五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

第五高等学校卒業生で熊本大学事務局長に就任した者、

2010-02-14 05:29:44 | 五高の歴史
写真は現在の熊大事務局庁舎 曾ての豊後街道(県道三三七号線)を挟んで記念館敷地の南側にある

第五高等学校は昭和23年の学制改革により約60有余年に亙る歴史にピリオドを打ったが、五高卒業といえば政財界の一流人というのが世間一般の常識である。官僚になったといっても内務省、大蔵省、鉄道省、外務省等々が主流で厚生省・文部省と言ったら主流から外れていた感じであった。しかし調べて見ると五高---帝国大学へと進み文部官僚になった者も数多くある事が分かる。機会でもあれば文部官僚を中心に調査する事にすれば面白いかもしれない。、ここでは熊本大学の事務局長になった者で五高出身者について昭和三十二年発行の五高人物史を参考に列記してみた。)

まず熊大発足当時の初代事務局長、美作小一郎
生まれは熊本市で明治23年3月23日、五高文一甲を大正10年卒業、五高時代は文芸委員として活躍している。東大に進み昭和4年文部省に入省する。その後昭和14年鳥取県社会教育課長、昭和18年長野県社会教育課長 同社会振興課長 19年文部省教学官を歴任し戦後の昭和21年熊本医科大学の事務局長に就任する。学制改革により昭和24年総合大学となった熊本大学事務局長に就任する。熊本大大学の第一回の入学式の責任者として指揮している。ここではその概要を掲げる。
熊本大学第一回入学式 
期日 昭和24年9月1日 
時間 午前10時~
   場所 第五高等学校講堂
式次第 開式 学長告示 民事部長官祝辞 文部大臣祝辞 来賓祝辞学部長紹介
 学生宣誓 閉式
昭和28年岡山大学事務局長として転任する。 文部行政に堪能であった。

つづいて曽我孝之明治37年7月1日熊本市の生まれ、大正15年文科甲卒業後 京都大学へ進む。昭和5年北大学生主事補 8年予科教授 15年4月興亜院調査官 蒙古政府の内面指導に当たる、昭和19年文部省教学官になり、昭和21年岡山医大学生課長同教務部長を歴任し、学制改革に伴い昭和24年岡山大学事務局長に就任する。その後仝28年防衛大學総務部長 仝30年三重大学事務局長から 昭和33年熊本大学事務局長に就任した。 昭和55年2月11日没
 
その次は野口義人明治41年4月12日久留米市の生まれ、 昭和5年文科甲を卒業後九州大学へ進む。昭和12年文部省入省する。そのご仝20年3月三重事務官を勤める。 仝24年学制改革により大阪学芸大学事務局長 仝28年秋田大学事務局長 仝36年熊本大学事務局長に就任している。 五高時代は血気盛んな龍南生活を味わった。 昭和55年10月9日没
 
そのほか熊大の事務局長には就任していないが、五高時代剣道部で活躍した大友端立が居る。  明治37年12月5日生 福岡市出身 昭和2年文科甲卆 京大卒業後民間会社に昭和6年大日本雄弁会講設社入社 昭和14年日本水産(株)朝鮮支店勤務 仝18年満州水産物統制組合に派遣される。総務課長・企画・営業資材部長を兼任 仝20年7月満州支店長、仝22年引揚げ昭和28年文部事務官に採用され、熊本大学医学部事務長32年鹿児島大学庶務課長等を歴任している。 昭和60年12月17日没


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