で、ロードショーでは、どうでしょう? 第288回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『ジョン・カーター』
大古典の『火星のプリンセス』をディズニー的に映画化している。
3Dもいい感じだが、せっかくの広さを狭めている感じもあり。
映像はすごいし話も丁寧。でも、なんだろう、この学校の授業で見せられたような感じは。
映像は凄いので、損は感じないんだけど。興奮不足という印象。
とてもノスタルジーを感じるので、80年代に映画館に来た気分は味わえる。
その感じは、制作の狙いらしく、アナモフィックレンズで、フィルム撮影をしている。
原作は、SFというよりは、スペースオペラ、すなわち宇宙系ファンタジーの元祖でもあるので、冒険譚の正統派という言葉が実によく似合う。
坂kは、あの『ターザン』で有名なエドガー・ライス・バローズですから。
「ユーモアはがない」と言われてるみたいだけど、『ウォーリー』を作ったアンドリュー・スタントンだけに実際かなりユーモアは入っているのだけど、その効かせどころがズレている感あり。
そのせいで、ストーリーの勢いを失ってしまう。
アニメは結構どこにユーモアの入る幅が広いんだけど、実写はジャンルによってはとても狭いのよね。
この違いは、『インディ・ジョーンズ』シリーズを見るとわかりやすいかも。
1〜3は、キャラクターのネタになっていたのが、4でストリーのネタになっている違いに注目してもらいたい。
『ジョン・カーター』でも、キャラクターの笑いだったところは効いていたのに、ストーリーになってくるととたんに失速のブレーキになっている。
そのせいで、ユーモアが少ないと感じさせているのだと思われる。
やっぱ一番キツいのは、火星が舞台って、とこだよなぁ。
それが、最大のユーモアとも取れるけど。
はやぶさが帰ってきちゃう時代だしなぁ。
もちろん、100年前の想像力に身を委ねて見れるんだけど。
大嘘が上手くいってないんだよなぁ。
作者のエドガー・ライス・バローズを出して、その時代感を出したりしてるんだけどね。
メタフィクション化させている辺りが逆に、嘘話になっちゃってもいるのよね。
原作への敬意もあって、原作よりもかなりよくまとまっていているんだけどね。
あと、星が滅びるという緊迫感がないんだよね。
真面目さを押し出しすぎていて、観客が冷静になってしまい、乗れなくなってくる。
冒険の興奮を薄くさせてしまっているのよね。
うりゃあ、俺が世界を救ってやるぜ!的な、気分の高揚をがつんがつんおしてくれてからじゃないと。
最初のプリンセスを救うとこに、その感じはあったんだけどなぁ。
細かく、抑制を効かせてしまっているのよね。
それで、ゾダンガの皇帝の悪役っぷりが小さくなっちゃっていて、とても寂しい。
タルス・タルカスたちの方が強そうなんだもの。
もちろん、真の敵はサーンだから、しょうがないんだけど。
物語の牽引力が弱くなっちゃってるのよね。
でも、そこを活かした、いい展開が後半にあるので、難しいところなのも分かるのだけど。
サークの腕4本も活かされてないのがなぁ。
ジェスチャーのところぐらいか。
細かいアクションでは、剣と槍持ってる奴がいたりとやてはいるんだけど。
もうちょっと馬上戦とかをちゃんとみたかったなぁ。
まぁ、大白猿が6本腕だとか、進化を感じさせる描写を見せてくれているんだけど。
でもね、テイラー・キッチュは肉体芸で頑張って見せてくれます。
ここもまるで、60年代の映画のよう。
肉体のコミカルさ、いわばアニメ的な要素を求めて、キャスティングされたのが、よくわかる。
異世界への旅を意識して、無名キャストを多数起用して、有名キャストは、あくまで、声とモーションキャプチャーでの出演なんてこだわりにも、かなり好感がもてるんだけどね。
原作の荒唐無稽さで、笑わせながら、見れたら、もっと楽しめた気もするんだが、この真面目さこそディズニーとも言えるから、正統な映画化ではあったんだろうけどね。
もう、100年たったら、この原作やこの映画が、どういう扱いになるか想像してみようかな。
小学生が、『スターウォーズ』の3D版と『ジョン・カーター』を同時期に見たら、どっちを新しい映画だと思うのだろうか?
おまけ。
同じ、バトルシップでも、『スペースバトルシップ・ヤマト』と『バトルシップ』の違いに愕然としちゃうよね。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『ジョン・カーター』
大古典の『火星のプリンセス』をディズニー的に映画化している。
3Dもいい感じだが、せっかくの広さを狭めている感じもあり。
映像はすごいし話も丁寧。でも、なんだろう、この学校の授業で見せられたような感じは。
映像は凄いので、損は感じないんだけど。興奮不足という印象。
とてもノスタルジーを感じるので、80年代に映画館に来た気分は味わえる。
その感じは、制作の狙いらしく、アナモフィックレンズで、フィルム撮影をしている。
原作は、SFというよりは、スペースオペラ、すなわち宇宙系ファンタジーの元祖でもあるので、冒険譚の正統派という言葉が実によく似合う。
坂kは、あの『ターザン』で有名なエドガー・ライス・バローズですから。
「ユーモアはがない」と言われてるみたいだけど、『ウォーリー』を作ったアンドリュー・スタントンだけに実際かなりユーモアは入っているのだけど、その効かせどころがズレている感あり。
そのせいで、ストーリーの勢いを失ってしまう。
アニメは結構どこにユーモアの入る幅が広いんだけど、実写はジャンルによってはとても狭いのよね。
この違いは、『インディ・ジョーンズ』シリーズを見るとわかりやすいかも。
1〜3は、キャラクターのネタになっていたのが、4でストリーのネタになっている違いに注目してもらいたい。
『ジョン・カーター』でも、キャラクターの笑いだったところは効いていたのに、ストーリーになってくるととたんに失速のブレーキになっている。
そのせいで、ユーモアが少ないと感じさせているのだと思われる。
やっぱ一番キツいのは、火星が舞台って、とこだよなぁ。
それが、最大のユーモアとも取れるけど。
はやぶさが帰ってきちゃう時代だしなぁ。
もちろん、100年前の想像力に身を委ねて見れるんだけど。
大嘘が上手くいってないんだよなぁ。
作者のエドガー・ライス・バローズを出して、その時代感を出したりしてるんだけどね。
メタフィクション化させている辺りが逆に、嘘話になっちゃってもいるのよね。
原作への敬意もあって、原作よりもかなりよくまとまっていているんだけどね。
あと、星が滅びるという緊迫感がないんだよね。
真面目さを押し出しすぎていて、観客が冷静になってしまい、乗れなくなってくる。
冒険の興奮を薄くさせてしまっているのよね。
うりゃあ、俺が世界を救ってやるぜ!的な、気分の高揚をがつんがつんおしてくれてからじゃないと。
最初のプリンセスを救うとこに、その感じはあったんだけどなぁ。
細かく、抑制を効かせてしまっているのよね。
それで、ゾダンガの皇帝の悪役っぷりが小さくなっちゃっていて、とても寂しい。
タルス・タルカスたちの方が強そうなんだもの。
もちろん、真の敵はサーンだから、しょうがないんだけど。
物語の牽引力が弱くなっちゃってるのよね。
でも、そこを活かした、いい展開が後半にあるので、難しいところなのも分かるのだけど。
サークの腕4本も活かされてないのがなぁ。
ジェスチャーのところぐらいか。
細かいアクションでは、剣と槍持ってる奴がいたりとやてはいるんだけど。
もうちょっと馬上戦とかをちゃんとみたかったなぁ。
まぁ、大白猿が6本腕だとか、進化を感じさせる描写を見せてくれているんだけど。
でもね、テイラー・キッチュは肉体芸で頑張って見せてくれます。
ここもまるで、60年代の映画のよう。
肉体のコミカルさ、いわばアニメ的な要素を求めて、キャスティングされたのが、よくわかる。
異世界への旅を意識して、無名キャストを多数起用して、有名キャストは、あくまで、声とモーションキャプチャーでの出演なんてこだわりにも、かなり好感がもてるんだけどね。
原作の荒唐無稽さで、笑わせながら、見れたら、もっと楽しめた気もするんだが、この真面目さこそディズニーとも言えるから、正統な映画化ではあったんだろうけどね。
もう、100年たったら、この原作やこの映画が、どういう扱いになるか想像してみようかな。
小学生が、『スターウォーズ』の3D版と『ジョン・カーター』を同時期に見たら、どっちを新しい映画だと思うのだろうか?
おまけ。
同じ、バトルシップでも、『スペースバトルシップ・ヤマト』と『バトルシップ』の違いに愕然としちゃうよね。