苗苗老師的心言苗語

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☆ 杜鵑花記憶(du4juan1hua1 ji4yi4) ツツジメモリー

2006-05-08 23:36:32 | ☆ 心言苗語 ☆ (Diary)

  中国では、ツツジにあてられている文字は「杜鵑」(du4juan1)となり、春に咲く美しい花だと文学作品によく見られる。

  故郷は亜熱帯にある私は、温帯・寒帯地域に分布する本物のツツジを初めに目にするのは、日本に来てからのことだった。

  しかし、ツツジを見るたび、子供のごろの記憶が甦ってくる。

  それは、二十数年前のことだった。

  その年、自分は確かにまだ小学校6年生だった。父は仕事で香港に3週間ほど出張していた。二十数年前の20世紀80年代、中国人の出国は今想像しがたい大変なことだった。父の初香港出張が決まり、帰宅した後の暫くの間、我が家ではかつて経験したことのない興奮ムードが高まっていた。

  父は香港にいる親戚や友人とはずっと連絡を取っていたそうだが、会うのは、親友たちが帰国するときでしかできなかった。やっと香港での面会ができるようになったので、香港にいた時に、父は仕事の合間をぬって、大勢の親友に会ったそうだ。

  出張は終わり、父は親友たちの愛をこもったおびただしい数のお土産と感動を携行し、実家に帰ってきた。

  どんなお土産があったのかはもうはっきり覚えていないが、ただ一つだけ、一生忘れらないものがあった。それは、数え切れないほどの文具用品。それまで一度も見たことのない、当時の中国では、どこでも手に入らなく珍しくて、想像を絶する可愛い形や模様をした文具用品だった。小山ほどあるシャープペン、鉛筆、鉛筆いれ、ボールペン、消しゴム、定規を目の前にした時、まるで夢のようで、歓声さえ上げられなかった。学習机の引き出し三つでぎりぎり入った文具用品はほんとうに全部自分のものになったのかーーその不安と喜びで混乱していた気持ちは今でもよく覚えている。

  私に大きな震撼を与えた文具用品は香港で文具ショップを営んでいた親戚がくれたそうだ。文具用品のほかに、一緒にくれたのは、文具用品のメーカーのカレンダーだった。しかも、それ以降、親戚が毎年同じカレンダーを実家に送り続けてくれていた。

  風景のカレンダーだが、2枚目ーー3月・4月分のページには、決まって真っ盛りのツツジで華やいだ庭園の写真だった。カレンダーにメーカーの中国名「桜花顔色」(ying1hua1 yan2se4)(SAKURA COLOR)と書いてあったが、日本のメーカーだと、なぜかずっと気づかなかったので、使っている文具用品は実は全部日本の文具だとも気づかなかった。但し、新緑に映える鮮やかなツツジは私にとって、いつの間にか馴染みのある春の風景になった。 

  そして、10年前の春、初めて東京のツツジを目にした時、長い間カレンダーで親しんできた風景は現実となり、その現実にいる自分に不思議に思い、感無量だった。

  二十数年前のある日、自分の身には、知らないうちに、日本とのつながりができたのかと、感慨しなくてはならない。

  初めてカレンダーにある日本のツツジを眺めていたごろ、桜のマークがついている文具を使っていたごろ、東京でツツジを眺めるごろのいろいろな過去、春になると、映画のようにワンシーンずつ、目の前に上映されていく。

  それは、私の杜鵑花記憶(du4juan1hua1 ji4yi4) ツツジメモリーであり、日本メモリーでもある。