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菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

折れた刀。 『燃えよ剣』

2021年12月04日 00時00分04秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1973回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

 

『燃えよ剣』

 

 

 

士道の理想を胸に戦い続けた新選組副長の土方歳三の半生を描く時代劇。

 

司馬遼太郎の名作歴史小説を『関ヶ原』の原田眞人監督・脚本&岡田准一主演のコンビで映画化。

共演は、柴咲コウ、鈴木亮平、山田涼介、伊藤英明。

 

 

物語。

幕末、喧嘩に明け暮れていた武州多摩の“バラガキ”土方歳三は、武士になるという夢を追い、盟友の近藤勇、沖田総司ら、天然理心流の仲間とともに清川八郎の言葉に乗って、京都へ向かう。
元水戸藩士の芹沢鴨と手を組み、京都守護職を拝命した会津藩預かりとなり、市中を警護する新選組を結成する。
近藤、芹沢、新見錦を隊長に、土方と山南を副長として、多くの隊員を抱える、京都の警護の任につく組織をつくり上げていく。
そんな中、土方は絵師のお雪と出会う。

原作:司馬遼太郎『燃えよ剣』(新潮文庫刊/文藝春秋刊)

 

 

出演。

岡田准一 (土方歳三)

柴咲コウ (お雪)

鈴木亮平 (近藤勇)
山田涼介 (沖田総司)
伊藤英明 (芹沢鴨)
安井順平 (山南敬助)
村本大輔 (山崎烝)
金田哲 (藤堂平助)
松下洸平 (斎藤一)
谷田歩 (永倉新八)

尾上右近 (松平容保)
山田裕貴 (徳川慶喜)
坂東巳之助 (孝明帝)

たかお鷹 (井上源三郎)
村上虹郎 (岡田以蔵)
阿部純子 (糸里)

ジョナス・ブロケ
ジュール・ブリュネ
大場泰正
坂井真紀
山路和弘
酒向芳
松角洋平
石田佳央
淵上泰史
渋川清彦
マギー
三浦誠己
吉原光夫
森本慎太郎
高嶋政宏 (清河八郎)
柄本明 (丸十店主)
市村正親 (本田覚庵)

 

 

スタッフ。

製作:市川南、佐野真之
企画:鍋島壽夫
エグゼクティブプロデューサー:山内章弘、豊島雅郎
プロデューサー:佐藤善宏、臼井真之介
ラインプロデューサー:和田大輔、渡辺修
共同製作:兵頭誠之、藤田浩幸、藤島ジュリーK.、杉田成道、弓矢政法、飯塚浩彦、宮崎伸夫、広田勝己、林誠、鯉沼久史、吉川英作、東実森夫、田中祐介、井戸義郎
プロダクション統括:佐藤毅
キャスティング:田端利江
助監督:谷口正行、増田伸弥
スクリプター:川野恵美

撮影:柴主高秀
Bカメラ撮影:堂前徹之
照明:宮西孝明
美術:原田哲男
装飾:籠尾和人
衣装デザイン:宮本まさ江
ヘアー&メイクアップ:渡辺典子

編集:原田遊人
録音:矢野正人
音響効果:柴崎憲治
音楽:土屋玲子

VFXスーパーバイザー:オダイッセイ
SFXデザイナー:渡辺典子

殺陣:森聖二
スタントコーディネーター:中村健人

 

 

『燃えよ剣』を鑑賞。
幕末、新選組副長の土方歳三の半生を描く時代劇。
新選組ものの最高峰である司馬遼太郎の原作を原田眞人×岡田准一で、ぎゅっとして映画化。
回想形式で土方が半生を聞き手に話していく、一人の人間の記憶として幕末を描いていくが、本人が説明のためにいないところも描かれる。つまり、長大な原作を2時間半で描き切るために、早語り出来る映像技術をフル使いしているのだ。
それはさすがの技のデパートなのだが、その分、時代も人間も置いていかれてもいる。他人語り混ざりは司馬的な作家視点とも取れなくもないのだが。
現代時代劇では最高峰のロケ地と美術と空気の再現を見せてくれるが、まだ出来るであろうことを望んでしまえる八合目感はある。それは往年の黄金時代の邦画時代劇が届いてしまっていたからか。韓国や中国時代劇でアジア的なものを見てしまっているからか。今作には、それ以上の部分はあるのにだ。女性の描き方の中途半端さも現代としてはひっかかる。語りの軸が散漫なんだ。ここが現代邦画の時代劇でたどり着くところなのか。
原典となった小説として、その描写は漫画などで繰り返されていたものでもあるので、新しいはずなのに、知ってるものだったりする既視感が興奮につながらない。
それでも土方の喧嘩屋、近藤の神輿的な描き方、新選組の秘密警察具合や暗殺集団具合はやや新味はある。隊服の描写もよかった。士より卑を描いた方が向いているんじゃないか。
岡田准一は達人。鈴木亮平は本尊。伊藤英明は圧巻。安井順平は螺子、村本大輔は発見。尾上右近の上品。z年キャスト、エキストラまで含めての者がアtリへ奉仕していることに頭が下がる。
撮影、照明は圧倒的、なのだが、時折、カメラが現代化し、我に返らせる。
音楽は静かにシーンに草履を履かせるが、下駄にはならない。
殺人はどれも見ごたえ、特に土方vs鴨の殺陣は従来の時代劇とは一線を画す。
それでも、ここまでは行けると気を吐いている。
それでも、新選組が金策しつつ、戦い続けたたように。
名刀が錆びを研いでも折れる鞘作。


 

おまけ。

英語題は、『Baragaki: Unbroken Samurai』。
『ばらがき:壊れぬ侍』。

「ばらがき」については、劇中で説明があります。

 

2020年の作品。

 

製作国:日本
上映時間:148分
映倫:G

 

配給:東宝=アスミック・エース  

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

脛切りの重要性をやってくれたのも注目。
映像的にも岡田以蔵戦で描いていた。
部位をやられたらいかに勝敗が変わるか。これを映画的な殺陣ではなかなかやってくれないのよね。(漫画ではけっこうあるのに)
連続殴打とかも。(北野武版『座頭市』では、そのどちらもやっている)
お雪の「指がたくさん落ちていた」というセリフもそこを重要視しているのが見える。
部位と全身は、武士と幕府の関係にもつながっている。
肩をやられた近藤がダメになっていくのもそのため。
沖田総司が病気に負けるのもそのため。
だから、今作は部位から全体を描こうとしているのまでは分かる。
土方歳三で新選組、新選組で日本、つまり、内紛、裏切りと足の引っ張り合いを描き出そうとしているのまでは分かる。
でも、そこまでたどり着いてないんだよなぁ。

あと、戦闘における速度の重要性と、予測を裏切る動きが武術でどれだけ大事かも。
(これも北野武版『座頭市』でやっている。そもそも三船(黒澤)、勝新の殺陣はここがよかった)
おいらが、時代劇で殺陣をやるなら、ここを描きます。
(逆に、これがやれないので『くノ一忍法帖 影ノ月』では殺陣を省いたくらい。当然、まだ映像的にやってない隠し玉もある)

 

刀はそのまま士道であり土方の強いエゴの象徴となっている。
竹刀と木刀だったもの、鉄棒仕込み竹刀になり、刀は七里らの襲撃の際に折れる。(それは士道が折れることを示唆する)
近藤の虎徹に対抗し、兼定、より良い刀を求めるところに土方の本心が現れている。
近藤でさえ自分を上げる道具と見ているのが分かる。最初に土方に命令するところから始まるのでも意識されている。
最後、銃弾に斃れるあたり明確である。

副長という立場も天皇に対する将軍の立場に見えるように構成されている。

髪もモチーフになっている。
手拭いで隠すとき、髷、散切りにするとき、そこに士道が現れる。

紙もそうかもしれない。
絵師、情報を伝える紙、薬包、フォトガラなど、紙も土方を象徴させる。

 

夜這いの文化、祭りの性的意味合い、商家の奥方をレイプするシーンや芸者や芸妓舞妓、宿屋の女中など、女性の地位を低く見せることで描くひと昔前の話法を用いている辺りに、今作の語りの軸が歪んでいるのと通じる。
沖田総司に現代的な結婚観を語らせる辺りでバランスをとり、後半のラブロマンスによって、女性を尊重する(夜這いに行かないということで)ことで、成長と愛情に気づくという要素をくわえようとしている意図は見えるが、それによって、逆に女性キャラを物語上での道具として消費しているようにも見える。
劇中で描かれるどのラブロマンスも女性の献身(お雪、糸里、姉夫婦)としか描かれない。男は社会で戦い、女性はそれを補うだけだという視点が見える。当時そうだったわけではない。姉の描写でそれを補うことはできるし、他の作品で描かれているように、女将などに志士的活動をした女性はいた。若い女中にわずかに描かれるが、そこでもまた道具化する描写にしているのが象徴的。
お雪に労働者、未亡人、スパイ、看護師をさせ、現代的に描いているようで、映画的な娯楽提供のような使い方に留まる。
恋で発展させるのさえ、古臭いということに気づいていない。原作がたとえそうだとしても。絵師、当時の志士として描くことを選べない。姉で妻であっても志士を理解しているような人物として描いているのだから、現代映画においてはそういう道を選ばない女性を描くことに踏み込めない作家の臆病さを露呈させることだと気づいていない。

『駆込み女と駆出し男』も女性が強いようで、男性が守る立場であることも描いている映画だったし、女性が強いようで、母性としてしか描いていないことも透けていた。
(当時、私もまたそこに気づけていたとは言えない。それだけここ数年で日本も動いたからともいえる)
ここには、最近のアニメでの女性を母性として扱うことで女性を守っているつもりの描写とつながっている。
母性を描くときも、男性からの女性の理想化が行われがちで、そこには人間として見ないで、尊敬で覆ってしまっていることも少なくない。(女性という性を母性において尊敬しているという聖性においてしか認めず、人間と見ていないことが分かることが多い)
それは保守的な日本のフィクションでは歓ばる方向性だから。
(それが悪いというよりは、それをことさら世親瀬ない者のように描き過ぎることで、そうでないことへ攻撃を加えているような描写にならないことを現代のフィクションとして心掛けているかどうかは重要であろう)

『ご法度』でも描かれた、当時には衆道があるのを知っていると、夜這いや祭りの性的側面を描くのを選んだのに、そこを匂わせることをしなかったことは、政治的、男性性の負の側面への擁護への意図を見てしまう。

 

少しは事件を知っている人、聞き手が当時の人ではあっても、外国人にもして、新選組という身内のことなので、知らない部分がある話なのだが、そこに女性の話が入ってくるのが気になるし、語り口とない内容が一致していない。
なので、ある程度知識がないと置いてけぼりになる部分はあるが、だが、時代劇とはそういう側面を持つのもいたしかたない。

もちろん、土方歳三というこういう男が幕末にいたという人物の物語を見せるということでは、豪華で堂々とした人物伝であることにおいては、文句はない。

 

 

 

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