一期一会

日々是好日な身辺雑記

コロナ禍の奥蓼科旅行

2020年08月03日 | 旅行
31日(金)から2泊3日で義父母が眠る小諸の先祖代々の墓参りにカミさんと娘、義妹と姪と行ってきた。
今回はコロナ禍という事もあり、どうしようかとの話しをカミさんと義妹との間でしていたが、8月上旬の墓参りは長年続いているので、例年通り行う事になった。
この墓参りに合わせて娘が会社提携保養施設で、31日の東急ハーヴェストクラブ蓼科が予約出来たので、一時的に巣篭もり生活から解放され奥蓼科の高原散策を楽しんできた。

(車山高原)


(御射鹿池)


(横谷峡の王滝)



東急ハーヴェストクラブ蓼科は標高1,366mの広大な敷地の東急リゾートタウン内にあり、
テニスコートやフィールドアスレチック、レストランが点在し、その中を循環バスが廻っているという、高原の自然を生かしたデベロッパー東急らしい施設だ。
夕食はリゾートタウン内の和食の店を予約しておいたが、お客は我々だけでアラカルトの料理の品数も少なく、その料理も値段の割にはイマイチで完全に外れだった。
これは全員一致の感想で、その外れぶりに良い思い出になったと笑い話になったが、コロナでの客数減少という影響なのだろうか。
この日は昼に食べた女神湖側の(そば処せんすい)の田舎蕎麦のせいろは、そばつゆの他に塩でも食べたが美味しかった。







翌朝は朝食前に樹林の中のトレッキングコースを1時間ほど歩いてきたが、途中リスを見かけ、雄大な八ヶ岳連峰を眺める事が出来た。
そして館内レストランでのビュッフェスタイル朝食は、マスク・手袋着用で料理を取るというコロナ対応で、初めての体験だった。







旅行2日目の8/1(土)は北八ヶ岳ロープウェイに乗り、標高2237mの坪庭自然園へ行ってきた。7分くらい乗るロープウェイのゴンドラから、立派な角を生やしたニホンジカを見る事が出来た。山頂駅を降りると広がる坪庭自然園は、一周40分くらいで廻れる探勝路が整備されており、八ヶ岳の噴火による溶岩がゴロゴロしている坪庭の木道を歩いていくと、北八ヶ岳の山並みを眺められる。ただ長く続いた梅雨のせいか、40種くらい群生すると言われる高山植物を見る事は出来なかった。

坪庭自然園散策の後は長門牧場へ向かうが、途中我々の車の前をニホンジカが走って横切るという驚きの場面に遭遇した。目の前の5m先という近距離だったが幸いにも衝突する事もなく良かった。
長門牧場では牛やアルパカを見ながらここで1番人気のソフトクリームを食べたが、さすがに牧場らしく濃厚でミルキーな味の絶品のソフトクリームだった。ここで昼過ぎだったが朝のバイキングで腹も空いてなかったので、八島ヶ原湿原へ行きたいという娘とは別行動にして、義妹達の車に移り道の駅巡りをしながら、湯上りの一杯の為に軽井沢エールビールとツマミを仕入れて、この日の宿(布引温泉 こもろ)へ向かう。

(北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅)


(坪庭自然園)


(長門牧場)




(布引温泉 こもろ)は入館時に検温とアルコール洗浄した上でのチェックインとなった。
墓参りの時に昔からよく利用しているが、露天風呂では浅間山を眺めながらのんびりと風呂に浸かるのがここでの楽しみだ。夕食は郷土料理コースを予約していたので好きな鯉の洗いと鯉のうま煮を食べる事が出来た。どちらもカミさんと結婚してから覚えた味で、墓参りの時に泊めて頂いた叔父さんの家では、これに加えて千曲川で釣った鮎の塩焼きが必ず出てきた。



 朝食はバイキングで東急ハーヴェストクラブと同じく手袋とマスクをしての料理を取るという作法だった。これは国が勧めるガイドラインなのだろうか。レストランの中を見渡すと夕食と同じく我々を含めて4組だけだった。緊急事態宣言解除後に予約した時には、ほぼ満室だったらしいが、その後の感染再拡大と全国的な(来ないで下さい)報道で、キャンセルが相次いだとの事だった。

一週間前にはお寺近くの長野銀行小諸支店が職員のコロナ感染を公表したら、窓ガラスを割られるという事件が新聞やテレビで報じられていたが、いつも墓参りする時はこの銀行の屋外駐車場に停めるのだ。
長門牧場では駐車していた品川ナンバーの車のボンネットに白いものが付着しており、車のフロントには(群馬在住)の札が置いてあった。カミさん達は鳥の糞だろうと言っていたが、そんなものを水洗いしないで観光ドライブをするだろうかと思った。
この種の話が報じられている事もあり、墓守りの従弟の家には寄らなかった。
カミさんは東京生まれだが、夏になると叔父さんの家に長期逗留していたらしいので仲が良く、その従弟の結婚式にも2人で出席したくらいだ。

そしていつも寄る軽井沢の追分そば茶屋とアウトレットにも行かなかった。
心配性姉妹を前にしては、楽観主義者の私も(大丈夫だから行こうよ)とも言い出せず、13時には小諸を後にした。