ムネコマサン

写真付日記で~す。物忘れないうちにメモして、日々の出来事、アチコチ出かけコンデジ・一眼画像をアップしてます。

法円坂遺跡

2016-11-21 08:00:00 | 旅行記

大阪歴史博物館へ行ってみると 真田幸村展は終了・・・・
久しぶりに館内へ入り 上から順に見学、あたらためて 難波宮の存在が
偉大であったか判ったところです。 
今まで話題になっていないところですが・・・・
縄文時代からの繁栄の跡がある 法円坂周辺です
考古学 歴史学から 調査され、歴史的な地域でした。

縄文時代およそ4,500年も前に森ノ宮遺跡で 南北200m東西50m
厚さ2mもの貝塚が発見され 弥生時代中期(1500年ころまで)生活の跡が
あるそうです・・・・・再認識したところです。

その後、古墳時代に入ると阿倍野筋遺跡、南住吉遺跡、山之内移籍が
4世紀ころのものとして見つかっているそうです。

現在の大阪歴史博物館、NHK大阪放送局がある上町台地は 当時、半島
の様な形状で 3方を海で囲まれて 水運に適していたとか
5世紀ころになり 物流が盛んになるにつれ 豪族が 倉庫を建てた痕跡が
調査の結果、見つかったところです。

その遺跡が 法円坂遺跡と呼ばれ、当時の倉庫は、こうであったろうの建物が
再現されてました。




5世紀ころの発掘出土資料から 検討され こんな形の掘立形式だろうと 作られてます。

倉庫内部(たまたま ボランティアガイドの方が昼の時間だけ オープンのラッキーな見学です。常時開放では
ないんで、訪問される方はご注意願います。)


杭の跡も多数見つかり 16棟くらいあったのではといわれてます。 一部は、周囲の合同庁舎に埋もれているとか
建設当時は このような事実が認識されないま ビル建設されたようで、大阪歴史博物館1階には 当時の遺跡が
目視できるように保存されてます。

上町台地は、昔からの要衝の地であったようですね、これに目を付けた織田信長も偉い人ですね その後、秀吉が
天然の要塞とにらんで大坂城を築城・・・・・いろんな、歴史、ロマンがあることが改めてわかった(^0_0^)

このような環境から 藤原京(奈良県)から 645年難波宮完成し遷都したそうです。
その遺跡が 現在 公園として開放されてます。
中央の長方形の 石作り


その後、次のような歴史があるとか

652 難波長柄豊碕宮(前期難波宮)完成
654 孝徳天皇逝去
686 火災により難波宮焼失
    都があっちこっちへ遷都する。
再び、上町大地へ
726 聖武天皇により、難波宮造営開始(後期難波宮)
744 難波宮、一時的に首都となる
784 長岡京遷都により難波宮の宮殿の建物は解体移築される

大阪歴史博物館10階には 実物大の大極殿が作られてますよ

侍従 侍女も配置され 当時の雰囲気が伝わってきます。


奈良県の平城京 大極殿の方が迫力ありますが 身近に見学するのであれば 博物館がいいかなぁ~

WEBの各所からコピペさせていただきました 有難うございます。上町台地の歴史がちょっと分かった様な
気分になりました。(^_^;)

最後までご覧いただき有難うございます。


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2 コメント

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Unknown (ピカ)
2016-11-21 20:22:32
日本の原点、歴史の深さを感じます。
勉強になりました。
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大阪の遺跡 (チャーリーブラウン)
2016-11-21 21:27:34
大阪市内の中央区に とんでもない歴史ある遺跡には 驚かされました。平安京、平城京、長岡京と 都が引っ越し、 2度も 大坂にあったとは知らなかったところです。 歴史のチョイかじりですが 面白いものですね 
博物館の9階にはさらに詳しい解説があるんですよ。
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