草と同じ意味を持つ。
全体メッセージではなく、部分メッセージにこそ児童向け映画は強みがあるものだ。
今作では4つの国の状況が描かれる。ダークランドは独裁で侵略国(爬虫類)、ペンギンの国は武力が弱く侵略された国(鳥類)、キノコ王国は戦えないで狙われている平和な国(植物)、ジャングル王国は血気盛んな武力と開発の国(類人猿)であり、楽しみを知っていて、ほんのりと日本っぽさもある。そして、アメリカは人間の国で偏見や災害がある。これは、子どもと現実の世界の話をするのに役立つだろう。
「良い」「悪い」と話し合わせる力は映画の価値だから。
それに、ある程度の出来であるということは、ある意味では、幼さやいたらなさを置いていかないという点で、万人向けなのだ。ゲームでいったらEASYモードがあるみたいなものだ。
愛は存在していない、存在していることが愛なのだ。
水漏れを直し水を流させ、繋げる管作。

 

 

 

おまけ。

原題は、『THE SUPER MARIO BROS. MOVIE』。
『超マリオ兄弟:劇場版』。

マリオ・マリオ(ルイージ・マリオ)なので、マリオブラザーズなのだというのは、実写映画版だけの設定。
あくまで「マリオ」が正式名称で、今作で、なぜマリオブラザーズと呼ばれているのかの設定が加わった。

 

2023年の作品。


製作国:アメリカ / 日本
上映時間:94分
映倫:G

配給:東宝東和  

 

本編前に流れる。マリオのCMから映画が始まっているとも言える。
予告編との連動があんなにうまく行ってるのはなかなかないよね。
本編後の続編とかの予告編でってのはけっこうあるけど。
どうやら今作を劇場公開する場合、このCMはセットについているそう。

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』劇場用CM
https://youtu.be/5uHNQxVamoM

 

水道工事の『スーパーマリオブラザーズ/プラビング』のHP
https://www.smbplumbing.jp/
(あのCMの英語版も見れて、あのワンちゃん事件のその後も分かります)

 

 

過去にマリオブラザーズは、映画化、2Dアニメ化は何度かされている。
『スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦』(1986)
『スーパーマリオブラザーズ 魔界帝国の女神』(1993)
『アマダアニメシリーズ』
『スーパーマリオの消防隊』
『マリオとヨッシーの冒険ランド』
『スーパーマリオブラザーズ3』

ちなみに、どれもマリオのもルイージもゲームのイメージとは違う性格になっていることが多い。
いうなれば、物語の型にはめさせられている。

 

 

評論家と一般客との評価の落差が話題になっている。
その中で、ディズニーの昨今の傾向であるポリコレ重視による改変が対比して語られているものがあるし、日本への当てつけという言葉さえあるが、大ヒットした『ソニック』の時には出ていないことも考慮すべきだろう。(同じ日本産コンテンツ『ソニック』はポリコレも重視しているし、最初はデザインが批判されたが、直してからは好評、評論は今作とそこまで変わらない。同じく大ヒットしている)

 

 

 

Universal Pictures Japan

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The Super Mario Bros. Movie [DVD] [2023] – Warner Bros. Shop - UK

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ややネタバレ。

凄まじい数のイースターエッグがあるが、特に音楽はかなり細かい。

 

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』の続編があるなら、『ドクター・マリオ』や審判のマリオを出すのに挑戦して欲しいな。

 

マリオの設定をけっこう丁寧に拾っているのが笑える。
マリオブラザース、配管工、手袋……。


 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

ベタなヒット曲遣いは、大人と子どもの間をつなぐツールになる。

ルイージはラストバトルで、マンホールで炎の前に立てるのは、唐突という意見があるが、あれはその前のマグマに浸けられそうになった時に、勇気を出して、檻を昇った時にすでに発揮されている。それを促すのは、諦観(ペシミスト)のルマリーの吐く言葉への反発でもある。
あの言葉はルイージの心の底を示してもいる。彼は仕事や家で、マリオに自己評価の低さを示していることと重なる。
あれは良くないと最悪の状況下で悟り、兄のピンチに勇気を出せるようになる流れがある。
ルマリーの「死こそ幸せ」と言うような諦めの狂気はマリオのあきらめないという勇気と対になっている。

マリオのポジティブさは、よりポジティブに見える自惚れの強いドンキーコングとの関係で対比される。

引用がベタ過ぎるのが、オリジナリティを感じさせにくく、既視感を抱かせる。
これは、人によっては逃げであり、人によっては安心感となる。
マリオカートで『マッドマックス4』は『シュガーラッシュ』とも似ており、ロケットでマリオとドンキーが車のロケットで助かるのは、『トイストーリー』だったり、味付けの弱い引用が多い。
だが、それこそゲームがやってきた歴史だったりもする。

一般客だって、人によっては、またかよと思う人もいるだろうが、児童向けなら、未見だろうし、元ネタ話をしやすいとも言える。
『マッドマックス4』は元々は『マッドマックス2』だし。
ほかにも、『スターウォーズ』、『不思議の国のアリス』、『ラビリンス』……。
最後のヨッシーは『エイリアン』だし。
最近の『ストレンジワールド』も同様の方向性で似ていたりします。

ただ有名キャラが定番のコスプレヤプレイをやるのは、実は価値あるものになる効果もある。

 

 

マリオの配管工の能力が全く活かされないが、これはゲームでも同様なので、映画の脚本としては評価が下がるが、原作がそうなのでファン評価を下げない。
例えば、スターが入ったハテナボックスが壊れた水道管により宙高く浮いている状態になり、カメックが魔法で飛んで取りに行こうとする。その水道管をマリオが修理しはじめる(犬の風呂場での状態を同じ状況)。クッパが背を向けたマリオに炎を吐く。ルイージがマンホールで炎を防ぐ。その間にマリオが修理すると、ハテナボックスが落ちてくる。耐えきれなくなったルイージが飛ばされてボックスとぶつかり、スターが出てきて、マリオに当たり、ルイージもぶつかる。炎がやむと無敵になった兄弟が立っている。

クランキーとドンキーの仲を少し悪くしておいて仲直りしたり、クッパの侵攻に対して、マリオが「壊れた管を直すのが配管工の仕事だから」というようなジョークを言うとか。

スパイクの会社が冠水の工事での援助に成功していてもよかったかも。

 

物語には、「他者がいてこその自分」への気づきが隠れている。
つまり、「君がいて僕がいる」、チャリー浜の言葉的関係。

マリオは独立したのも弟のためだと言うが、自分のためでもあり、この時点のマリオは、自分がいてこその弟だと思っている。(家族にも弟を巻き込んで、関係を非難される)
二人で冠水事故での手柄を立てようとし、弟と離れた時に、自分は弟がいてこそだったと気づき始める。新しいパートナー、キノピオのおかげで、ピーチ姫にまでたどり着くこと、ピーチ姫に鍛えられていくことで。

これは、キノピオたちとピーチ姫の関係にも潜ませてある。

クッパの目的はピーチ姫であり、二人に鳴ろうとするが、そのためには強さがいる、自分が重要としている。
ピーチへの歌でも、僕は君を思っているよ、自分を歌う。
つまり、クッパは自分あっての国だと逆転した思考をしている。
だから、自分のためには生贄や犠牲も当然のこと。

キノコ王国とジャングル国と同盟を結ぶのも、まさに「君がいて僕がいる」状態。

君がいてこその僕だと気づいたマリオはルイージと二人でスターに触れ、無敵状態になる。
だが、あのシーンではそれはあまり機能していない。

最後は、キノコ王国とブルックリンが繋がるが、この関係はテーマとはあまり沿ってはいない。

テーマはあるのに、そのどれもがあまり見えてこないことに演出と脚本の問題があり、こういったことが如実にわかるので、必然、物語部分の技術評価は低くなってしまうよね。

ただ、最初にペンギンの国を出すことで、ファイヤーフラワーには、祖の反転もあるかもと世界観的に説明を終わらせている、
火には氷か水というゲーム的理解が組み込まれることで、氷をも克服するクッパが示される。
彼らが負けたことで、ピーイがアイスフラワーで歯向かうことは無謀ではと思わせるので、少し失敗している。けれど、それで勝つことで意趣返しにはなっている。

ネコマリオやタヌキマリオもゲームでは覆って驚きだけど、物語上では、まぁアイテムを用意したとはいうけど、けっこうとうとう感は拭えない。

ピーチ姫の謎を完全に続編に残したのも、脚本としてはやや不完全と言われる要素。
みんなが思っていた盲点の疑問だったのを多分そういうことかと設定したので、解決はしているけども。

今作は、ここは良いけど、ここは悪い、がけっこうあるのよね。
それは、元のゲームとキャラが有名過ぎる上に、多くの設定があると言うところとも重なっているので、そこをある程度で抑えて処理したのは、虚位のバランス感覚だとは思う。
続編を出す気満々だからこそできたというのもあるだろうけど。

 

 

物語の構成要素は、同時期公開の『聖闘士星矢 The Beginning』はとても似ている。
弟と探す兄と、姉を探す弟。
現実からファンタジーへ移動。
冒頭で、説明を入れる。
回想で二人の関係を説明する。
女神、姫とコンビになる。
練習シーンで何度も失敗。
「諦めが悪い」主人公。
空飛ぶ敵からの攻撃を受ける。
反撃も空から。
城での攻防。
定番のストーリー展開をアクションと関係を見せる会話で繋ぐ。
日本産コンテンツのアメリカでの映像化。
だからこそ、その違いが命運を分けたのだともわかる。
主人公の性格の改変。
世界観を改変してもったいぶる。
冒頭の説明が長く、主人公のことではない。
ストーリーへの現代的な捻りがない。
ファンが見たいものをもったいぶる。
デザインが良くない。
ドラマを重視する。
受動から能動にストーリーが動くのが遅い。
ラスボスの性格を見せない。
どちらにも愛があるが、何かが足りない。
これは、日本での人気原作の映画化の教訓となり得る。

 

加えて、『バケモノの子』とも似ている。
実は、童話の定番構成であることがわかる。
(細田守が脚本を書くと、定番の童話のあからさまな引用が目立ってしまう傾向がある)
定番の物語にすることで、キャラに集中できるというのは語りの技の一つ。
(だが、細田守は、キャラ設定が強引かつ掘り下げが浅めなので、極端な見た目でカバーする)

 

 

____________________________________
追記。

ゲームの『スーパーマリオブラザーズ』の設定では、キノピオやブロックは市民が魔法で変えられた姿だった。
だから、ピーチ姫だけ人間というわけではなかったが、魔法が解けて人間に戻るシーンは描かれてないのよね。

 

忘れられがちだが、イルミネーションのメイン制作スタジオはフランスにあり、他の作品でもどことなくフランス娯楽映画的クラシカルコメディの系譜がある。

 

アメリカの批評家の一つの基準として、日常の再評価がある(「家が一番」、「家族が一番」の思想。もちろん、兄弟の絆は讃えている)が、今作は町は守るが、マリオとルイージは家族から離れ、新しい場所(キノコ王国)に自分たちの場所を見つける。
それは視点を変えれば、独立や親離れ、移民的なものを映してもいるともいえる。
親の言葉が意味をなさないという意味でも、評価しにくいところはあるかもしれない。
下手すれば、ゲームにおいて、その実力においても、その知識でも子供の方が上になるしね。
子供賛歌への拒否感を出してしまった評論家もいるのではないか。

 

ゲームはどことなく迫害されてきた。
あの異世界は、現実におけるゲームといえる。
それが最後現実にまで脅威として現れ、自分お全ての状況を変えてくれる。
そして、そこに自分は住む。

マリオはまるで現実をゲームのようにとらえている。(画面自体がそれを示す。2Dゲーム画面のようになるし、親たちからは弟をお前のゲームに巻き込むなという感じで言われる)
実際、マリオは落ち込むとゲームをやる。(しかもクラシックゲームの『パルテナの鏡』。)
通常、あの冠水災害に勝手に近づくのは二次被害をもたらしかねないのに勘違いして、弟と勝手にヒーローぶる。(危険な思考であり、災害時にやるなとされている行動)
マリオは、頭がお花畑(キノコ畑)な男といえる。
だが、そこから、彼は自分の頭の中が顕在化したような世界へ行く。
でもね、童話ってそういうものでしょ。
それは、子供の夢を叶えるもの。
『ピーターパン』『オズの魔法使』『不思議の国のアリス』『かいじゅうたちがいるところ』……もすべてそうだった。
けど、そこで、自分の罪を突きつけられる。(他の物語でもそういう展開は多い)
弟は命の危機に陥り、自分自身も無力を突きつけられる。
しかし、その状況でも彼の芯にあるあきらめないガッツととことんポジティブな陽性がそれを救い上げる。
ピーチ姫というメンターを得て、一皮むけていく。
強くなったつもりでもドンキーにもアイテム無しでは勝てない。
アイテムはご都合だが、自分の力では勝てない、ともうたう。(スーパーキノコで強く名ても一回のミスで元に戻る、ということがこの映画のメッセージになってもいる)
そして、一番のメッセージは英雄となってもキノコ王国に家を持っても、マリオとルイージの兄弟は配管工を続けることだ。
彼はそれをその仕事に誇りを持っているのだ。
つまり、自分が好きなことが一番。
本物のヒーローの姿だ。
自分の仕事をやるだけ。
職人感。
マリオが、自分の国を守ろうとしたピーチ姫から学んだことは、自分の会社を守ること。
それはつまり、ゲームも現実も手に入れるということだ。
充実とはそういうことだろう。
職人感。
もしかしたら、これってアメリカ的じゃないオチなのか?

任天堂製のゲームの素晴らしさは、ゲームに没頭はさせるが、その良質さとスタイルによって、逆にこれが現実の人間がつくったモノであるという尊敬を感じられるところなのだ。
それは、芸術がもたらすエネルギーと同じものといえる。


兄弟一緒なら無敵だというマリオとルイージの思いが、具現化しての無敵のスター。これぞ、絵本的な表現。

 

 

 

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