女ひとり、歳をとる。

お金なしの60代、犬2匹と同居中。

38年前の悲しみ。

2019-09-02 09:33:50 | 日記

今朝、警視庁の身元不明・行方不明者相談室が開設されたという、

ニュースがテレビで放送されていました。

38年前の9月5日、

妹が家を出て行方不明になったことを思い出しました。

その日は曇りの蒸し暑い日で、朝起きて妹の部屋を覗くと、

妹の姿はなく、ベッドの上に手紙が置いてありました。

その手紙を読むと、内容は親友に宛てた遺書でした。

慌てて、両親の部屋に行き手紙を見せると、

父はすぐに所轄の警察署に捜索願を提出。

案外、すぐに戻ってくるかもしれませんよ、と言われたそうですが、

その後1ヶ月以上も連絡はありませんでした。


妹から連絡のないことを、心配してくれたわたしの友人から、

警視庁に身元不明者の相談室があるから訪ねてみたら・・・と言われ、

母とふたりで出かけました。

身元不明者のファイルを何冊も渡されて、

身元不明者の顔や持ち物の写真をいくつも見ました。

妹の写真は見当たりませんでした。

でも、ある女性の持ち物に見覚えがありました。

わたしとお揃いの小銭入れでした。

それはとても変わったデザインでしたので、

すぐに妹のものだと分かりました。

電車に飛び込んだ損傷の為、人相が変わっていて、

面長だった顔は丸顔になっていました。

だから、顔写真ではまったく妹だとは分かりませんでした。


それで、妹を指し示す証拠がなかったため、

自宅で指紋の採取が行われました。

妹が家を出て1ヶ月以上も経っていましたので、

掃除をしていたためか、

はっきりとした指紋は採取できませんでした。

今度は歯型の確認ということになり、

歯の治療記録と照らし合わせて、やっと本人と確認できました。

その後、骨壺に入った骨の妹と対面すると、

足から力が抜けて、涙が出てきました。

死後のいろいろな事務処理がたくさんありましたが、

淡々とやるしかありませんでした。


「やくざに引っかかっているくらいなら、死んでた方がましだった」と父。

母は認知症が始まっていて、状況を把握できず、

これから人がたくさん来るのだからと言って、

洋服をたくさん買い込んでいました。

そんな両親とわたしは悲しみを共有できずに、

悲しみと苦しみは長く続きました。


でも、今は自分の生活のペースが、うまく取れるようになりました。

あのときの悲しみや苦しみは、忘れかけていましたが、

今朝のニュースで思い出しました。

妹のアルバムをゆっくり見ようと思います。

そして、妹が好きだった紫色のお花をたくさん持って、

お墓参りに行こうと思います。



 


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