魂のしくみからの独り言✨

過去の経験からその{意味}を探し・・
スピリチュアルな世界を知った私の独り言。。

1700年 ~2

2010-05-06 21:52:24 | パワースポット
お参りの順番は、自分の中で決まっています。
・・これを称してマイルート!!(アハハ)

この日は、いつものマイルートは中止。。

「呉橋」と「本殿の特別拝観」だけに絞ることにしました。


なぜかというと・・

いつもに比べて人が多い!!
落ち着かない!!

上の子もいて・・

「お母さん!長すぎ(参る時間)!!」と、ちゃちゃが入る。


いつもは・・平日の昼間にお参りします。

平日は、観光客などはいても、団体が通り過ぎれば静寂が戻り・・
とても静かで、落ち着く。。

土地が持つ「気」や「パワー」は 静寂の中でないと十分に感じることができないのです。


それに、人が多いと、お参りするのもかぶってしまいますよね。

こだわり過ぎなのかもしれないけれど・・
他人様が参っているときに、割り込むのはなんとなく嫌で・・
勿論 自分が参る時もなるべく一人がいいのです。

わがままですね。。(^_^;)

まあ そんなこんなで、
ゆっくりお参りするのは平日の昼間に限ります!!



前置きはこの辺りにして・・

次は、「御本殿特別拝観」へ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先日書きましたが、今年は八幡様が崩御されて1700年の記念の年。

宇佐神宮の一の御殿に祀られているのが・・八幡さま(応神天皇)です。


本殿は・・全部で3つの御殿から成っているのですが・・
普段は、外から見ることはできても入ることはできません。

さすが1700年の記念の年!

一般の者が入れるなんて・・わくわくです!!


入口には宮司さん。。お祓いを受けて・・いざ中へ!

八幡造りの一の御殿側のみの解放でした。
二の御殿、三の御殿へはロープで仕切りがしてあり入れません。

後ろ側の屋根がついた通路?には・・

一の御殿・二の御殿・三の御殿
・・それぞれの御祭神をおのせする神輿が公開されていました。

手をかけて、綺麗に維持されているものの・・
擦り切れた布や傷ついた木、それから模様(神輿には絵が描かれています)・・

神輿は、もう何年も使ったであろう歴史と風格を感じさせるものでした。



目の前で見る一の御殿は・・圧倒。。

外から見るのとは、違う。。


いつもは正面からお参りするだけ・・
勿論、それも十分良いのです!!

が・・

今回は、横、そして後ろからも{お力}を感じることができます。

力強く、大きく・・厳しいけれど温かい・・


後ろから、本殿を仰ぎ見た時に・・目頭が熱くなる自分がいました。

なんとも言えない感覚。。

側にいる・・というなんとも言えない感覚。。

あとで、上の子にこのことを伝えると「私もそうだった!」と。

(^O^)/


神宮の説明をする若い宮司さんの周りに、多くの人が集まっており・・
話を聞いていました。

話の中で・・新たに認識したのは。。

「神さまに仕える神様がいる」ということ。。

本殿には、3ッの御殿のほかに・・3つの神社が併設?されているのです。
なぜ本殿の中に祀られているのか?これまで疑問だったのですが・・

一の御殿(八幡さま)~春日神社
二の御殿(比売大神)~北辰神社
三の御殿(神功皇后)~住吉神社

このように、それぞれにお仕えする神様がいらっしゃるのだそうです。

知らなかった。
これで謎か解けました(^O^)/


神様も協力し合っているのでしょうか?

(*^_^*)



本当はもっとゆっくり感じたかったのですが・・
上の子にせかされて、本殿を後にしました。。


八幡さまは・・力強く、大きく、でも少し厳しい。

そんな印象。。


本殿・・一の御殿をまじかで感じ・・

満たされた一日となりました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


残りのGWは、皆 まったりゆったり。。

家族で出かけなかったけれど・・

十分に満喫!!


八幡さま ありがとうございました。。




1700年

2010-05-05 16:44:05 | パワースポット
中村さんの講演会は お休みにして・・

今日は、ちょっと一息。。


連休も最後の日になりましたね~
皆さま どのような連休を過ごされましたか?

我が家は、家族揃ってどこにも行かず・・
それぞれ、普段できないことをして、ゆったりまったり過ごしました。

(^^♪

主人も私も、人込みめがけて、出かける性格ではなく、
特に、このゴールデンウイークに渋滞の中へわざわざ身を投じたりはしない性質なのです。

なので、特に計画を立てもしていませんでした。

(^O^)/


初日は、義母家族を読んで焼き肉。。

次の日は、遠方に住んでいて帰省した友人を呼んで、またまた焼き肉。。

焼き肉に始まった 連休となりました。

(笑)!!

それぞれに 楽しく過し、
ナカナカ会えない友人とも久しぶりにゆっくり会話。。


家族皆では遠出しませんでしたが、
私と上の子の二人だけで プチ遠出はしました。


宇佐神宮へ!

今年は、宇佐神宮の御祭神である 八幡様(応神天皇)が崩御されて1700年に当たる年

<応神天皇1700年式年記念祭>

の一環として・・GW中に催し?が行われていました。


1・呉橋の特別解放

2・本殿特別拝覧


この2つです。


情報は・・義母の家族である、親戚(姪)に教えられました。

なんと!姪は古事記・日本書紀を読んでいるらしく・・
宇佐神宮にも、関心があるらしく・・趣味がリンクしていたのです!!

思わず 普段は親戚の前では封印している神社オタク?を・・解放してしまいました。

(^_^;)


三日目は・・早速、上の子と二人で行ってきました!!



呉橋・・は、普段、入口・出口共に扉が閉められています。
普段は通ることができません。

なので、是非!行かなければ!! と。

(^O^)/


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<呉橋>

寄藻川に架けられた神橋は呉橋と称せられ、
宇佐神宮西参道からの入口にあたるが、昭和初期までこの通りが表参道であった。

創建年代は不詳で 昔、中国「呉」の人が架けたと伝えられている。

この様式は中津市の当宮旧摂社・薦神社に見られるほかは 全国的に少ない。
木造の廊橋で橋脚石造三基、幅3.46m、高さ24.67m、
向唐破風造、屋根は桧皮葺である。

昭和8年(1622)細川忠利公が修築したものが現存するが
明治9年、昭和12年と修理が加えられ 昭和26年頃に河川の拡幅と堤防工事が施工されたためコンクリート橋が正面に取り付けられた。

西安3年(1301)に差遣された勅使・和気篤成朝臣の御歌が残されている。

    
    影見れば月も南に寄藻川

        くるるに橋を渡る宮人


                     (県有形文化財)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


以上、呉橋の側にある・・由緒書にて。



GW!快晴!!ということもあり、多くの人が訪れていました。

中は、涼やかな風が通ります。

とても清々しい気を感じました。
「気持ちいい!」と、上の子も!!


足元には・・ヤモリ!!

「ヤモリは、家守(やもり)・・家を守る」

と、通りすがりの人が話しており・・

『もしかしたら、呉橋を守っているのかな?』。。なんて。。

(^O^)/


いつもは、橋の横にある橋から、外観を眺めるだけ・・


ちょっと話がそれますが、

外から見た感じと、中に入った時の感覚が違う時ってありませんか?

外から見ると 一見、あまりいい感じでない建物。
(呉橋がそうだといっているのではありません)

でも、中に入ってみると・・なんかいい!!

そんな感覚を感じること・・ありませんか?


呉橋の中は・・

なんか良かった!!

です!!









身近にある神話(6) ~紀元祭・2

2010-02-13 20:20:02 | パワースポット
昨年の建国記念の日(2009.2.11)には・・

日本の建国を祝う会に参加しました。

(その時のことは、<紀元節 1~4 2009.2.12~2.20>に書きました)

この時に、初めて 日本のルーツを知り、
日本の事を知らないこと、今の教育制度でこれらが抹消されていることを痛感。
(このことは、折に触れてここでも書いています)

紀元節

を知ったことで・・

私の中の2月11日はこれまでとはまるで違う日になったように思います。

(*^_^*)


空っぽの神棚も気になりつつそのままでしたので・・
今日はお札も頂くつもりです。

お正月(グレゴリオ歴の)にお札を頂き、お祭りする方が多いのでしょうが・・
私は、初めてお札を頂くなら・・紀元節の日に頂きたい!!

と。

我が家に御神体をお招きするのは・・紀元節の日に!!

と。

(*^_^*)

それも・・

大好きな宇佐神宮で!

と・・決めていました。

なので、今年最初に宇佐神宮にお参り(初詣)した時に、
神棚にどのようにお祭りしたらいいのか?お札のことなど・・
神宮の方に聞いて、教えてもらいました。

その後・・主人にも相談しました。


いよいよ出発!!(またまた大袈裟~(^_^;))

あいにくの雨。

でも 降ったり止んだり・・車の運転にはあまり影響がありません。
祝日で休日ですが、車の渋滞はそうはなく、スムーズに進みます。。

宇佐神宮の手前(我が家から向かって、車で約10分手前)に鎮座している・・
柁鼻神社にも、時間があれば、先にお参りするつもりでした。

が・・

紀元祭の開始時刻は・・AМ10時からで、
家を出るのが少し遅くなったために、残念ながら時間がありません。

(柁鼻神社のことは・・<身近にある神話(3・4)>で書きました。
 柁鼻神社の御神体は・・神武天皇と 神武天皇の父、兄なのです。
 まさに、紀元祭の主役?の神様の神社。。)


仕方なく、大きな鳥居の前を、

「本当は、柁鼻神社にお参りするのが本来なのに・・」

と、心の中で思いながら、会釈をして通り過ぎました。


約10分・・少し焦り気味で車を走らせ到着。

駐車場は・・雨のせいか?数台の駐車のみ・・

紀元祭

参加は勿論初めてで、どのようなものか?皆目見当もつきません。

祭・・まつり
という言葉の響きから・・

なにがしか?催しもの?があるのかしらん?

と、想像していました。

多少の人が集まっているのか?と思っていますので・・
「それにしては・・車が少ないな~」(^_^;) と そんな想いが頭をかすめます。

が・・もう時間がない!!

走って上宮へ!!

(こんな雨の日に、神社の参道を慌てて走るおばさんを・・
 周りの人は滑稽に感じたことでしょう(^_^;))

入口の鳥居をくぐると・・

日本古来の音楽・音色が響き・・
神殿(第二の御殿)の前には人が・・

ひと組の老夫婦 それから、ひと組の家族(3人)
それから・・息を切らすおばさん!(私)
神殿の中を見詰めるのは・・6人でした。

(^_^;)


紀元祭は、古式にのっとり、しきたりに沿った・・神事でした。
一般に公開するとかそういうものなく、神社の宮司さんによる・・神事。

神社が古式に従って行う行事。

想像とは違っていました。


宇佐神宮の本殿は、一の御殿 ニの御殿 三の御殿 から成っています。

御殿の中には 一般の者は入ることはできません。
(祈願を申し込み、初穂料を支払った者は別)

が・・中の様子は外から見ることができます。

ニの御殿の前では、六人が静かに見守ります。。


中では、白い装束に黒い烏帽子? 
平安時代の男性の装束とでも言えばいいでしょうか?
そうそう!!お雛さまのお伴をする三人の男性のようないでたちをした宮司さんが・・
祝詞をあげていました。

5分くらい上げられた祝詞の後・・

その背後に 同じいでたちの宮司さん6人が二列に並び、一同で祈りを捧げます。

ニの御殿の前には、6~7種類の供物が横一列に並べられ・・
供物の入れ物は、やはり お雛さまの三人官女の一人が持つ木製の器(名前が分からない)で、それぞれに供物がそなえてありました。

見えたのは・・鯛のお頭付きのみ・・他は見えません。

その後・・

一同は下がり・・

一人の宮司さんが・・供物になにやら手を伸ばしていました。
何をしているのかは 分かりません??

その後、その宮司さんも下がり・・

大太鼓の大きな音が響き・・

巫女さんが 朱色の供物置き(さっき、名前が分からないと書いた入れ物の色違い)
を持ち・・入ってくると・・

少し表情の和らいだ宮司さん達が、供物を下げはじめました。

これで・・紀元祭は終了のようです。


最初 6人いた参列者は・・

途中、老夫婦が、顔を見合わせ「そろそろいこうか?」と合図を送りあった後に、
立ち去っていきました。

三人家族は、いつのまにかいなくなっており・・
結局 最後まで参列したのは・・私だけ。。

「え~ 私だけかよ??」

と、心の中で自分に突っ込みを入れる私。。

他の参列者も・・紀元祭をわざわざ見に来たのではないのしょう。。
お参りしていて、たまたま居合わせただけの人のようでした。
でなければ、最後までいたはずです。

「きゃ~ オタク!!」

また・・一人ツッコミ!!



祭・・とはいえ、神事でした。

日本古来の祈り
古式にのっとった・・古くからの祈りの形式を目の当たりにしました。

これだけ近代化されても・・

ここでは 日本の紀元に祈りを捧げるという祈りの形が受け継がれていました。


神武天皇が・・

7年間の高千穂からの東行を終え、
日本で最初の天皇に即位した日。

日本がひとつにまとまった日。


いつも書きますが・・

このことをどれだけの人が知っているのでしょう。
私自身も・・これまで長い間知りませんでした。

教えてくれる場がないから・・
教育現場から抹消されているから・・

私達の親の世代でさえ、知らない。

その上の親の世代は・・戦争でゆがめられた天皇という存在を・・
敗戦という事実を前に口を閉ざし・・

自分たちのルーツを知る者が・・いない国。


参列者が少ないのは、雨のせいかもしれないけれど・・

ひとりぼっちで、紀元祭が終わったニの御殿の前に立ち・・

寂しい気持ちを感じる自分がいました。


身近にある神話(5) ~紀元祭・1

2010-02-11 11:50:15 | パワースポット
今日は・・

あいにくの天候。

ここのところ、天気がよく雨が降っていませんでしたが、
今日は久しぶりの雨。

私は、なぜか雨の日に落ち着きます。

洗濯物は乾かないし、靴も汚れて、うっと~し~けれど・・
雨の日は落ち着く。。

そして・・

紀元節

今から2670年前の今日・・
日本で最初の天皇である神武天皇が即位されました。

即位される七年前に、高千穂を出発され・・


以下 <教科書が教えない 神武天皇  著・出雲井 晶>より、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神武天皇御一行は、想像を絶するあらゆる困難苦しみを乗り越えて大和へ進まれました。

荒々しく刃向かってくる 八十健(やそたける)達に、
使いを出し、話し合い、手なずけ、仲良くするようにしました。

しかし、どこまでも反抗し里の人々を困らす者は仕方なく征伐しました。

とうとう大和(日本)は平和になり、伊波礼毗古命(いわれびこのみこと)は
大業をなしとげられたのでありました。


※伊波礼毗古命(いわれびこのみこと)= 神武天皇の長じられてからの名
 ちなみに・・神武天皇=なくなられて後の{おくりな}です。
 
  分かりよく書くと・・
 
 昭和天皇の本名は「裕仁」(ひとひと)といわれます。
 昭和天皇という呼び方は 亡くなられて後の「追号(ついごう)」
 (住まいなどの呼び名に由来する呼び方)です。

 なので・・
 今の天皇陛下のことを、平成天皇とは呼びません。
 正確には・・御存命の間は「今上天皇(きんじょうてんのう)」と呼びます。

 神武天皇・・という呼び方もこれらと同じです。

 

  著書に戻ります。。

日向からお供をし、命(みこと)と苦しみを共にしてきた人々も、
地元に住んでいた人々も、みな{いわれびこのみこと}をおしたいして、お住まいいただく宮居を建てました。

それは、畝火(うねび)(今の畝傍山)の東南の(今の)橿原(かしはら)の地でありました。

{いわれびこのみこと}はここに三種の神器をおまつりしおおせられました。

「日向をたち東行、大和の国をしずめる大変な大仕事をなしえたのは、
 すべて天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ
 御先祖の神々がお守り下さったおかげです。

 そして、皆が大変な苦しみを乗り越えてくれたおかげです。

 このうえは、天照大神のお心に添うように、
 大和の国のいしずえをしっかりしたものにするように、
 お互いに豊かな心をやしないましょう。

 人々がみな幸せに仲良く暮らせるようにつとめましょう。

 天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、
 一つ屋根の下の大家族のように仲良くくらそうではないか。

 なんと、楽しくうれしいことだろうか」

と、国民のことを「おおみたから」とおおせになられ、
{みことのり}をくだされました。

そして、{いわれびこのみこと}はここに我が国第一代の天皇のみ位におつきになりました。

辛酉(しんゆう)の年 正月一日 
今の太陽暦になおすと、二月十一日のことでありました。
(※今から2670年前の、2月11日・旧暦の元旦・・)

即位ののち、大業をなしとげるのに尽くした人々を{国造縣主(くにのみやっこあがたぬし)}
などにして、国民にいつくしみのお心をそそがれました。

国家統一の基礎が定まったので、鳥見の山(とみのやま)に、霊のにわ(まつりのにわ)
をたて、天照大神をお祀りになられました。


お住まいになった橿原のみやこは・・
大和平野の西にあり、飛鳥川が流れ、耳無山(みみなしやま)があり、
 
左に天の香山(あまのかぐやま)がそばだち、前方とおく吉野連山がのぞめます。
 
右方には葛城山脈(かつらぎさんみゃく)がつらなり、越えれば河内、淀川の大平野、
灘波津に出て瀬戸内海に通じています。

まさしく四方を青山にかこまれた美しい理想郷でありました。

第一代天皇は・・始くに天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と申し、
おかくれののち神武天皇とおくりな申しあげました。

御陵は・・
畝傍山(うねびさん)の北の方、かしの尾上(かしのおのえ)にあり
と、古事記に記されています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長くなりましたが・・出雲井さんの著書より転載。。


今日、二月十一日は・・

高千穂を出発し、七年の歳月をかけての東行を終え・・

今から2670年前に、

初代天皇、神武天皇が即位された日。
つまり、日本がひとつにまとまった日なのです。

今日は、日本にとってそのような歴史と意味のある日。。

紀元節の日。。


神社では、この日に年中行事として紀元祭が行われる神社があります。
(行われない神社もあります。行われる神社とそうでない神社は・・
 どうしてこのような差があるのでしょう?)

今年の初めに、宇佐神宮にお参りした際・・
紀元祭にお参りしよう!!と決めていました(自分の中で!!笑!)

そして・・

引っ越してきてからというもの、我が家で形だけになっている神棚に・・
ご神体?(大袈裟ですね^^!)をお迎えしたい!!

と、思っていました^^!!


台所と和室に、神棚を設置しているものの・・
どのように御祭してよいものか・・分からず。
教えてくれる人もおらず、こちらから調べもせず、3年が経過していました。


台所の神棚には・・御荒神さま=火の神様、台所の神様
和室の神棚には・・天照大神・氏神神社・崇敬神社の神さまをおまつりします。


建国記念の日で祝日の今日・・

宇佐神宮では、紀元祭が行われました。

紀元祭への参加?見学?お参り?

それから・・我が家へ、御神体をお迎えする。


雨など関係ありません(+o+)

車を走らせること、一時間半・・
妄想しながら進みました。


長くなったので、続きはまた。。

身近にある神話(4) ~柁鼻神社・2

2010-01-11 12:11:05 | パワースポット
<柁鼻神社>(かじはな神社)

{御祭神}

鵜草葺不尊(つかやふきあえずのみこと)   ~神武天皇の父
彦五瀬尊(ひこいつせのみこと)       ~神武天皇の兄
神日本磐余尊(かむやまといはれひこのみこと)~神武天皇

{御由緒}

八幡総本社である宇佐神宮は、神武天皇東遷の聖蹟とされ、
椎根津彦の命(椎宮の御祭身)に先導された神武天皇一行は
この柁鼻地に上陸されたと言われている。

「日本書紀」によれば、宇佐の豪族{うさつひこ}{うさつひめ}の御兄弟が
天皇の御一行に一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を建てて
大御饗(おおみあえ=食事)を奉りお迎えしたと伝えられるのが、この宇佐の地である。
また、この時、神武天皇の勅諚(ちょくじょう)により天種子命(あめのたねこのみこと~後の藤原氏)は
{うさつひめ}を妻としたことによって大和朝廷と宇佐との関係がより深くなる。
よって、この柁鼻の地に三柱の神を祀りお社を建てたのが柁鼻神社の始まりである。

八幡宮御祭神の神功皇后(じんぐうこうごう)は、
三韓出兵に際し、和間の浜おいて軍船を築造し、ここにて柁神(かじのかみ)を祀ると言われている。

また、勅使・和気清麿公(わけきよまろこう)上陸の地とされ、東側に{船繋石(ふなつなぎいし)}の遺跡がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


柁鼻神社は、国道沿いに鎮座しています。
宇佐神宮から 5~10分の本当に近いところです。 

国道から目立つところに、大きな鳥居があり・・神殿はそこからは見えません。
ゆるやかな階段を少し上がると奥に鎮座されています。

敷地はそう広くありません。

国道沿いに、船つなぎ石の看板もあるのですが・・どちらかというとこの看板の方が目立ちます。
(船つなぎ石は 神社の敷地内にはなく、神社外の東側にあります)

柁鼻神社を案内する目立つ看板は・・見当たりませんでした。



大きな鳥居のすぐそばに書かれていた{由緒}をそのまま転載しましたが、
柁鼻神社を案内したものはこれだけでした。

注意して読まなければ・・というか 興味のない方は読みもしないかもしれません。

由緒の内容は、先日ここで書いたものと同じ内容。
神武天皇ゆかりの神社であることは 歴然としていますよね。

残念なのは・・この御神殿がいつ創建されたものか?誰が建てたのか?
等の詳細までの記載がないこと。

今年は、皇紀2670年です
(初代天皇・神武天皇即位から2670年ということ)

神武天皇ご東行は即位以前の出来事ですので・・
この神社は皇紀前に 神武天皇が立ち寄られたゆかりの地ということになるわけです。

(今 私が<身近にある神話>で書いているのは、神武天皇が即位前のご東行ゆかりの地)


一歩一歩足を進めるにつれ・・

寂しい気持ちは否めませんでした。

宇佐神宮の大きな気、素晴らしい建物を感じた後だっただけに・・
その差に愕然とする気持ちを否定することはできませんでした。

「こんなにも差があるなんて・・」

勿論、社務所はなく・・地元の有志?のみがこの神社を管理?しているであろう・・と・・

多分 年末に草刈りをし・・綺麗に掃除はしてありました。

でも・・

こんなことを言うのは なんですが・・

ここでも 私達日本人は 自分達の国のルーツを知らない ということに・・
漠然とした危機感?のようなものを感じてしまいました。

自分の国の歴史、ルーツ・・天皇に関しては今の教育制度の中で抹消されている。

右とか左とか・・そういうことではなく・・

天皇の歴史を知ることは、自分たちのルーツを知ることなのに・・。


多分・・興味が無い者にとって、地元の人であっても・・
この神社がどんな神社なのかを知らないのだろうな・・

と。

寂れた神社をお参りしながら・・

そんなことを考えました。

折に触れて ここで同じことを書いてますが、今回もまた同じ気持ちになりました。

皆さまも・・御自分の住んでいる地元に、自分たちのルーツを知る場所が、隠れているかもしれません。

今の 教育で抹消された{それ}は・・
寂しくどこかでたたずんでいる・・

そんな気がします。












身近にある神話 (3) ~柁鼻神社・1

2010-01-10 21:31:59 | パワースポット
新年に入り・・

三社参りをしてきました。

いえ・・四社参りです。

9日、土曜日は・・晴天!!
絶好のドライブ日和!!

私は、神社は一人でお参りするのが好きなので・・
この日は主人の許しを得て、ゆっくり一人でお参り。。

(^^♪

一番に目指すのは・・大好きな宇佐神宮!!

昨年末にお礼参りしたかったのですが、行けませんでした。
なので・・今日はそのお詫び?!を兼ねて、新年のご挨拶。。

久しぶりの・・お参り。。
ひとりでゆっくりお参りできる!!ということで・・

宇佐神宮(宇佐市)
~今回初めてお参りする神社(宇佐市)
~浅見神社(別府市)
~柞原神社(大分市)

の順で 四社参りをしました(^.^)/~~~

宇佐神宮も勿論ですが・・

今日は、宇佐に鎮座している神武天皇ゆかりの神社にもお参りしたい!!
と、密かに思いながら・・

でも、場所が分からないので、どうやって探そうか??
と、試案しながら・・

晴天の青空を見ながら、妄想にふけりながら、車を走らせました。

先に書いた 今回初めてお参りする神社とは・・
宇佐に鎮座する、神武天皇のご東行ゆかりの神社です。

(^^♪

今の時代は想いが実現するスピードが速い・・と言われますが・・
ま・さ・に!そのと~りでした!!

宇佐神宮に向かう道沿いに・・大きな鳥居があるのです。

今まで、何度もその前を通りながら、何神社なのか?気にとめたこともなく
ひたすら宇佐神宮を目指して通り過ぎていました。

が・・

今日は・・

見るともなしに鳥居に目がいき・・

「え~ (^O^)/」

思わず車の中で・・ひとりで叫んで(大げさ!笑!)しまいました。

そうなのです・・ここが<柁鼻神社>(かじはなじんじゃ)だったのです。

(+o+)

お参りしたい!!と願っただけで、即、その日に、探さずに・・発見!!
も~驚きました。

こいつは春から・・縁起がいい!!(笑)

と、そんな大袈裟な話でもないのですが、
労せずして、柁鼻神社にご縁を頂けることになりました。

(^^♪

とりあえず、通り過ぎ・・まず目指すのは宇佐神宮!!

駐車場には警備の人が出るほど、多くの参拝者がいました。
神社内もまだお正月三が日の余韻が残っており・・
出店や古札を納める場所には、いつもと違うにぎわいがありました。

私は、「やっぱり、神社は平日の昼間に限るわ~」
と、心の中で呟きながらいつもの順番でお参りです。。

いつ参っても、本当に清々しい気!!
しっかりお参りし、相談事を聞いて頂きました。

大満足で神宮を後にしました。。

宇佐神宮を後に・元きた道を戻ること 約10分

柁鼻神社に到着です!!

「ここがそうだったのか~」と・・。


柁鼻神社は、以前・・
<身近にある神話~早吸姫神社1・2>(カテゴリー<パワースポット>の中にあります)で書きましたが・・

初代天皇である 神武天皇のご東行ゆかりの神社。

神武天皇が高千穂を出て~大和の国(今の本州)を目指す途中で、
海路で早吸灘(大分県佐賀関)を通り~宇佐に上陸されるのですが・・


(以下、教科書が教えない神武天皇・出雲井 晶著 より抜粋)

宇佐市和気の柁鼻神社が現在鎮座するところから、宇沙(宇佐)に上陸され、
宇沙都比古(うさつひこ)・宇沙都比売(うさつひめ)から
足一騰宮(あしひとつあがりのみや)でもてなされたと、今も伝えられています。
           
足一騰宮(あしひとつあがりのみや)は、床を低く広くした宮殿で、
宇佐の海の幸・山の幸でおもてなししたと伝えられています。

足一騰宮は、宇佐神宮に碑がありますが・・駅館川の川上、拝田にその跡あります。

宇沙都比古(うさつひこ)・宇沙都比売(うさつひめ)は、宇佐神宮のぼり宮に祀られており・・
宇佐神宮宮司の先祖と言われています。

                    (以上 抜粋終わり)

 という・・

神武天皇ゆかりの神社なのです。


新年早々、労せずして・・神武天皇ゆかりの柁鼻神社にご縁を頂き、
さあ、ゆっくりお参りです。。

                       続きはまた。。














高千穂~天の岩戸神社・3

2009-10-16 06:31:54 | パワースポット
天岩戸神社 東宮

御祭神は・・天照大神

東宮には、いわれや、創建がいつだったかを書いた立て札?はありませんでした。

著書によると・・

三田井家先祖である、大神太夫惟基(これもと)公は、
812年の中秋、悪夢に恐れて荒廃する東本宮社殿を再興し、深く 天照大神を崇敬したといわれます。
社殿は戦国乱世に炎上しましたが、1707年に再興され、延岡内藤藩主の篤い崇敬を受けました。
1846年以降 藩主の参詣が度々あったと言われます。

(西宮のところでも 触れましたが・・)

もとは、西宮とは別の神社でしたが、1970年(昭和45)に天岩戸神社と氏神社の合併が承認されて、天岩戸神社 西本宮・東本宮となりました。

と、記載されています。

・・このあたりの歴史やいきさつについては、書かれたものがなく、詳細は分かりません。
氏神社との合併・・とありますので、どちらかが、もともとは地元の氏神様を祀っていたのでは・と、思われます。(定かではありません)


東宮は、先に書いたとおり・・今回初めてのお参り・・

「え~ 知らなかった~」

道も分かりませんが、川向であろうことは推測できましたので・・
およその見当をつけて車を走らせること、3分!

すぐに見つけることができました。

看板があり・・こじんまりした駐車場。

見上げると、石段。
その先に鳥居。

神社はその先。。

駐車場からは「気」を感じることはできません。

が・・

神社への石段を登るにつれて、段々と空気が変化してきます。

「いい。。(^-^)」

それまでとは、空気が全く違っていました。
なんというか・・とても大きく、大らかで、包み込まれるような・・

途中に「七本杉」と呼ばれる、その名の通り、杉の木が7本並んで立っています。

神殿の様子は、西宮とは違います。
そのままの、というか・・観光化されてない、というか・・
当時のままと言えばいいのかな?

おごそかな気にあふれていました。

神社の裏には・・御神木の杉、根元から湧水(御神水)

「甘いの~」と 主人。
「うん!甘い!」と 下の子。

確かに まろやかで、甘いお水でした。
木の根元から、わき出る水を直接飲むことができます。

西宮と違い、人が全くいませんでした。

もしかしたら、東宮は観光コースに入ってないのでは?と感じさせるほど人けがなく・・
お参りする人は、地元の人だけ?といった感じでした。
駐車場に、観光バスはなく、警備のおじさんもいません。

とにかく・・西宮とは全く違っていました。

東宮からは、天安河原に繋がっていないと思われますので、
観光コースではないのかも?しれません。
売店もありませんでした。(天安河原近辺には売店があるのです)

あたりも、自然そのままで・・本当に良い気を感じました。

この感覚は 言葉で表現ができません。

久しぶりに、感性が癒される。。
何とも言えず・・いい。。

自分勝手に書かせてもらえば・・

もしかしたら、御神体はこちらにいらっしゃるのでは?

と。。

(ホント、勝手を書いてすみません。。)

でも、そんな感覚を感じさせるパワーが 東宮にありました。。


「また お参りしたい」

と、思っています。。

今回、急遽でしたが、念願の天岩戸神社にお参りできて、本当にうれしかったです。

残念ながら・・上の子を連れてくることができませんでした。
まだ、呼んで頂けなかったのかな?

なので・・次回は一緒にお参りしたいと思います。

天照さま・・ありがとうございました。

<(_ _)>






高千穂~天の岩戸神社・2

2009-10-15 17:18:09 | パワースポット
多くの人に、少し戸惑い、記憶はあてにならないものだと感じながら、
砂利道を歩きます。

(+o+)

思っていたよりも、神社までの距離は短く、
人が多いせいか、道が狭く感じられる。


天の岩戸神社

その名のとおり・・天の岩戸の神話 ゆかりの神社。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

乱暴者のスサノオ(スサノオのミコト)は、母(イザナミのミコト)に会いたいなどと無茶を言い、
父(イザナギのミコト)から「この国に住むな」と追放されてしまいます。

いとまごいにアマテラス(天照大神)を訪ねたスサノオは
「誓約をして清廉潔白を証明しなさい」と言われます。

  ※天照大神(アマテラスオオミカミ)とスサノオの命と月読命(ツクヨミのミコト)は兄弟の関係
   イザナギが禊をして生まれた3柱の神

約束事を決めずに誓約をしたのが 間違いだったのですが・・
アマテラスが「勝った」と言い張ったためにスサノオは狼藉を働き、
その有様を見て、アマテラスは岩屋戸に身を隠してしまいます。

太陽の女神が姿を隠したので、世の中は真っ暗な夜ばかり続き、災いも起きました。

そこで、八百万の神々は 天安河原(あまのやすがわら)に集まって知恵を絞りました。

              <神々の坐す里 高千穂の神社>
                (高千穂町企画観光課 監修) より転載

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この神社は、アマテラスが身を隠したといわれる、天岩戸周辺を神域・御神体として祀られています。

岩戸川の上流には、天の岩戸(アマテラスが身を隠した)と天安河原(八百万の神々が神議を開いた)が、あり・・

岩戸の中には、御祭神として、
思兼神(オモイカネのカミ)と八百万の神(ヤオロズのカミ)が祀られています。

岩戸川をはさんで、天岩戸を直拝するかたちで、西宮 と 東宮
の・・二つの天岩戸神社が鎮座されています。

二つは・・もともと違う神社だったのですが・・
昭和45年(1970)に合祀され、同じ、天岩戸神社の西宮と東宮になったそうです。

このことは、案内書を購入して、今回初めて知りました。
以前 立ち寄ったのは、西宮だけで・・東宮があることを知らなかったので、
本を購入しなければ・・危うく 東宮にお参りせずに帰ってしまうとこでした。

最初に到着し、多くの人がお参りしていたのは{西宮}です。

<天岩戸神社・西宮>

御祀神は・・大日霊尊(オオヒルメのみこと)ー天照大神

創建は・・・不詳

いわれは・・先に書いたとおり。


西宮に到着しましたが・・以前お参りした時の記憶が全くありませんでした。
全く覚えていませんでした・・((--〆))

西宮を過ぎて、15分ほど川上へと歩くと、大きな岩戸?が現れます。

多くの人と、一列に並んで歩きます。。

岩戸川の川幅は広くなく、向こう岸?川辺?は、岩で囲まれ・・
静かなせせらぎが聞こえます。
水は透きとおり、とてもきれいでした!!

しばらく進むと、急に視界が開け・・

大きな岩が現れました。

ここが、アマテラスが身を隠したといわれる・・天の岩戸。
その付近の河原が・・八百万の神々が相談をしたといわれる・・天安河原。

大きな岩は・・多分、一枚岩だと思われます。
かなりな高さがあり・・下のほうは大きく えぐり取られたようになっているのです。
その奥に・・御祭神は鎮座されています。

洞窟のように 深い穴?ではなく、大きくえぐられたような形です。
(うまい表現がみつからなくて、スミマセン('_'))

奥まで入ると、ひんやりして気持ちいい。。

ここは、かすかに記憶がありました!

河原に石を積むと、八百万の神が願いを叶えてくれるそうで・・
主人と下の子は・・一生懸命積んでいましたよ(^-^)

私は、積みませんでした。
なんとなく、今はまだ願いごとをするのは、時期尚早だと感じたからです。


もと来た道を戻り・・

今度は東宮へ。。


              また、続く。。

高千穂~天の岩戸神社・1

2009-10-14 05:59:57 | パワースポット
宇佐神宮で 出雲井さんの本を購入し・・

神武天皇の東行での神話にまつわる神社が、身近にあることを知り・・
先々週、本に書かれてあった{早吸日女神社}にお参りに行って・・

大満足!!(^O^)/

もう しばらくは大人しくしておこう!!って感じで、一週間を過ごしました。
なにせ、主人がその気にならなければ、私の遠出は叶わない。。

ところが。。

週末。。

主人が唐突に「行こうかの~」と言いだしました。

「え~?!」

もう ピーンとくる!!

「え?!ホント?!」

主人「どこに行くか分かるんか?( ^^) 」

「うん!高千穂?」

主人「当たり!!」

少し前に<「縁」「タイミング」「相性」>のところで書きましたが、
宇佐神宮か高千穂どちらに行くか? 
・・その日は結局、宇佐神宮にお参り、高千穂行きは断念。。

また縁を頂けたらいいな~ と、かなり気長に構えていました。

なので・・主人の言葉に驚き!!
私の中では、急遽!かなり急!!

遠距離の神社巡りは、主人の肩にかかっているので・・
も~気が変わらないうちに出発!!(笑)

慌てて?体制を整え・・10月11日に行ってきました。

(^O^)/

この日も、心地よい秋の快晴!!
澄んだ空気!青い空!暑くなく、寒くなく!
バッチリの気候でした。

ここから約3時間。

本当は、近道があるのですが、道が分からず・・時間がかかってもわかりよいコースで進みました。

天の岩戸神社は・・

ずーっと以前に、何気なく立ち寄ったことがあるのですが・・
なにせ 神社に興味がないころだったので、うろ覚え。。

どんな神さまが祀られているのかさえ知らない。
神話の「し」の字も知らない頃でした。

車の中で思い出すのは・・

雨が降っていて 人が全くいなかったこと。
あたりに木が茂っていて、砂利道を歩いたこと。
宇佐神宮ほどの広さはなかったこと。

神社の建物とは 少し離れたところに、天の岩戸(神話)ゆえんの場所があること。

上の子が赤ちゃんの頃だったので、子供を抱っこして重たかったこと。

覚えているのはその程度なので・・

「どうしてももう一度お参りしたい!!」
と、主人を洗脳していたのです(笑!)

到着!!

多くの人!
まず 人の多さにびっくり!!

バスでの観光の人も多く、驚きました。

駐車場には・・警備のおじさんまで。。

「今日は何かあるのですか?」と、思わず聞くと・・
「いえいえ、土日は多いのですよ。今は気候もよくなりましたからね~」と。

「へ~」

うろ覚えの記憶を覆えされる・・人の多さ。。

「こんな感じだったかな~」

自分勝手な戸惑いを感じながらも・・

久しぶりの神社を思い出しながら、足を進めるのでした。。

(@^^)/~~~

                 
                        続きはまた。。











身近にある神話(2) ~早吸日女人神社・2

2009-10-13 07:35:37 | パワースポット
お参りはしてないけれど・・一度は来たことがある神社。

祀られている神様は・・

八十枉津日の神(やそまがつびのかみ)
大直日神(おほなほびのかみ)
底筒男神(そこつつのをのかみ)~いざざなぎの命が禊をしたときに生まれた海神
中筒男神(なかつつのをのかみ)~   〃
表筒男神(うはつつのをのかみ)~   〃
大地海原諸神(おほとこうなばらもろもろのかみ)

創祀は・・

皇歴紀元前7年(西暦紀元前667年)

 ※皇歴とは・・皇紀のこと。
  神武天皇が即位されてから・・今は皇紀2669年となります。
  皇紀とは、日本の年号(初代神武天皇即位から数えて、125代の今上天皇までの年代の数え方)
 
  神武天皇が日本初の天皇として即位されたのが、
  西暦紀元前660年(これが皇紀元年となる)とされているので、
  2009年+660年=2669年が今の皇紀となる。
  
  この神社は、皇紀紀元前7年とありますので、神武天皇が即位した 
  西暦紀元前660年(皇紀元年)の7年前に創祀されたことになるわけです。
  
  神武天皇が 東行される道中でのゆかりの地であることが、
  創祀の年代でリアルに感じられます。

  つまり・・この神社は神武天皇即位の7年前に創祀され・・
  2676年前に創祀されたことになるわけです。


ちょっと ごちゃごちゃしていますが・・歴史を感じて頂ければ幸いです。

それにしても・・

長い長い年月を経て 初代天皇ゆかりの神社がいまなお鎮座している・・
天皇即位の前から・・
日本という国が 形作られる前から・・

と 考えるだけで。。ロマンを感じます(^v^)

言われは・・

神武天皇 東行の途中、海女の 黒砂(いさご)と真砂(まさご)の二神が、
早吸灘の海底から神剣を取り上げて天皇に奉献し、
その神剣を御神体として(早吸日女の神)天皇が御自ら古宮の地に奉斎し建国の大誓願をたてられたのが創祀である。

残念ながら・・

出雲井さんの本には この神社にまつわる神話(海女の二神の神話)は出てきませんでした。
でも、早吸日女神社の紹介はされており・・
ここは少し疑問に感じました。

佐賀関は 半島で、周りを海に囲まれています。
車で約30分程度で一周できるほどの広さしかありません。
高台からは、早吸灘を見ることもでき・・天気が良い時には早い潮の流れを見ることができます。

この日は、素晴らしい秋の快晴!
早吸灘の 早い潮の流れを一望することができました!!

途中。。黒い砂浜 と 白い砂浜の海岸があるのです。
見てみると・・本当に黒い、本当に白い(笑!)

黒い砂浜は・・早吸灘で削られたであろう、まんまるく、角のないつるつるした黒い石があります。
白い砂浜は・・普通の砂浜。

海神の 黒砂(いざご)真砂(まさご)の名は・・
この海岸にちなんで?つけられたのでは?と・・想像を掻き立てられます。。

不思議で、面白いですよね。。(^v^)

出雲井さんの著書には出てきませんでしたが・・
なんだかのゆかりの地であることを 感じるだけで・・

それまでと、その場所を見る目、捉える目が変化してきます。

佐賀関には何度も行きましたが、ただの田舎町だとしか思っていませんでした。 神話にまつわるこんなに面白い場所だとは。。知らなかったのです。

(^-^)

うずびこ(さおねつひこ)という 国神が身近なこの地にいて・・
天皇の東行を助けたことにも、興味を持ちました。

さおねつひこ は 天皇の東行に同行し、
佐賀関を出た後、宇佐市に立ち寄るまでの、九州(筑紫)の海の案内をします。

いずれ、下浦(臼杵市)のさおねつひこ神社にも お参りしたいと思います。。

黒砂・真砂・さおねつひこ この3柱の神さまも、本殿?ではありませんが、
早吸日女神社の敷地内に 祀られていました。

ともずな岩は探しましたが。。分かりませんでした。
海岸沿いに有名な岩があるのです(しめ縄がかけられている)が、それが このともずな岩なのかは分かりませんでした。

残念なのは・・

ゆかりの地であることが、観光案内にも掲載されておらず・・
ネットにも、観光案内程度の記述しかないこと。

初代天皇との関係や、神話との関係を分かりよく書いたものはありませんでした。

残念に思います。


身近にある神話

貴方も探してみませんか?

それまでとは、見る目が変わる!景色が違って見える!のは確かです!!

(^-^)