魂のしくみからの独り言✨

過去の経験からその{意味}を探し・・
スピリチュアルな世界を知った私の独り言。。

母たちの想い ~4

2008-08-05 06:04:58 | 家族
その記事との縁?

そこから・・次の縁へと繋がっていく。

祖父からことずかったものを届けてくれた人物は・・
つきもり・・という名です。

月守
月を守る と書きます。

私はこのブログを完全匿名で書いていますが・・
この方の名だけは 惹かれるもがあり・・書かせて頂きます。

もう 亡くなっています。
存命中は 母も祖母も親しくさせて頂いたようです。

月を守る・・

名前を書くことに特に深い意味はありません。
ただ・・私は お月さまが大好きで、あえて名前を書くことにしました。
ただそれだけの理由です(^^)

その小さな記事が新聞に掲載されたのは・・
昭和55年1月13日(日)。

今から、28年前。
終戦から・・35年後。

この記事を発見して、連絡。
すぐに月守さんに繋がったわけではなく・・しばらくして・・

「(同年)8月24日、戦友が岡山に集います。よかったら参加しませんか?」
との案内。

母はその集まりには行ってないそうですが・・祖母が参加。
やっと 会うことができました。

母は、その後数年経って、月守さんに会ったそうです。

その時の気持ちを・・
「父を知る人物に会って 妙な気持ちだった」
「私は知らないのに、この人は父を知っていると思うと・・変な気持ちがした」

会えた喜びよりも・・妙な気持ちだった・・と話します。

「月守さんは きちっとした紳士だった。軍人らしい人」
母も祖母も口をそろえて言います(私は 会った事はありません)

戦争をくぐり抜けてきた人は 今とは教育が違う。
それは・・きちっとしている祖母を見て、いつも感じることです。
まあ それぞれの性格があると思いますが、きちんとしている・・と感じます。

月守さんにとって 祖父との出会いも不思議で・・

「自分が新人?の時の 研修(のようなもの)の先生が(祖父)さんだった。(祖父)さんから教えてもらった。」

第31潜水艦基地隊は、昭和19年7月8日に呉市の西教寺で300名で編成。
同年8月21日、呉港を出て、同9月1日、マニラへ到着。50名をマニラに残し、250名はセブ島配置になった。
(昭和57年6月10日の中国新聞より)

月守さん達は、祖父から新人研修を受け、昭和19年の9月にセブ島に到着したことになります。

この時の心境を・・
「初めての土地で心細かった」と、母に語ったそうです。

その後、不思議な縁で祖父に再会。

「セブ島に到着して、心細かったが、かつての先生である祖父に会えて、安心した。こんなところで会えるとは思いもしなかったので、驚いた」と・・。

月守さんは・・18歳
祖父は・・・・20代後半

驚きは祖父も同じだった様子で・・
「こんなところで会えるとは!」と驚いていたそうです。

そして・・
「妻と子を残して、こんなところに来てしまった・・」
・・と、若い部下に心境を語ったのだそうです。
幼い母と、祖母が心配だったに違いありません。
母は3歳、可愛い盛りです。

セブ島で再会し、上官と部下になったわけです。
縁は不思議です。

やっと・・繋がりました。。

戦後、祖父の遺品を 祖母の里まで届けてくれた人。
祖父をよく知り、戦火を共に潜り抜けた人。

終戦の声を聞いて・・
35年の時が経って・・

3歳だった母が結婚し・・
孫である私が15歳・・

やっと。

残念ながら・・月守さんは{最後を看取った人}ではありませんでした。
けれど・・親しかった様子で、月守さんのことを「つき!」と呼んでいた、と。

遺品?をことずけたのは・・まだ元気な時でした。
「自分にもしものことがあった時に これを届けて欲しい」と・・月守さんに頼んでいたのだそうです。

戦後 祖母の里に届けられました。

私も何が届いたのか・・知らなかったのです。
今回 初めて聞きました。

子供の頃に見た覚えはありましたが・・
それが届けられたものだとは 知らなかった。。

何だと思いますか?

それは・・

母の宮参りの写真



家の鍵


話してくれる母は 言葉が出なくなりました。

私も・・・・。



母たちの想い ~3

2008-08-04 05:43:12 | 家族
祖母の趣味?は「新聞を読む事」です。
趣味・・と書いたのには訳があります。

角から角まで・・読む。
じーっと、時間をかけて、ゆっくり 丁寧に・・読む。
簡単にぱ~っと 拾い読みするのでなく、じーっくり・・です。

こちらから見ていると・・・趣味のようです。
今は メガネをかけ、その上虫眼鏡まで使って読みます。
上手い表現がみつからないので、「趣味」と書きました(笑)

若い頃から、同じで・・

読み終えていない新聞は、捨てずにとっておく。
時間が出来ると、引っ張り出して読む。

祖母はこちらで母と同居するまで、長いこと一人暮らしでした。
仕事もしていたので、ゆっくり新聞を読むようになったのは仕事をしなくなってからのようです??

祖父の最後が分からない頃も・・
読まない新聞が 一人暮らしの部屋の中に山積みされていました。

ひとり暮らしだから・・誰にも遠慮はいりません。
少々片付いていなくても、誰も文句を言うものはいない。

きままだけど、一人。

私は 子供の頃・・
夏休みにそんな祖母の家に泊まりに行くのが大好きでした。
祖母の家に行くと、心の底から落ち着く事ができた。

今にして思えば・・
それは「母の気持ちの反映」だったのだと。

自分の里に帰郷して、心の底から落ち着く母。
母は心底くつろいでいたのだと・・
私はそんな母の気持ちを、無言のうちに感じていたのだと・・思います。

話が脱線しました・・
幼い頃の祖母の家を思い出して、当時のことを感じてしまいました。

そんな 祖母の部屋に山済みにされた「新聞」

祖母は、いつものように読み終えてない古新聞を引っ張り出して・・
片隅に・・目が止まる。

「第31潜水艦基地隊・戦友は連絡を」

小さな記事。
日付は・・昭和55年1月13日(日)

第31潜水艦基地隊の慰霊碑を造るために、戦友と遺族の連絡先を問う記事でした。
(以前、所属は陸軍と書きましたが、海軍の誤りでした)


つくずく・・
縁とは 不思議で、深いものだと感じます。
 
祖母が、新聞をすみからすみまで読まない人なら、気が付かなかったかもしれない。
読まずに捨てていたら・・繋がらなかった。

子供の頃に、記事を見た記憶は・・鮮明に残っています。
「よく見つけたな~ よく捨てなかったな~」と思ったのを覚えています。

今・・手元にあります。
母は、パウチをして大切に保管。

私がブログに書いている事を話したら、持ってきてくれました。
この記事を目にするのは、私も子供の頃以来です。
昭和55年といえば・・母は39歳、私は15歳(完璧に年齢がばれましたね・笑)

久しぶりに、改めて見ていますが・・本当に小さい記事。
「よく 繋がったな~」
つくずく・・関心。。

慰霊碑を造る話しが持ち上がり、新聞に記事が載らなかったら・・
この記事が祖母の目に留まらなかったら・・

縁は・・多くの「もし」が積み重なっている。

縁の不思議は・・ここにある。

この記事が目に留まり・・
祖母が母に話し・・

「間違いない」

その戦隊は 祖父が所属していた戦隊。

母と祖母に・・光が見えた瞬間でした。

戦争が終わり、35年目、
母の執念に光が当たりました。

                 また。。




母たちの想い ~2

2008-08-03 11:02:08 | 家族
当時の詳しい話を 聞いてみました。

祖母の記憶は定かでないところも多く・・
いまいちまとまりがない部分もある。

母からは、私の子供の頃の記憶を確かめる意味でも・・
話を聞いて、再確認しました。

先日ここで書いたことと、違っていた部分もありました。
先日は 私の子供の頃の記憶だけで書いたので、これから書くことが本当です。
ご了承ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ずーっと 分からなかった「父(祖父)の最期」

は・・祖母のくせ?趣味?がキッカケで繋がっていきます。。

祖父が戦死したことは「死亡通知」が送られてきたことで知ったそうです。。

死亡通知は、最後を知る者が持ってきてくれる訳ではありません。
郵便です。
だから、詳しいことは 分かりません。

その後・・

部下だった、という人が尋ねてきてくれ・・
祖父の遺品?祖父からことずかった物を渡すために わざわざ訪ねてきてくれたのだそうです。

訪れてくれたのは、かなりの僻地で、祖母の里(実家)。
多分 祖父がその人物にそこの住所を教えたのでしょう。。
(この時 祖母がここに住んでいたのかは?分かりません)

渡されたのは、祖母の父。

悲しいかな・・
具体的なことは何も聞かず、受け取るだけ受け取って、その人物を帰してしまう・・。

詳しいことを聞かないまま。
その人物の名前さえ・・聞かないまま。

後で 祖母は父を責めたといいます。(そりゃ そうでしょう・・)

それから・・祖母も祖母なりに手をつくして調べたそうですが、分からない。
その人物も・・突き止められない。
悔しい想いをしたといいます。

当時は、戦後のごたごたで戦死者のこと等の詳細はシッカリ管理されていないようで・・
おまけに 一つの軍隊(組織)も 上から下までは かなり細かく枝分かれしており、把握しきれないらしく・・。
問い合わせしても・・分からない。

だから・・どこの誰が知らせてくれたのか?
分からない。
繋がらない。

それでも、祖母は 手をつくしたと言います。

考えてみると・・

母が3歳の頃戦死し、結婚し・・
私が生まれ、もの心つくまで・・
祖父の最後が分からなかったのですね。

「長いな・・」

母に話を聞きながら・・心中を 改めて察しました。

「子供の頃に 執念を感じていた」と言うと・・

「そうそう・・確かにそう!このままでは死ねないと 思っていた」

と、涙ぐみながら話してくれました。


                         また。。

最初の一歩

2008-08-02 07:05:44 | シーズンズ
昨夜は 新月でした。

そして・・皆既日食。

太陽



昼間の空

夜空

昨日は 見上げませんでした。

太陽も月も 微妙なバランスを保ちながら。。この宇宙に存在しているのですね。
当たり前だと思っていることも、よーく考えると不思議だったり、凄いことだったり・・
私達が知らないことはまだまだ多いなと思います。 

メルマガが届きました。

2008/8/1     しし座・新月号   
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 こんにちは。シーズンズの高島亮です。

 イチロー選手が、日米通算3000本安打を達成しました。
 偉業です。

 試合後のインタビューで、
 「小さいことの積み重ねが、結局、大きなことにつながる」
 という趣旨の話をしていたのが印象的でした。

 2004年に、メジャーリーグの年間最多安打記録を83年ぶりに
 更新したときも、確か同じことを話していたんですよね。

 偉大なことをやる人ほど、小さなことを大切にしている
 ということなのかもしれません。

 イチロー選手の偉業達成の2週間前、
 野茂英雄選手が、現役引退を発表しました。

 野茂投手といえば、開拓者です。

 1995年にアメリカに渡り、
 「ムリだ」「通用しない」という声が大半だったにもかかわらず、
 素晴らしい結果を出し、
 「日本人もメジャーで活躍できる」ということを身をもって
 示したのでした。

 今日の日本人メジャーリーガーの活躍があるのも、野茂投手が道を切り開いたからこそ。
 そういう意味で、とても偉大なことを成し遂げてきたわけです。

 野茂投手も、やはり、1つ1つのことを大事にし、積み重ねてきた人でした。

 いい意味で周囲の声を気にすることなく、
 目の前のことに淡々と取り組みながら、
 自分の道を、ぶれることなく、一歩一歩進んでいく。

 振り返ってみたら、そこに偉大な道ができていた。
 おそらく、そんな感覚なんじゃないかと思います。

 いや、ご本人は、「偉大な道をつくった」という感じ方すらしていないかもしれません。

 そして、メジャーリーグに挑戦したときも、
 「立派な道をつくろう」という思い方はしていなかったかもしれない。

 でも、偉大な道はつくられるものなんです。

 野茂投手が開いた道に、イチロー選手はじめ他の選手が続き、道を広げていった。
 
 これからも、さらに道は広がっていくことでしょう。

 でも、その道は、小さなことの積み重ねによって、
 1歩1歩つくられていくわけです。

 どんなに大きな道も。

 野茂投手やイチロー選手たちのように、人と人とがつながって
 つくられていく道も。

 そして、自分自身の道も。
 
 
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^^!

ですよね・・何事も小さな一歩あってこそ!!
いきなり、登りつめると後が恐い。

子育ても 同じだな~ と感じます。
親の小さな積み重ねが 子供の心を育てる。

いいことは・・花を咲かせ、
よくないこと?は・・根を腐らせる?
いずれにしても、積み重ねが結果を出す。

何事にも言えることかもしれませんね。
目の前に現れることは、結果!!全ては結果!!
受け入れて 進んでいきたいものです!!

話が変わりますが・・

少し前に子供の頃に親が買ってくれた{世界の偉人伝}の中の1冊を読みました。
全12冊あり、一冊に4名の偉人。全部で48名です。
子供達が読めるな~と、捨てずにとっていました。

気が向いたので 手にとって、パラパラと拾い読み。
惹かれたのは・・コロンブス のところ。。

初めの一歩を踏み出す勇気。
どんなに{簡単}そうに見えることも、最初に【行動】することの難しさ・・
を感じさせる代表といえる人物。

卵を立てる話・・は有名ですね^^!
(この話は 本当の話しではないそうです)

コロンブスが 航海に出発するまでの道のりは・・本当に多難でした。
簡単に{一歩}を踏み出したのではない。

航海をまわりに理解してもらえずに、多くの挫折を繰り返し・・
それでも諦めずに、執念を持ち続ける。

最初の一歩が踏み出せたのは・・{何}だと思いますか?

それは・・

「縁」

でした。

「人との縁」

です。

どんなに素晴らしい想いも、一人では成し遂げられない。
イチロー選手も野茂選手も・・コロンブスも・・
それは同じではないでしょうか?

それは・・私達にも言える。

最初の一歩

と 



深い繋がりがありそうです。