いい思い出を思い出すような映画が増えてきている。
それは、もう結論がわかっていて角がない。
リアルタイムの映画が減っているともいえる。
それは、まだ嚙み砕かないといけない骨がある。
だって、「仕事しろ」という呪いを受けながら、モノづくりをしているんだもの。
薬と麻薬の違いのようなものが映画の内容にもある。
代表者が責任者ではなくなってきているのです。
映画は複合的な要素が多いゆえに、それぞれの要素を補完的にさせることで、ある程度、あらゆる人に同一情報を伝えることができる。
映画館で映画を見る楽しみは、映画の旅の続きとして、家までの帰り道に自分の世界を眺めることにある。
努力していると言われることが生活の一部になった上で、さらにする努力が本物の努力。
俺の手相にゃ、銀座線。