行政書士・社会保険労務士 大原事務所

人生も多分半ばを過ぎて始めた士業。ボチボチ、そのくせドタバタ毎日が過ぎていく。

食事の残り

2015-11-10 22:46:34 | 日記・エッセイ・コラム

食事の残り

 先日葬式があった。

 通夜、告別式と食事が出る。

 いつも思うのだが、この食事が残る。

 親戚だったり、遺族に親しい友人がいたりすると最後まで付き合ってくれと言われて食事をする。

 通夜はまだいい。根性の悪い斎場だと最初に頼んでいただかないと追加は出来ませんよ、などと脅かして大目に注文させたりするが、食事は少な目に出して、追加が出来たりする気の利いたところもある。それならあまり無駄は出ない。

 問題なのは告別式のあとの食事。火葬場から帰ると御膳が人数分用意してあるので断る訳にもいかず席に着くのだが、これがたっぷり一人前以上ある。昼食だったりすると絶対食べられないという量だ。少なかったと言われるのが嫌なのか量が多すぎる。何処へ行ってもそうだ。

 案の定、終わると半分も食べていない膳が殆ど、中には僅かに箸を付けた程度というのもある。

 「これ、折にしてもらえる」

 声を上げる人がいる。当然だ。もったいない。訊ねるのではなく、依頼しているのだが、返事は必ずNOだ。

 「お持ち帰りはご遠慮いただいております」

 四の五のやりとりは続くが、絶対に持ちかえらせてはくれない。

 宴会の食事の残りは持ちかえる。これは私の年代、昭和30年以前生まれには常識だったのだが・・・・。何よりもったいないだろう。

 昔、田舎の話だが、告別式やその他の法事があって、父か母が出席すると、帰ってくるのが楽しみだった。あまりものだったり、全く手を付けてないような折詰だったりしたが、必ずお土産があったからだ。あまり食べた事の無い綺麗な御馳走があったり、当時は高価だったバナナや珍しい果物、缶詰があったりもした。

  田舎で、父や母が逝った時、告別式の後の食事会が荷だなあと思って、仕切ってくれていた叔父さんにどうするのか聞いたら、

「もうみんな年寄りばっかりじゃけん、食べへんのや、余るともったいないけんなあ、みんな折詰じゃ。ちょっと奮発した折詰に酒を一本(一合)付けてなあ、持って帰ってもらう。そしたら家族で食べられるやろ。そのほうが喜ぶ。お前らもその方が楽やろう」

 

日本人は今食糧の3割余りを残飯で捨ててしまうというニュースを読んだ。如何にももったいない。これを全て有効に消費すれば、食糧品の輸入は極端に少なくなるだろう。

みんな一緒に今日の食卓から昔のように茶碗に一粒のご飯粒も残さないような食生活は出来ないものか?

 

先日一週間程入院した。三食必ず出てくるが、動かないから量は少ない。何処も痛くもかゆくも無い。大腸にできたポリープをとるだけ。後は何もすることがない。二日程食事制限はあるが、楽しみは食べる事だけ。腹は減る。お粥だろうがなんだろうが、三度の食事を惜しむようにゆっくり食べる。ゆっくり食べてもあっと言う間に終わる。最後に残ったお茶をごはん茶碗に入れて茶碗の縁についた飯粒をお茶もろとも一粒残らずお腹に入れる。それでも腹5分くらいだ。何を食っても美味い。何も残さない。

そうだ、こうすればいいのだ。人間は腹いっぱい食ってはいけない。何時も腹を空かしていて丁度いいのかも知れない。そうすれば食べ物を残さない。美味しく全部食べられる。