今日は 朝早くからお墓の掃除でした。
早朝から 親戚一同が集って掃除します、毎年恒例の行事です。
蚊が多いので 畑に出るいでたちで望みます。。長袖・長ズボン・帽子着用^^!
一年分の汚れをきれいに落とし、磨きをかけると・・スッキリとした気分になる。
ご先祖様も喜んで下さっているだろうな^^!
一仕事終えて・・今度は子供のアッシーです。
子供会のドッジボール大会でした。
子供の頃 <ドッジボールの鬼>でした。(笑)
昼休みには 率先して場所取りをする。給食もいち早く食べる。
自分で言うのもなんですが・・結構強かった(ウフフ^^)、最後の最後まで陣地に残って粘りました。
今でも ドッジボールと聞くと・・血が騒ぎます(笑)
で・・午後からの授業は眠くなる。懐かしいなあ~~^^。。
お墓の掃除をしながら・・「どんな人でも最後はここに入るんだな」
ふっと そんな当たり前の事をしみじみと感じてしまいました。
「私は絶対に入らない!!」そんなことは 絶対にない。
ここに入る前に残せる{もの}
お金・財産~物???子供???
別れを経験して、思うことがあります。
「惜しまれるひとになりたい」
語弊が無いように・・言葉を控えなければいけませんが・・
人を困らせたり、自分のエゴをあまりに押し付けすぎた人って・・惜しまれない。
そんな人を 見てきました。
あまりのわがまま・エゴ・自分勝手な振る舞い・・それで人を困らせた人は、惜しまれません。
そんな人を見てきて・「死んでからこんなふうに言われるのだけは 嫌だな、せめて、惜しまれたい」と思います。でないと、生きてきた甲斐が無い。
あの世に持っていけるのは、<心>だけ、つまり<想念>
この世に残せるのも・・<心><想念>では?
<物>もちろんかもしれないけれど・・。
執着心をなくした、綺麗な想念を持っていきたいなあ~。
出来れば、多くの友人に囲まれて、惜しまれて、逝きたい。
本山 博さんによると・・
「ある人が 生まれてきた最大の原因となる最も強力なカルマはその人が死ぬまで続いて発現するが、その外に種々のカルマの種子が次々と発現して消えていくのを、常にみる。
死に際の思想、観念は、個人がいずれの霊界に行くか、死後どんな生活を送るか、次の再生をどのような境涯に置くかを決めるのに重要な働きをする ということが、よくいわれる」
なのだそうです。
つまり<死に際の心>これが大事。
ここまで{魂のしくみ}?というか・・そういうものを探求してきて、{知らないより 知っている方がいい}と強く感じます。
三次元を離れてから、知っていれば迷いません。(と 個人的に思います)
本来 宗教はこういう事を教えるべきではないか?
魂のしくみ、死とはどういうものか、肉体を持つとは?~これらを正しく知る事が本来の宗教の役割ではないか?と思います。
{死}を知ることは、{生きる意味}を知ることに繋がる。
方向性は違いますが、{過去世を知る}ということも 同じ側面があると思うんです。
興味本位で知る事は、どうか?と思います。下手をすると振り回されます。(十分注意が必要です)
今は「凄い経験をした」と感じています。(これまでに書いたとーりです)
多分、今世に一番影響を与えている過去世を浄化したのだと思っています。
向かい合い・出したから 出来たことです、もちろん・・それを求めました。
{過去世}を知ることも {生きる意味}を知ることに繋がる。
今の{生}に生かされてこそ 知る価値があります。
でなければ、意味が無い。
死に際に・・「いい人生だった!思い残す事は何もない」そう言って逝きたい。
私自身、死に対する恐怖があまりない・・こう書くと 誤解されそうですね。
生きる事に前向きでないという意味ではありません。何といえばいいのかなあ~「死ぬ事は{戻ること}だと思っている」 とでもいえばいいかな?
<魂がもとの世界に戻るだけ>だと 思っています。
だから あまり怖いとは思いません。
時々いますよね・・死に対する恐怖心から スピリチュアルを探求したり、どうしようもなく怖いと感じる人が・・。
私は 不思議に怖いとは感じない、昔からです。
勿論 死に際の身体的な苦しみには恐怖感があります。
それより、どの次元に行くのか・・この方が気になります。
この想いは 探求をし、しくみを自分なりに理解をし・・深くなったようです。
この3次元にいる内に・・
友情を沢山育み
想念を綺麗にして
役割(があるなら)を果たしたい。
そして・・思い残すこと無く・何にも執着せずに逝きたい。
今日は お墓の掃除をして、こんなことを想いました。。
(何歳だっ! そーいう人ほど長生きするのでしょうね 大笑い^^)
早朝から 親戚一同が集って掃除します、毎年恒例の行事です。
蚊が多いので 畑に出るいでたちで望みます。。長袖・長ズボン・帽子着用^^!
一年分の汚れをきれいに落とし、磨きをかけると・・スッキリとした気分になる。
ご先祖様も喜んで下さっているだろうな^^!
一仕事終えて・・今度は子供のアッシーです。
子供会のドッジボール大会でした。
子供の頃 <ドッジボールの鬼>でした。(笑)
昼休みには 率先して場所取りをする。給食もいち早く食べる。
自分で言うのもなんですが・・結構強かった(ウフフ^^)、最後の最後まで陣地に残って粘りました。
今でも ドッジボールと聞くと・・血が騒ぎます(笑)
で・・午後からの授業は眠くなる。懐かしいなあ~~^^。。
お墓の掃除をしながら・・「どんな人でも最後はここに入るんだな」
ふっと そんな当たり前の事をしみじみと感じてしまいました。
「私は絶対に入らない!!」そんなことは 絶対にない。
ここに入る前に残せる{もの}
お金・財産~物???子供???
別れを経験して、思うことがあります。
「惜しまれるひとになりたい」
語弊が無いように・・言葉を控えなければいけませんが・・
人を困らせたり、自分のエゴをあまりに押し付けすぎた人って・・惜しまれない。
そんな人を 見てきました。
あまりのわがまま・エゴ・自分勝手な振る舞い・・それで人を困らせた人は、惜しまれません。
そんな人を見てきて・「死んでからこんなふうに言われるのだけは 嫌だな、せめて、惜しまれたい」と思います。でないと、生きてきた甲斐が無い。
あの世に持っていけるのは、<心>だけ、つまり<想念>
この世に残せるのも・・<心><想念>では?
<物>もちろんかもしれないけれど・・。
執着心をなくした、綺麗な想念を持っていきたいなあ~。
出来れば、多くの友人に囲まれて、惜しまれて、逝きたい。
本山 博さんによると・・
「ある人が 生まれてきた最大の原因となる最も強力なカルマはその人が死ぬまで続いて発現するが、その外に種々のカルマの種子が次々と発現して消えていくのを、常にみる。
死に際の思想、観念は、個人がいずれの霊界に行くか、死後どんな生活を送るか、次の再生をどのような境涯に置くかを決めるのに重要な働きをする ということが、よくいわれる」
なのだそうです。
つまり<死に際の心>これが大事。
ここまで{魂のしくみ}?というか・・そういうものを探求してきて、{知らないより 知っている方がいい}と強く感じます。
三次元を離れてから、知っていれば迷いません。(と 個人的に思います)
本来 宗教はこういう事を教えるべきではないか?
魂のしくみ、死とはどういうものか、肉体を持つとは?~これらを正しく知る事が本来の宗教の役割ではないか?と思います。
{死}を知ることは、{生きる意味}を知ることに繋がる。
方向性は違いますが、{過去世を知る}ということも 同じ側面があると思うんです。
興味本位で知る事は、どうか?と思います。下手をすると振り回されます。(十分注意が必要です)
今は「凄い経験をした」と感じています。(これまでに書いたとーりです)
多分、今世に一番影響を与えている過去世を浄化したのだと思っています。
向かい合い・出したから 出来たことです、もちろん・・それを求めました。
{過去世}を知ることも {生きる意味}を知ることに繋がる。
今の{生}に生かされてこそ 知る価値があります。
でなければ、意味が無い。
死に際に・・「いい人生だった!思い残す事は何もない」そう言って逝きたい。
私自身、死に対する恐怖があまりない・・こう書くと 誤解されそうですね。
生きる事に前向きでないという意味ではありません。何といえばいいのかなあ~「死ぬ事は{戻ること}だと思っている」 とでもいえばいいかな?
<魂がもとの世界に戻るだけ>だと 思っています。
だから あまり怖いとは思いません。
時々いますよね・・死に対する恐怖心から スピリチュアルを探求したり、どうしようもなく怖いと感じる人が・・。
私は 不思議に怖いとは感じない、昔からです。
勿論 死に際の身体的な苦しみには恐怖感があります。
それより、どの次元に行くのか・・この方が気になります。
この想いは 探求をし、しくみを自分なりに理解をし・・深くなったようです。
この3次元にいる内に・・
友情を沢山育み
想念を綺麗にして
役割(があるなら)を果たしたい。
そして・・思い残すこと無く・何にも執着せずに逝きたい。
今日は お墓の掃除をして、こんなことを想いました。。
(何歳だっ! そーいう人ほど長生きするのでしょうね 大笑い^^)