で、ロードショーでは、どうでしょう? 第109回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『抱擁のかけら』
ペドロ・アルモドバルの語り口に、ストーリーテリングならぬ、ムービーテリングを堪能。
濃厚な語りで、その作家性を爆発させるアルモドバルはココに来て、自分の物語力を試すかのようなより濃密な語りを展開してます。
ハリウッドの古典のようなサスペンスに現代的時間軸とメディア横断、映画への言及、自分のキャリアも振り返り、なにより普遍的な愛の寓話をミックスして、ドカンと突きつける。
それを支えるロドリゴ・プリエトのカメラの多様性と肉体性に、驚嘆です。
イニャリトゥの新作『ビューティフル』も彼が撮っているようです。
あの色彩の見事さは、どうしたもんでしょうかね。
飛び交う時間軸を支えきる画面構成力も圧倒的です。
特に今回、2本分とも言えるような物語の分量を身近シークエンスで、 ずんずん進めていくので、ああいう強度のあるカメラを求めたのでしょう。
4種類のカメラ(35mm、SDビデオ、スチール、HDV)を使い分け、そこに意味性をもたらせる演出と撮影の協力関係に震えがきました。
最初のセックスシーンをソファで見せたのが、後半にソファの上での抱擁に重なるとき、映画の洪水に飲まれます。
そして、なにより、特筆すべきは、ペネルペ・クルスの女優力。
距離にして、マリリン・モンローから、オードリー・ヘップバーンを通過して、ソフィア・ローレンまで一足飛びで駆け抜けます。
作家の思いを一身に受け止めて、千変万化してみせる華やかさとその情熱。
もうね、迸ってます。
当てて書いた役どころか、元は男性だった役だそう。
あと、映画内映画が出てくるのですが、これが出世作『神経衰弱ぎりぎりの女たち』の際限だったりするので、あの映画好きなおいらは、もうそれだけでもウキウキですよ。
そのメイキングまで映画の中に巻きこんでいます。
それと、おいら好みのカットがあるのよ。
去っていく女、切り替えしてもそこにまたさて行く女という映画文法の離れ業をやってのけてくれてるのがそれ。
あえて、分かりづらく書きましたが、観たらわかります。
2本分と書きましたが、映画そのものがそういった、鏡像というか、裏表というか、本音と建前というか、対というかいくつもの二重性が溢れています。
それで2本分の量を感じるのです。
映画文法の豊穣を二食分味わえますぜ。
コメディでトラジディでサスペンス、ジャンルを明確に出来ない愛の映画。
そして、映画愛の映画でもある。
愛に翻弄される二人の男と二人の女。
様々な人の思いを飲み込んで、確実に、映画2本分の物語が凝縮されいます。
濃縮還元果汁200%のラテンの愛の濁流と色彩の洪水に飲み込まれていただきたい。
いや、その原液を映画館のスクリーンから、ごくごくと飲み干していただきたい。