もう一つこんな話もある。
京都駅からそんなに遠くないJR駅前の本屋さんの話。
京都駅から近い割には、駅前は閑散として寂れている。ロータリーはない。空き地がある程度。初めて営業に行った本やさん。10坪もない狭い店。でも、駅から徒歩一分だから、場所は悪くない。
店の前に立った。古いガラス戸。
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これが開かない。
おかしいな、と思って、玄関マットの上でポンと跳んでみた。
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やはり開かない。
戸の上方を見てみる。あの自動ドアの上についている筈のセンサーらしきものはない。
ガラス戸の何処にも「押す」とかなんとか書いたものもない。
まあ、この間、僅か数十秒位だったと思うが、愚かな私はやっと気づいた。
―アッ、自動ドアじゃないんだー
世の中はもう平成になって久しかった。勝手に誤解した私が悪いのだが、本屋さんの自動ドアは当たり前の時代になっていた。
仕方ないので引き戸になっているガラス戸を開けようとして戸に手を掛けた時、店の主人と目があった。彼は、ガラス戸の前で飛んだり跳ねたり、上を見たり下を見たり、まぬけな仕草をする私をずっと見ていたのだ。店主の視線は決して好意的なものではなかった。
―しくじったー
と思った。
営業に来て、一言も話さないうちに、しくじってしまった。でもそのまま帰る訳にもいかない。いや帰ってしまった方が良かったのかもしれないが、その時は成り行きで店に入ろうとした。
ところが戸がすんなりとは開かないのだ。引き戸に手を掛けて、左にずらしたとき、建付けが悪いのか、ガタッと戸が僅かにレールから外れたような音がした。戸が引っ掛かる。ガタガタと音を立ててなかなか開かない。やっと身体が店に入るくらいは開いた。店主を見ると、これがまたカウンタ―から出てくる訳でもなく、じっと私を見ている。私は肩から下げていた重いカバンを玄関前の地面に置いた。カラス戸を両手で持って、引っかかったレールから一度完全に外してから、もう一度レールに戻した。軽く右と左に動かすと完全ではないが、概ね滑らかに動いた。
さて、問題は店主である。店に入って、
「毎度、東京の出版社で○○出版と申しますが・・・・・・」
店の中を見渡した。ホントはここで
―在庫拝見していいですかー
と聞いてから、店内に自社商品の在庫が有るかどうかチェックするのだが、一目見てその必要はないのが分かった。雑誌、コミック、文庫位しか置いていない。私のいた出版社は美術系の本の出版社だったのでこういった本屋さんに在庫はない。
その時の営業の目的は、年に一度の年賀状関係の本の営業だ。この商品はどこでも売れる。小さな本屋さんでも、スタンドショップでも売れる。だからこの本やさんでも置いてもらえる。
ところが、店主、私の挨拶を聞いたとたん、少し身を引いた。確かに私は優しい顔では無い。どちらかと言うと黙っていると怖い顔だと女房にも言われたことがある。たまに顔をあわせる同業他社の営業にも
「飯田橋の駅前で見かけたけど、怖そうな顔で歩いていたので声を掛けられませんでした」
と言われたことがある。 でも、昼間、素面でヘラヘラ笑いながら街中を歩いていたら、これは与太郎だ。
ともかく、営業に寄った本やさんで、怖がられた事は無かった。ましてや店主はか弱い女性というわけではない。店に入ってくる客や出版社の営業が怖いのなら、店に立ってはいけない。
くだんの店主、身を引きながらも硬い声で聞いてきた
「あんた、なんの用なん?」
何の用なの?って、今さっき出版社だと言ってある。出版社の営業が本屋さんに入ってきて、かつ丼一丁っていう訳がないだろう。
「出版社ですが、新刊のご案内に伺いました。お忙しい所すみませんが、少しお時間良いですか?」
と聞く。物凄い暇そうなのだが、一応社交辞令である。
「出版社って、出版社が何の用事?」
だから、営業だって言ってるのに。
「少しだけ、新刊のご案内です」
「い、要らん」
本の説明する前に断られたのは初めてではなかったが、非常に珍しい。これでは箸にも棒にもかからないというか、取りつく島がない。こういうときは早々に引き上げるに限る。
「要らないのは結構ですが、じゃあ、チラシだけ置いていきますから、後でご覧いただいて、宜しければ注文してください。年末はよく売れる商品ですよ」
少々控えめに言ったのが良かったのかもしれない。店主も少しだけ、警戒心をといたようだ。私の差し出したチラシを手には取らないが、遠目に見ながら
「その本なら知っとる。注文せんでも毎年取次(本の問屋さん)から勝手に送ってくるからわざわざ来んでもええやろ。わし、ここに店だして25年になるけど、出版社の営業という人が来たんはあんたが初めてや。びっくりするよって、ご苦労さんやけど、もう来んでええで」
さすがに二度と行かなかった。
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