一期一会

日々是好日な身辺雑記

ミャンマー・旅のまとめ

2016年07月03日 | 旅行


ミャンマー旅行から戻り3日経ち、今朝はいつものジョギングコースで6km走った。
旅行中歩き廻り、1時間近く階段を上る寺院が数ヶ所あり、そして自転車で見所を
廻っていたので、久し振りの走りだったが脚が鈍っている感じは無かった。

今回の旅行は世界三大仏教遺跡のバガンを見たくて企画し、そこにヤンゴン、
マンダレー、インレー湖、ゴールデンロックを加え15日間で廻った。
今まで廻った東南アジアの国と比べると、経済的にはまだまだこれからという感じで、
社会インフラが整っていないので、個人旅行で廻るには少しハードな部分もあった。
ただ個人旅行だと否応なくミャンマーの人達と接する機会が多くなるが、
そんな時に感じたのが温和で親切な事と親日的である事を様々な場面で感じた。

今回のミャンマー旅行で気づいた事、感じた事をまとめてみる。
但しこれは個人旅行の場合の話で、旅行会社のツアーで行く場合は関係ないかもしれない。

●ミャンマー人(ビルマ人)
ミャンマーには135の民族が居住している多民族国家であるが、70%の人がビルマ族で
ミャンマー中央部(ヤンゴン、バガン、マンダレー)に住んでいる。
タイやラオスと国境を接するシャン州には9%のシャン族や、7%のカレン族やモン族の
他にも多数の少数民族が住んでおり、言葉や生活習慣も違うと言う。
イーレン湖のあるシャン州の町ニャウンシェに行くと、明らかにそれまで廻ってきた
ヤンゴン、バガン、マンダレーの人達と顔つきが違うし、行き交う言葉の調子も強くなる
感じがした。ニャウンシェのマーケットに行くと色々な衣装の人を見かけるし、
インレー湖にはロングネックのパダウン族の女性も見かけた。
従ってここで言うミャンマー人の印象というのはビルマ人の事であり、他の民族の人とは
コミュニケーションを取る術が無かった。

●移動と見て歩きの手段

都市間を移動する場合は長距離バスを利用するが、これが座席前も広く、
リクライニングシートも飛行機より深く倒れ、ミネラルウォーターやジュースと
パンなども付き意外と快適である。
2回利用したJJ EXpressは座席にモニターも付いているが、イヤホンは自分の物を使う。
座席は2シートと1シートなので、一人旅でも気楽に1シートの方でリラックス出来る。

乗合いバスは特に停留所がなく、道路脇に乗りたい人がいれば停り、
町中に入れば車掌という立場の人が大声を上げて、乗車勧誘をするという具合だ。
自分が降りる町はこの人に念押ししておかないといけない。
町中の見て歩きには自転車やウォーキングで廻ったが、ヤンゴンやマンダレーのような
都市でも横断歩道や信号がないので大変だ。バスや乗用車もクラクションを鳴らしまくり
という状態なので一層疲れが増す。ウォーキングで道路を渡るのは2月に行ったハノイでの
(走るな、止まるな、バックするな)の経験が生きた。

バガンの遺跡巡りは自転車でしたが、40平方kmという広大な土地なのでEバイクを
利用した方が効率的だろう。バイクと言ってもクラッチは無く、アクセルとブレーキだけの
簡単な操作で動くものらしい。
マンダレー滞在中は旧王宮に行く時に自転車を利用したが、それ以外はバイクタクシーを使った。
町中から主な見所までは1.500〜2.000チャットで行くので、乗る前に確認しておく事が必要だ。

●ホテルとWifi

今回は大使館へのVisa申請の関係から出発前にホテルをBookingcomで予約していた。
ヤンゴンのホテルが二つ星で、それ以外は三つ星だったが総じてフロントの人達は
親切でサービスも良かった。ただシャワーの出が悪かったり、TVもCNNやBBC等の
ニュース番組の放送が無かったりと、他のASEANの国と違っていた。
Wifiは繋がりが悪く、繋がっても映像をDownloadするようなYoutubeは使えなかったし、
1週間分の記事をDownloadするような日経新聞は駄目だった。



●日本人戦歿者慰霊碑

ミャンマーには日本人戦歿者慰霊碑が幾つかあり、その中の一つバガンのタビィニュ僧院に
(弓部隊戦歿勇士之墓)という墓石があった。帰ってきてからインターネットで調べたら
この弓部隊は第33師団の略称で、仙台で茨城県人を中心に編成され、
ビルマ戦線では17.000人の師団の内、終戦時の残存者が2.200人で、亡くなった兵士の
多くが補給物資欠乏からくる病死や餓死だったらしい。
これが戦死と言えるか、銃撃戦で亡くなるより痛ましい。
このインパール作戦の事が載っている(ミャンマー 国家と民族)を旅行出発前に図書館に
返したので、再度借りようと図書館に行ったが貸出し中だった。
旅行に持っていくのを忘れた会田雄次の(アーロン収容所再訪)を昨日から読み始めた。



●その他
ー今回はエアアジアの便で機内持込みの大きさと重量制限があり、
それを超えると料金がかかるので極力荷物を少なくし30ℓのザックとカバンだけにした。
このザックのサイズが、バイクに乗る時やゴールデンロック行きのトラックに乗る時に助かった。
混み合うトラックでも足元に置けた。
何より舗装されている道が少ないので、スーツケースを引いていくのは大変だ。

ーヤンゴン以外は蚊が多く、虫除けスプレーも効かなかったくらいで、
旅行中短パンは殆ど使わずロンジーやモンベルの夏山用パンツを履いていた。
蚊以外にもホテルにはヤモリが居て、それが(きっーきっー)と大きな声で鳴く。
鶏の鳴き声ではなく、ヤモリの鳴き声で目が覚める事になる。
これは東南アジアの国々で経験ずみで、特に問題はなかった。

ーレストランという呼び方で日本人がイメージするような店は少ない。
Cafeというような店も少なく、マンダレーのようにチェックアウトした後で
夜行バスが22時という時は時間潰しに苦労する。

今回は南北に長いミャンマーの中央部を廻った旅だったが、タイ、ラオス、中国に
接する地域には山岳少数民族が居るし、インドに接するチン州には顔に入れ墨をする
チン族がおり、一夫多妻制いう変わった風習が残っているらしい。
今回廻ったバガンから50kmの所に精霊信仰ナッ神のポッパ山があり、
ホテルの女性からも行かないのかと尋ねられたが、そのオドロオドロした土着信仰の
内容に恐れをなして行かなかった。

こんな多様な文化や民族が存在するこの国を統一し発展させるのは難しいだろう。
アウンサンスーチーは教育を優先課題として上げているが、
欧米の高等教育を受けた彼女だから考える国としての課題なのだろう。



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