ムネコマサン

写真付日記で~す。物忘れないうちにメモして、日々の出来事、アチコチ出かけコンデジ・一眼画像をアップしてます。

ちょっと山登り 二上山へ  その1

2021-05-09 08:05:09 | 日記

 ちょっと気晴らしに ドライブ・・・・・ 中央環状線を南へ行き、奈良県を目指して 出発
八尾市へ 差し掛かり おっ八尾飛行場がこの辺かなぁ 標識に従い 進んでいくと 
標識を見落としたかな 通過してしまった まっいいかで R25目指して 
 久々のR25香芝付近で 南阪奈道路方面へ 進んでいくと 太子町へ入った 二上山の案内が
行ったことが無いなぁ 事前準備無しで 上ってみようかなで 駐車場へ満車ですが なんとOK
 ハイキングで多くの方がやって来てました
標高474m  私でも 何とか行けるだろうと 進ん行くと
 大阪みどりの百選の標石が・・・知らなかった(平成21年に制定されてました)

お地蔵さんが迎えてくれます。

この登山道は 飛鳥時代の奈良と大阪難波津を結ぶ 日本最初の国道と呼ばれている 竹内街道の一部だった

竹内街道
横大路((大道)奈良県)は推古天皇21年(613)に外交の玄関口である難波津と政治の中心である飛鳥・小墾田宮をむすぶ「大道」として整備された
総延長40kmにもおよぶ我が国最古の国道である。
 大道は難波京朱雀大路よりまっすぐ南下する難波大道、堺から河内を抜ける竹内街道、さらには奈良盆地を東西に走る横大路から
飛鳥にいたる上・中・下の三つの道から構成される。
その後、この道を基準にして藤原京も造営され、今もなお東西南北の地割として残る。なかでも橿原市八木町では、古代と同じ24mの
道幅で道路が敷かれているため、当時の道の大きさを今も実感できる。
 この道を通して中国や朝鮮半島からの外交使節、遣隋使・遣唐使によって多くの文物がもたらされた。それとともに仏教が伝来し、
聖徳太子らによって多くの仏教寺院が道沿いに建立された。野中寺や西琳寺では、飛鳥時代の塔跡の基壇や礎石を見ることができる。
日本の遺産HPより引用

竹内街道の横に 鹿谷寺(ろくたんじ)跡の案内が 距離が判らないまま 入っていくと 険しい階段が 進むにつれ 傾斜がきつくなる
振り返ってみると

階段より横の坂道を歩く方が楽でした。

休み休みで 20分後に 寺跡岩場到着

鹿谷寺跡の広場(周辺から奈良時代の須恵器が出土されている)

史跡 鹿谷寺跡説明板

十三重塔と石窟の想像図・・・・建物は無かったのでは

稀な石窟寺院形式で如来坐像3体が線刻されてます 少しだけ残ってました

十三重塔 高さ5.7m 地山の石を彫り残して造り出されているそうです。 周りは岩山だったのでは
不思議な地層ですね


この後、脇道を登っていくと 二上山展望台へ 約3mの円形展望台へ 
二上山山頂が見える 雄岳?雌岳? 初めてなのでよく判らない・・・・・新緑が目に染みる

約240m上空からのR166

釣り堀もあった 

展望台から 送電線を撮ってみると4本の電線が 知らなかった 谷合を渡ってます 丈夫な造りなんでしょうね


こんな案内も ダイヤモンドトレール(生駒山脈南側から 約40kmの連山縦走路 起伏が激しい)
毎年、大会が開催されているそうです。 経路に金剛山もあり 金剛石も産出していたこともあり
金剛石(ダイヤモンド)から このような名前を大阪府が付けたそうです

昔々に 六甲山縦走にチャレンジ 2回とも六甲山植物園付近(約20kmくらい)でリタイヤを思い出しました。

この後は山頂を目指して 登山道を・・・・・続きます。



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2 コメント

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山道の階段 (ピカ)
2021-05-09 17:07:36
山の階段も自分のピッチに合ったところだと登りやすいですが、そうでないとかえって疲れてしまいますよね。(^^ゞ

駐車場が満車でも広々とした山道は気持ち良いですね。

GW中に登山道で人が渋滞しているところもニュースで見ました。あの状態でも登山を取りやめない人たちの神経がわかりません。
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山道の階段 (チャーリーブラウン)
2021-05-09 20:56:04
ピカさん こんばんは~
 パラパラの人通りでした。 うぐいすも
良く鳴いており 気持ちいい山道でした。
 しかし、体力の無さを改めて感じたとところです。(>_<)
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