一期一会

日々是好日な身辺雑記

「モスクワの伯爵」/ エイモア・トールズ

2020年06月19日 | 雑記
先週13日(土)から読み始めた「モスクワの伯爵」を昨日読み終えた。読書アプリ(読書メーター)で読んだ本を振り返ってみると、この1年間で読んだ本の中で一番面白かった。その面白さはミステリーやサスペンスではないので、(ミレニアム)のような面白さではないが、心に残るという点ではカズオ・イシグロの(日の名残り)のような読後感だ。

ロシア革命により長きにわたった帝政時代が終わり、レーニンのポリシェヴィキが主導権を握り、後に共産党となり階級闘争の中から1922年にソヴィエト社会主義共和国連邦が成立する。この時期にロシアの貴族は階級闘争の末に、亡命、流刑、投獄、銃殺刑などの運命をたどる。物語は主人公アレクサンドル・イリイチ・ロストフ伯爵が裁判にかけられ、銃殺刑は逃れるが、住んでいたホテルのスイートルームから屋根裏部屋へ移され、生涯軟禁の判決を受けるところから始まる。この軟禁状態は32年間続き、1954年にそこから脱出するまでの半生が描かれている。スターリン時代の話で、この物語を構成する重要な逸話として最後にフルシチョフが出てくる。

こう書くと暗くて艱難辛苦なストーリーを連想されると思うが、そんな状況下における生き方の示唆に富んだ楽しい物語になっている。その楽しさの核になっているのがロストフ伯爵のめげない、諦めない人物像と、貴族として培われた優雅さと知性だ。軟禁状態におかれるモスクワのメトロポール・ホテルは、パリのリッツ、ニューヨークのプラザと並び称される現存するホテルで、そこを舞台に、伯爵を取り巻くユニークな登場人物との多様なエピソードの物語になっている。軟禁と言いながらホテル内では自由に動けるので、レストランでの食事やバーでブランデーを飲んだり、理髪店での整髪という日常が料理長、レストランのマネージャーやバーテンダーなどとの交流の中で描かれている。
勿論スターリン時代の軟禁生活なので、楽しいだけではなく暗いエピソードもあるが、それがこの物語を読み応えのある文芸書にしている。

ロストフ伯爵の32歳から64歳までのメトロポール・ホテルでの半生の物語になっているが、冒頭の裁判で裁判官から職業はと尋ねられ、(紳士は職業は持ちません)と答え、どのように時間を過ごしている?との尋ねには(食事、議論。読書や考察。当たり前のよしなしごとです)と答える。徒然草を想い浮かばせるような場面だ。
ロシア革命ではこのような貴族の生活が有閑階級として糾弾されるのだが、そんな時間にゆとりのある生活がロストフ伯爵を知識豊富な教養人としたのだろう。

メトロポール・ホテルでロストフ伯爵に関わる登場人物がユニークな人物像として描かれており、特にホテルに長期滞在している少女ニーナと、その娘ソフィアとの関わりが物語の核になっているが、ネタバレになるのでこれ以上は書かない。
最後の一行まで結末が分からないという読み応えのある本だった。

著者エイモア・トールズはスタンフォード大学で英語学の修士号を取得した後、20年以上投資家として働いたのち、現在はマンハッタンに住み専業作家となっている。
もしコロナウィルスの第2波が来てステイホームになったら、この本を買ってじっくりまた読んでみたい。3600円という価格は別にして蔵書にしておきたい本だ。
(ワイルド•スワン)や(日の名残り)のような位置付けの良書だ。