心の傷
言葉を飲み込んでしまうと・・その傷は深く、ジレンマに陥る。
相手の事が大事であれば あるほど・・傷は深く残る。
言葉を飲み込んでしまった分・・それは深い。
先日も書きましたが こういうことがよく有ります。
その傷とは・・<許せない>というジレンマ。
大切な人から 理不尽な事をされ・最後は言葉を飲み込む。
父に対しても 同じでした。
私達を困らせ続けた父。
私は その父に対して・・出来る限りの言葉で訴えてきました。
「頑張って欲しい・・」
出来る事は全てやった。全身全霊を傾けた。
でも・・その願いは叶いませんでした。
父は仕事を止めた。
私の心の糸は 切れました・・音も無く。
もしかしたら、自分で切ったのかもしれません。
それは・・分からない。
切れた糸は 繋がりませんでした。
切れた糸 その後に残ったのは
<許せない心>でした。
「言っても駄目」
いつからか 訴える事・言う事を諦めてしまったのかもしれない。
「頑張っても・・どうせ叶わない」
心の深いところで そんな虚無感?を抱えている気がします。
自覚の無かった強い・深い自己否定。
許せない・・その言葉の裏側には・・エゴがあります。
<自分はまちがっていないというエゴ>
年月が経過して・・父の気持ちを深く知ったとき。
私の心はようやく 溶け始めました。
そして・・ココで棚卸をし、ようやく水に戻りました。
娘から 亡・父の声を伝えられて ようやく父を許せた。
心の氷が溶けました。
そして・・
全てを父のせいにしていた自分に気が付きました。
<自分は悪くないというエゴ>
でも 魂のしくみはそうではない。
自分の中に 原因がある。
出会った スピリチュアルな人物にこう言われました。
「お父さんも・・自分で決めた」
「貴方は不登校を経験しなければ 学べなかった」
それは 理屈ではよく分かっていました。分かっているつもりでした。
でも・・それを聞いたとき・・抵抗しました。
「あんなに 大変だったのに・・自分が原因?」
けれど・・それは過去世との絡みでも 紛れも無い事実。
過去世でも同じ過ちをしていました。
「最後の最後に神様を恨んで死んだ」
それまで与えられている事を 最後の最後の一点で 全て否定した。
神様を 否定した・・許せなくなった。
<許せない>
<自分は間違っていないというエゴ>
私は そこからやり直す事を決めて この世に戻ってきた・・折り合いが付きました。
その答えを求めていたはずなのに・・答えが出てきた途端拒絶してしまった。
自分の業・カルマの深さに 恐れを抱いたです。
でも・・もう 抵抗・拒絶するのを止めました。
私は そこからやり直す事を決めて今世 生まれて来たようです。
<許すこと>・・神様を否定した自分・そして自分にひどい事をした他人を・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の鬱は小学校低学年から始まりました。
その波は18まで続き・・不思議な事にピタリと止まりました。
「なぜ?」
本当の病であれば 波は引きません・・一生付き合っていかなければいけない。
でも私の{鬱}・・波はきれいに引きました。
それまでの荒波は嘘のようでした。
だから 知りたかったのです。この経験が何なのか?
学校に行けなくなるのは・・この鬱が原因。
いじめではありません、友人・先生には恵まれていました。
家庭環境は・・確かに鬱を誘発する環境でした。母は自分を責めていたようです。
でも 私は心の底で、「もっと違う何かが原因ではないか?」「環境が原因ではなく・・家の流れではないか?」と 確信に似た思いを抱き続けてきました。
子供の頃からぼんやりと その感覚はありましたが、この頃はまだ 課題をこなすのに大変でしたし、そんな漠然とした思いを探求する知恵も知識もある訳がありません。
欝の辛さは・・本人にしか分からない。
行きたいのに行けなくなる。
母を困らせたくないのに困らせる。
そんな自分が 許せなくなる。
積み上げる努力は 波に全てかき消されます。
よく さぼり とか 根性が無いからだ とか 気力だ! 思い込みでは?
と勘違いされますが、欝はそんなものではありません。
経験した方はお分かりだと思います。
ある宗教で{法的因縁}という言葉があります。
法的因縁・・法=神様に仕える・宗教・お経
法的因縁は 頭のもの・・が出るのだそうです。
頭のもの・・精神的な病(鬱・分裂・ノイローゼ)・脳溢血等 つまり頭に出る病。法的因縁は頭に出るそうです
こう聞いたとき「やっぱり」と思いました。私の欝は法的因縁。
「多分 父方の家の流れとしてのカルマ・業だろう」とぼんやり感じました。
法的因縁は地域性もあるのだそうです。
私が住んでいるこの土地(県)・父が生まれた土地・・法的因縁が濃い土地だそうです。
だから・・他県よりも その手の病院が多い。
その後・・
セラピーで 過去世を見て無念の死を遂げた巫女だったと知りました。
数人の霊能者にも 巫女だったと指摘されました。
神様に近い所にいた。けれど・・最後は神様を否定して死んだ。
自分の中で 自分が抱えてきた<業・カルマ>を 認識しました。
自分が 鬱で苦しんだのがどういう事だったのか・・。
<法的因縁・頭のもの>です。
ぼんやりと感じていたことが 確信に変わりました。
不登校にも色々あります。
・行かない(俗に言うさぼり型)
・外側に原因があり行かない~学校・家庭に原因があって行けなくなる~環境が誘発する これは原因のある鬱
・内側に原因があり行きたくても行けない~つまり特に原因が無い。
私の場合は 家庭環境にも原因がありましたので 母は自分のせいだと自分を責めていたようです。
でも 私は心の底で「それだけではない・・環境だけのせいではないもっと違う何か原因のはずだ」と 問いを抱き続けてきました。
そして 答えを得ました。
この事を 自分の事として認め、受け入れるまで時間が掛かりましたが・
今 やっと折り合いが付いています。
かなり 強い法的因縁(業・カルマ)を抱え 幼い頃にそれを課題としてこなしたのだと思います。
個人的に鬱は 現存の西洋医学で根本的な解決はできないのでは?と 思っています。というか 西洋医学で解決できない(しにくい)鬱もある と思います。
もちろん それだけではない・・外側に原因がある鬱・脳の疾患等は原因を取り除けば解消されます。
けれど、内側から出てくる鬱は簡単ではありません。
私は・・外側にも原因がありましたので 当時はそれだけが原因かな?と・・。
人間だれしも 悩みが無い人など いません。それが原因と思えばそうなる。
だから 自分の鬱がどこから来ているかを 判断するのはとても難しいと思います。
私の欝は 外側・内側 どちらともがミックスだったと思います。
私が知りたかったのは これです。
自分の欝は何だったのか?魂のしくみとしての経験の意味はどう言う事だったのか?
探し当てて・・出てきたものに恐れをなし 気持ちに折り合いをつけるのに時間がかかってしまいましたが・・今は これらを確信しています。
<魂の課題(業・カルマ)としての 鬱>
前世療法で 鬱に効果的な成果がある という実例もあるそうです。
私の場合は まさにこれだったと思います。
もし このブログを読んで下さっている方の中に・・
鬱・不登校で苦しんでいる方がいたら・・
私の経験を 一つの事例として・・参考にして頂ければいいな と思います。
・前世療法
・波動的見地からの療法(江本勝さん等)
西洋医学で効果が無い方は・・試してみられると良いのでは?
欝は 根性や気力ではどうにもならないものです。
経験者だから 断言できます。
鬱の性格的要素として・・几帳面・まじめ・完全主義 が挙げられます。
だから 自分で抱え込んで無理をしようとする。
周りの人に理解してもらえなかったら・・地獄を感じます。
まず 無理をせずに助けを求めてください。
そして・・西洋医学で解決できない場合は・・
私の例も参考にして頂けると良いと思います。
言葉を飲み込んでしまうと・・その傷は深く、ジレンマに陥る。
相手の事が大事であれば あるほど・・傷は深く残る。
言葉を飲み込んでしまった分・・それは深い。
先日も書きましたが こういうことがよく有ります。
その傷とは・・<許せない>というジレンマ。
大切な人から 理不尽な事をされ・最後は言葉を飲み込む。
父に対しても 同じでした。
私達を困らせ続けた父。
私は その父に対して・・出来る限りの言葉で訴えてきました。
「頑張って欲しい・・」
出来る事は全てやった。全身全霊を傾けた。
でも・・その願いは叶いませんでした。
父は仕事を止めた。
私の心の糸は 切れました・・音も無く。
もしかしたら、自分で切ったのかもしれません。
それは・・分からない。
切れた糸は 繋がりませんでした。
切れた糸 その後に残ったのは
<許せない心>でした。
「言っても駄目」
いつからか 訴える事・言う事を諦めてしまったのかもしれない。
「頑張っても・・どうせ叶わない」
心の深いところで そんな虚無感?を抱えている気がします。
自覚の無かった強い・深い自己否定。
許せない・・その言葉の裏側には・・エゴがあります。
<自分はまちがっていないというエゴ>
年月が経過して・・父の気持ちを深く知ったとき。
私の心はようやく 溶け始めました。
そして・・ココで棚卸をし、ようやく水に戻りました。
娘から 亡・父の声を伝えられて ようやく父を許せた。
心の氷が溶けました。
そして・・
全てを父のせいにしていた自分に気が付きました。
<自分は悪くないというエゴ>
でも 魂のしくみはそうではない。
自分の中に 原因がある。
出会った スピリチュアルな人物にこう言われました。
「お父さんも・・自分で決めた」
「貴方は不登校を経験しなければ 学べなかった」
それは 理屈ではよく分かっていました。分かっているつもりでした。
でも・・それを聞いたとき・・抵抗しました。
「あんなに 大変だったのに・・自分が原因?」
けれど・・それは過去世との絡みでも 紛れも無い事実。
過去世でも同じ過ちをしていました。
「最後の最後に神様を恨んで死んだ」
それまで与えられている事を 最後の最後の一点で 全て否定した。
神様を 否定した・・許せなくなった。
<許せない>
<自分は間違っていないというエゴ>
私は そこからやり直す事を決めて この世に戻ってきた・・折り合いが付きました。
その答えを求めていたはずなのに・・答えが出てきた途端拒絶してしまった。
自分の業・カルマの深さに 恐れを抱いたです。
でも・・もう 抵抗・拒絶するのを止めました。
私は そこからやり直す事を決めて今世 生まれて来たようです。
<許すこと>・・神様を否定した自分・そして自分にひどい事をした他人を・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の鬱は小学校低学年から始まりました。
その波は18まで続き・・不思議な事にピタリと止まりました。
「なぜ?」
本当の病であれば 波は引きません・・一生付き合っていかなければいけない。
でも私の{鬱}・・波はきれいに引きました。
それまでの荒波は嘘のようでした。
だから 知りたかったのです。この経験が何なのか?
学校に行けなくなるのは・・この鬱が原因。
いじめではありません、友人・先生には恵まれていました。
家庭環境は・・確かに鬱を誘発する環境でした。母は自分を責めていたようです。
でも 私は心の底で、「もっと違う何かが原因ではないか?」「環境が原因ではなく・・家の流れではないか?」と 確信に似た思いを抱き続けてきました。
子供の頃からぼんやりと その感覚はありましたが、この頃はまだ 課題をこなすのに大変でしたし、そんな漠然とした思いを探求する知恵も知識もある訳がありません。
欝の辛さは・・本人にしか分からない。
行きたいのに行けなくなる。
母を困らせたくないのに困らせる。
そんな自分が 許せなくなる。
積み上げる努力は 波に全てかき消されます。
よく さぼり とか 根性が無いからだ とか 気力だ! 思い込みでは?
と勘違いされますが、欝はそんなものではありません。
経験した方はお分かりだと思います。
ある宗教で{法的因縁}という言葉があります。
法的因縁・・法=神様に仕える・宗教・お経
法的因縁は 頭のもの・・が出るのだそうです。
頭のもの・・精神的な病(鬱・分裂・ノイローゼ)・脳溢血等 つまり頭に出る病。法的因縁は頭に出るそうです
こう聞いたとき「やっぱり」と思いました。私の欝は法的因縁。
「多分 父方の家の流れとしてのカルマ・業だろう」とぼんやり感じました。
法的因縁は地域性もあるのだそうです。
私が住んでいるこの土地(県)・父が生まれた土地・・法的因縁が濃い土地だそうです。
だから・・他県よりも その手の病院が多い。
その後・・
セラピーで 過去世を見て無念の死を遂げた巫女だったと知りました。
数人の霊能者にも 巫女だったと指摘されました。
神様に近い所にいた。けれど・・最後は神様を否定して死んだ。
自分の中で 自分が抱えてきた<業・カルマ>を 認識しました。
自分が 鬱で苦しんだのがどういう事だったのか・・。
<法的因縁・頭のもの>です。
ぼんやりと感じていたことが 確信に変わりました。
不登校にも色々あります。
・行かない(俗に言うさぼり型)
・外側に原因があり行かない~学校・家庭に原因があって行けなくなる~環境が誘発する これは原因のある鬱
・内側に原因があり行きたくても行けない~つまり特に原因が無い。
私の場合は 家庭環境にも原因がありましたので 母は自分のせいだと自分を責めていたようです。
でも 私は心の底で「それだけではない・・環境だけのせいではないもっと違う何か原因のはずだ」と 問いを抱き続けてきました。
そして 答えを得ました。
この事を 自分の事として認め、受け入れるまで時間が掛かりましたが・
今 やっと折り合いが付いています。
かなり 強い法的因縁(業・カルマ)を抱え 幼い頃にそれを課題としてこなしたのだと思います。
個人的に鬱は 現存の西洋医学で根本的な解決はできないのでは?と 思っています。というか 西洋医学で解決できない(しにくい)鬱もある と思います。
もちろん それだけではない・・外側に原因がある鬱・脳の疾患等は原因を取り除けば解消されます。
けれど、内側から出てくる鬱は簡単ではありません。
私は・・外側にも原因がありましたので 当時はそれだけが原因かな?と・・。
人間だれしも 悩みが無い人など いません。それが原因と思えばそうなる。
だから 自分の鬱がどこから来ているかを 判断するのはとても難しいと思います。
私の欝は 外側・内側 どちらともがミックスだったと思います。
私が知りたかったのは これです。
自分の欝は何だったのか?魂のしくみとしての経験の意味はどう言う事だったのか?
探し当てて・・出てきたものに恐れをなし 気持ちに折り合いをつけるのに時間がかかってしまいましたが・・今は これらを確信しています。
<魂の課題(業・カルマ)としての 鬱>
前世療法で 鬱に効果的な成果がある という実例もあるそうです。
私の場合は まさにこれだったと思います。
もし このブログを読んで下さっている方の中に・・
鬱・不登校で苦しんでいる方がいたら・・
私の経験を 一つの事例として・・参考にして頂ければいいな と思います。
・前世療法
・波動的見地からの療法(江本勝さん等)
西洋医学で効果が無い方は・・試してみられると良いのでは?
欝は 根性や気力ではどうにもならないものです。
経験者だから 断言できます。
鬱の性格的要素として・・几帳面・まじめ・完全主義 が挙げられます。
だから 自分で抱え込んで無理をしようとする。
周りの人に理解してもらえなかったら・・地獄を感じます。
まず 無理をせずに助けを求めてください。
そして・・西洋医学で解決できない場合は・・
私の例も参考にして頂けると良いと思います。