行政書士・社会保険労務士 大原事務所

人生も多分半ばを過ぎて始めた士業。ボチボチ、そのくせドタバタ毎日が過ぎていく。

お湯が出ない その①

2018-10-30 09:55:12 | 社会保険労務士・行政書士

 実に久しぶりの更新。いつの間にか1か月経っている。歳食うと本当に時間が速く経つ。すぐに棺桶?

 さて、今、給湯器が壊れている。全く使えないことは無いのだが、屋外の給湯器本体からぽたぽたと水が漏れている。ガス会社の検針員の人が教えてくれた。ガス会社でも給湯器を扱っているそうで、担当の者がお伺いして修理できるかどうか検査して見積もり出しますよ、と言って早速電話してくれて、午後2時に来てくれることになった。とりあえず相見積を取ろうとメーカーにも電話。するとメーカーのお客様担当窓口という女性に色んなことを聞かれる。プロではないので細かいことは分からない。給湯器の所まで出て色々説明するが、要するに本体の故障か、水道管の破損か、聞いてくるのだが、最初に機種と型番を聞かれかなり古い商品だと分かった所あたりから態度が冷たいと感じたのは私のひがみか?

「あのね、多分水道管と本体の接合部分のところで水が漏れてると思うよ。だからどっちの故障かと言われても分かんないよ」

「それでは私もわかりませんねえ」

「あのね、プロの貴方に分からないもの、素人の私に分かる訳ないでしょ」

と、ひとしきり無駄なやりとりがあって、修理担当の人から電話をくれる事になった。

またさっきと同じようなやりとりがあって、面倒なので「直せるかどうか見に来て、直せるなら見積りくれない?」と言ったら、直せなくても出張費は頂きますという。話のはしばしから全く修理する気が無い様子がうかがえる。はっきりとは言わないが、いい加減に新しいのを買えよ、という態度が見え見え。もっとも2年程前に1回修理して14年余り使っている。給湯器の平均寿命は十年。12~3年で修理用部品も作らなくなるそうだ。調べてみて、修理が出来たとしても、すぐまた他が部品が壊れる。その度に修理費が安くて2万はかかる。結局今新製品を買った方が安くつくという。親心とも思える。従って怒りはしない。でもムカつく。念のために同程度の機種に買い替えたらいくら?と訊くと22~3万円という。

さて、仕事をしていて、午後2時、ピンポンとチャイムが鳴る。ガス会社さん。

ざっと調べて、

「15年位使ってますか?・・・・・まあ、多分メーカーにも部品が無いのでな直せないと思いますし、部品があってもなおすのはお勧めしません。お湯の出口のあたりのバルブか、その周りの金属が腐食して穴が開いてるんだと思います。15年経ってますと、これをなおしても、すぐ他が壊れてまた修理になります。その度に安くて2万から3万円程度はかかります。すると使い勝手も考えると、今新しいのを買われた方が得という事になると思います」

そうなのだ、現場まで来て、こういうふうに説明してくれればいいのだ。言ってることはメーカーさんの窓口と同じでも、これなら納得するし、感謝はしても決してムカつくことはない。

「新しいのはいくら位?」念の為訊いてみた。

「同程度の後継機だと22~3万円くらいですね」

メーカーさんと変わりない。どうせ買うならメーカーより態度のいいガス会社からと思った。ただ私はケチである。ガス会社さんには申し訳ないが、親切な説明には納得しても、値段には納得しかねる。

高い!最も相場を知らないからその値段が本当に高いか否かは分からない。ただし給湯器ではないか。昔は湯沸かし器といったものの進化系だろう。管の中を水が巡って、それを下からガスで温める。構造は単純ではないか!そんなものごとき(給湯器関係の労働者のみなさん御免なさい)に22万以上も払うのは辛い。おまけにこの所やけに臨時の出費が多く、色々合計するとこの先2か月で数十万出費の予定がある。ここでさらに20万余り出金が増えるのは痛い。だが、このままでは風呂にも入れない。

そこでインターネット検索。ガス給湯器と打ち込んでエンター⏎ボタン

 結構沢山出てくる。地域限定江戸川区で再びエンター⏎

 驚いたことに、本体80%引きなどという販売店が何軒か出てくる。でも、ここまで安いと疑り深い私は却って信用できないと考える。第一メーカー希望小売価格の80%引きなんて、元の価格はなんの為につけてるのと思う。このあたり面倒くさい奴である。取り合えずざっと調べて江戸川区内で何軒か見積りを貰う事にした。

 


江戸川区22時の台風

2018-09-30 21:58:31 | 日記・エッセイ・コラム

ただ今9月30日21時26分

 東京都江戸川区は現在静かだ。遠くに時折りゴーッという風の音がするが、微かに聞こえる程度。さっきまでは飛行機でも飛んでいるのかという位の音がしていたので、今はおさまった感じ。今日朝土砂降りの雨のあと、小雨が降ったり止んだり、挙句の果ては少し晴れ間まで覗いた。風も時折吹く程度だった。とはいえ台風は紀伊半島に上陸したばかりのようなのでまだ今からだろう。

 さっきHPを見た私の故郷愛媛県の中央部の市では何とか殆ど被害なく通り過ぎたようだ。親族の住んでいる住所は幸い非難地域にも指定されなかったみたい。被害にあった人がいたら恐縮だがとりあえず一安心。昔から不思議と自然災害には縁のない地域。

 さて、明日は朝から国保の健康診断が入っている。暇だからと思って予定をいれたのに、その後からバタバタと仕事が入って少し忙しい。世の中儘ならない。

 などと言っているうちに少し風が強くなったようだ。

 ベランダに置いてあった物は部屋に入れた。雨戸は全部閉めてある。雨戸の無い窓は何と言うか名前は知らないが二重ガラスの間に金網のようなものが入っている強化ガラス。割れにくいし、割れても飛び散らない?と思う。万が一の時にもカラスが飛び散らないようにカーテンも閉めた。とりあえず危険はない、というよりほかに何かしようもない。

 アッ、そうだ玄関のプランターに植わっている4メートル余りの樹の補強を少し増やしておこうと思って忘れていた。近くにあるしっかりしたポストに紐でつないでおこう。

 さて、後は祈るのみ。といっても、江戸川に住んでかれこれ30年。幸いにして今だ災害に遇ったことはないのだが・・・・・・・。

 ただ今22時。


便秘、イチジク、ヨーグルト

2018-09-17 18:16:00 | 日記・エッセイ・コラム

便秘、いちじく、ヨーグルト

少し前、暫く入院していた。

6日程入院して、退院して驚いた。世のなかすっかり秋になっていた。やはり9月。

ところで、私は枕が変わると必ず便秘する。旅行、入院等。枕が変わると眠れないというのは良く聞くが、便秘するというのはどうなんだろう?今度も入院した途端に出なくなった。

女性は多いというが、女房は便秘が酷い。悩んでいた。

「フーッ苦しい」

と言うので、

「二、三日無いの」

というと

「二、三日なんて普通か、良い位。今日でもう一週間無い」

なんて奴だと思ったが、薬は癖になると言ってヨーグルトだの牛乳だので努力していた。

 私の場合、無くても2日位だから、女房に言わせると、そんなの便秘に入らないというが、毎日が当たり前だと2日無いのはかなり苦しい。

 私も出来るだけ薬は飲みたくない。だから女房のまねをして色々試行錯誤していた。そしてついにある食品にたどり着いた。

と言うほど大げさな事でもないが、ヨーグルトだ。但し、普通のヨーグルトでは駄目。某ブランドのイチジク入りヨーグルト。これ以外は効かない。でもこれは良く効く。

退院して、早速自宅近くのスーパーで購入。すぐ一個食って、念の為寝る前に一個。翌日の朝にはすっかり楽になった。

 


続 スイカの皮

2018-09-04 16:32:17 | 日記

 前にもスイカの皮のことを書いたような気がするので「続」。まあ、どうでもいいが。

スイカが好きだ。毎年何度が食う。

 何度も買いに行くのは面倒なので、切った奴じゃなくまるごと一個買う。一個買って殆ど一人で一週間程かけて食う。別にケチで独り占めでは無い。家人は殆ど食べない。

 ところで今年のスイカは出来がいいというニュースがあったので楽しみにしていたのだが、これが丁度いいのがない。出来が良すぎるのか兎に角大きい、子供の頭どころか大人の頭の倍はあろうかというものばかり。そのせいか一個にしては高い。二千円以下のものなんてない。食べないで駄目にするのも勿体ないので買うのに躊躇していた。

 小玉すいかでも買えよ、と言われるかもしれないが、あれは美味いが皮が薄くて食べられない。私にとって皮もスイカであり、美味しく食べるのでそれはいけない。

 ボチボチと八分の一だの四分の一だのというのを買っていたが、先日少し小さめで、安めの物が出ていたので一個まるごと買った。ただこのスイカ、皮がかなり黒っぽい。ブラック何とかと書いてあったように思うが忘れた。甘くて、種が殆ど無いというのが売りらしい。

 ネットで調べるとブラックなんとかという種類のスイカがあったが、一個一万円を超える値段のようだったので、それではない。二千円もしなかった。

なるほど甘くて、種も白く小さなものが少しあるだけで殆ど気にならない。美味かった。但し、皮を漬物にしたとき少し硬いような気がした。まあ、それはそれで歯ごたえがあっていいかもしれない。品種改良する人も農家も皮を食べる奴のことまで考えて栽培はしないだろう。


やっぱり志ん生は面白い

2018-08-20 00:31:22 | 日記・エッセイ・コラム

 古今亭志ん生という噺家さんがいた。

 1973年に鬼籍に入った。

 資料を見ると1967年の上野鈴本が最後の高座と書いてある。

 私が東京に出てきたのは1972年のことだから生では一度も聞いていない。1973年、そういえば志ん生が死んだというニュースをTVで見た記憶がある。

 ところで先日図書館でCDを見ていたら、聞いた覚えのない噺の入った志ん生のCDがあったので、それを借りたついでに他の志ん生も少し借りてきた。以来少しずつ借りて来て、あらためて聞き直している。「聴きなおす」と書けという人がいるかもしれないが、私は落語は「聞く」ものだと思う。

 メモを取りながら一生懸命聴くという人もいるようだが、そんな事をしていると、志ん生に限っては間違いなく

 「お止しよ、そんな野暮は」

 というに違いない。そんな気がする。

 息子の古今亭志ん朝がまくらで

 「えーっ、落語という物はぼーっと聞いていただくのが一番」

 というようなことを時々言っていたと記憶する。

 落語なんてそんなに一生懸命聴くなよ野暮だな、といっているようで、そこが粋でそこが楽しい。ぼーっと聞いていると何時もどこが新鮮でどこか楽しく聞ける。噺家修行をしようというわけではない。それで充分。ただ話す方は、志ん生も志ん朝も稽古を怠らなかったという話は周辺の人が書いたり話したりして残している。まあ、それをいうのもまた野暮と言うことになるのだろうが。

 昔聞いた志ん生のライブ録音に出囃子の「一丁入り」が流れた途端(まだ本人の姿は多分客に見えていない)に拍手が起こり、本人が見えると笑いが起こる、というのがあったが、志ん生を寄席で生で聴いた人によると、志ん生は見ているだけで面白かったという。

 私も部屋の電気をおとした寝床でCDを回して目を閉じていると、「一丁入り」が流れた途端、なんとなくにやけくる自分がわかる。そして何度聞いても、同じところで笑ってしまう。もう完全に覚えてしまっているようなほんの小話でも同じところで吹き出してしまう。

やっぱり志ん生は面白い。