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菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

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お前は、何を裏切ったのか? 『KCIA 南山の部長たち』

2021年02月07日 00時00分22秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1833回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

『KCIA 南山の部長たち』

 

 

 

1979年の韓国のパク大統領を情報局部長が暗殺するまでの40日を見せるポリティカル・サスペンス。

1979年に起きたパク・チョンヒ(朴正煕)韓国大統領暗殺事件における韓国中央情報部(KCIA)の内幕を暴いたキム・チュンシクのベストセラー・ノンフィクション『南山の部長たち』を基にフィクションを交えて映画化。

 

主演は、『王になった男』、『インサイダーズ/内部者たち』のイ・ビョンホン。
共演に、イ・ソンミン、クァク・ドウォン。

 

監督は、『インサイダーズ/内部者たち』、『麻薬王』のウ・ミンホ。

 

 

物語。

大統領の直属の機関として絶大な権力を振るった韓国中央情報部(KCIA)。そのトップは本部の場所から南山の部長と呼ばれた。
1979年、パク・ヨンガク元部長が亡命し、アメリカの議会で韓国の現大統領のパク・チョンヒの腐敗を告発する証言を行った。そして、彼は暴露回想録を書き上げていた。
パク大統領はこれに激怒し、現部長のキム・ギュピョンが事態の収拾を命じられる。
キム部長自らアメリカへ渡り、戦友でもあるヨンガクに接触する。チョンヒ、ヨンガク、ギュピョンはともに革命を成し遂げた同志だった。
ギュピョンはヨンガクに、暴露回想録を渡すよう迫る。
だが、ヨンガクがギュピョンに告げたのは驚きの言葉だった。

原作:キム・チュンシク 『実録KCIA 南山と呼ばれた男たち』(講談社刊)
脚本:ウ・ミンホ、イ・ジミン

 

 

出演。

イ・ビョンホン  (キム・ギュピョン(金規泙) 中央情報部長)

イ・ソンミン (パク・チョンヒ大統領)

クァク・ドウォン (パク・ヨンガク 前中央情報部長)
キム・ソジン (デボラ・シム ロビイスト)
イ・ヒジュン (カク・サンチョン 警護室長)

ソ・ヒョヌ     (チョン・ドゥヒョク)
チ・ヒョンジュン  (ハム・デヨン)
パク・ソングン   (カン・チャンス)
パク・チイル    (秘書室長)
イ・テヒョン    (ユ・ドンフン)

キム・ホンパ    (ユン大使)

Jerry Rector    (ロバート駐韓米国大使)
Lee Leonard     (ジョンソン議員)

 

 

スタッフ。

PD:キム・ジヌ
助監督:キム・ジンソク

撮影:コ・ラクソン

照明:イ・スンビン
美術:チョ・ファソン、パク・キュビン

武術:ユ・サンソプ、チョン・ウジェ

編集:チョン・ジウン

音楽:チョ・ヨンウク

 

 

『KCIA 南山の部長たち』を鑑賞。
1979年韓国、情報局部長が大統領暗殺するまでの40日を見せるポリティカル・サスペンス。
パク・チョンヒ大統領暗殺事件における韓国中央情報部(KCIA)の内幕を暴いたノンフィクションを基にフィクションとして映画化。事件に関しては事実で、人物を置き換え、心情をドラマとして彫り込んでいる。
時代状況を説明してから入るので、見やすい。
時間経過を追っていくタイムサスペンスで、状況と心理を重ね合わせていく。
当時風の欧州サスペンス的なスタイルを踏襲しており、画と編集に薫香が漂う。
これに、すでに『麻薬王』で成功しているウ・ミンホ得意のサスペンス描写がさらに醸成している。かようにスタイルを再現できる力が今の韓国映画界には当たり前にある。特にフランスのシーンがよい。イタリア・ノワールやフレンチ・ノワールの味わい。韓国ノワールの懐の深さに鼻腔がくすぐられる。
クァク・ドウォンvsイ・ビョンホンvsイ・ソンミンによる切るような緊張感が芳しい。イ・ビョンホンのクローズアップは大スクリーンを迷路に変える。比べちゃうとイ・ヒジュンが少し弱いが、それがまた動機となる。
闇と静謐の情緒シーンがえぐる。
独裁は政治を庭どころか盆栽に刈り込ませる。
家族を描かないことで逆に鋭く本能に触る。
追い詰められ動けぬ人物を描いたら当代随一の熱量を発するウ・ミンホの作家性が光り輝くところ。
映画館の椅子はそのまま断れない頼みごとをつきつけられた蛙に変える。
共に歩んできた道を振り返る靴作。

 

 

 

おまけ。

原題は、『남산의 부장들』。
『南山の部長たち』。

英語題は、『THE MAN STANDING NEXT』。
『次に立っている男』。

英語題には皮肉なテーマが潜んでいる。

 

 

製作国:韓国
上映時間:114分
映倫:PG12

 


配給:クロックワークス  
 

 

 

受賞歴。

2020年の第25回 利川春史大賞映画祭にて、男優主演賞(イ・ビョンホン)、男優助演賞(イ・ソンミン)を受賞。

2020年の第40回 韓国映画評論家協会賞にて、最優秀作品賞、男優主演賞(イ・ビョンホン)を受賞。

 

 

 

この映画のモチーフとなった事件は、第5~9代大統領を歴任したパク・チョンヒ(朴正煕)大統領が、中央情報部長キム・ジェギュ(金載圭)によって殺害された1979年の10月26日の暗殺事件。

この事件については、イム・サンス監督『ユゴ 大統領有故』(2004)でも描かれている。
『ユゴ 大統領有故』は遺族から訴えられており、今作はそれを避けるために主人公をフィクションに変えたと思われる。

パク・クネ(朴 槿恵)はパク・チョンヒ(朴正煕)の娘。パク・クネが逮捕されたことで映画化できたのかもしれない。

朴政権を継承する形でチョン・ドゥファン(全斗煥)による軍政へと移行した。

 

 

『ゴッドファーザー』や『暗殺の森』や『サムライ』、『ジャッカルの日』などの古典への挑戦が感じ取れる。
現代映画も映画史の巨山と地続きであると思わせてくれる。
映画先進国ならではの凄みが現在の韓国映画にはある。

それにオマージュした『ミュンヘン』も思い出すよね。
そして、『ミュンヘン』が当時のアメリカにつなげたように、今作も自由民主化の意味を権力へと突きつける。そのまま、パク・クネ政権時に企画されていたのだから。

 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

ヨンガクも殺される前に片足の靴がないことに気づく。
ギュピョンは最後、両方の靴を失くしている。
靴を三人の関係と見ると、ヨンガクはギュピョンを失い片靴に、ギュピョンはチョンヒとヨンガクを失くし靴下だけになったと受け取れる。

そして、それは信念と信頼でもある。
信頼を失ったヨンガク、両方を失ったギュピョン。
それを道を歩むものすべてに突きつける。
お前は今、靴を履いているかと。

 

なんでか、クァク・ドウォンは他の映画でも靴に絡む描写が多い。

 

 

民衆視点がないことは、彼らが何が見えなくなったかを示してもいるが、事件のサスペンス性だけを強調したようにも見えてしまう。

 

イ・ビョンホンは今作の役作りで、体重を25キロ増やしたそう。
血で滑るシーンはイ・ビョンホンの提案だそう。

『大統領の理髪師』でもパク・チョンヒ暗殺は絡みます。
あれでは、『独裁者』を引用していました。

パク・チョンヒが理髪を受けているシーンから始まるのは、理髪の絡みはギュピョンの髪に目を向けさせるための導入でもあったのではないかな。
あと、マフィアもののオマージュなんじゃないかと。

 

当時、パク・チョンらは、ヒクーデターで政権を奪った。

 

 

パク・クネは、パク・チョンヒの在任中に、すでに政権の宣伝塔として関わっていた。
今作はあえて、3人の家族関係を描かないようにしたと考えられる。
『ユゴ 大統領有故』は完成後に遺族から訴えられた。
つまり、韓国の権力者の系譜は引き継がれているといえる。
英語題の『次に立っている男』の意味が見えてくる。
それを断とうと闘っているのだ。

だから、結局、イアーゴが誰か暴かれずに終わるとも言える。
存在しない者として。
今作は、イアーゴが出て来るシェイクスピアの『オセロ』をベースにしている。
ということは、ギュピョンはオセロかデズデモーナか。
パク・チョンヒがオセロかデズデモーナか。
警護室長は存在しない浮気相手なのか。
『オセロ』におけるイアーゴは捕まるが生き残り、オセロは自死する。
(元ととなったツィンツィオの『百物語』第3篇第7話では、イアーゴは拷問の末に死亡しているそう)

待て、『オセロ』では存在するかどうかわからない者を告げるのがイアーゴだ。となると、ヨンガクこそがイアーゴということになる。イアーゴは存在しない浮気相手だ。そこに嫉妬するギュピョンはオセロであり、殺されるチャンヒはデズデモーナとなる。
オセロであるギュピョンは最後、自ら処刑の道を選ぶ。

では、なぜギュピョンは自ら裁きの道を選ぶのか。
それは嫉妬からか。
それは喪失からか。
それは革命への殉じたからか。
それは重責からか。
それは正気からか。
それは狂気からか。

 

シェイクスピアは裏切りを多く書いている。
今作に近いのは、歴史劇『ジュリアス・シーザー』だろうか。主人公は、腐敗したシーザー王を殺す、側近であり親友であるマーカス・ブルータスともいえるし、シーザーに愛されたマーク・アントニーともいえ、現代では、ブルータス主人公版もアントニー主人公版もあります。歴史劇なので、生き残るのはアントニーですが。(アントニーはその後、クレオパトラと愛し合うことでも有名ですね)
「ブルータス、お前もか」の台詞が有名だが、今作でいうならば、「ギュピョン、お前もか」となる。
ブルータスをシーザー暗殺にそそのかすのはケイアス・キャシアスなので、ヨンガクがこの立場ともいえますね。

 

歴史劇でありながら、脚色し、フィクションにする語りをするシェイクスピアを取り込むことで、今作は近代史に立ち向かったのではなかろうか。

 

 

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