聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書 8章 イエス、死と復活を予告する その2

2010年03月25日 | 新約聖書日記
つづき

新約聖書注解Ⅰ 日本基督教団出版局をまとめて。
『最初の受難予告(8・31~33)イエスの受難はすでに2・20、3・6において暗に語られたが、いまは初めて「はっきりと」予告される。
復活はこれまで全く言及されなかった。
ペトロはイエスをメシアと告白したが(29節)、その告白にすぐ続く受難予告では、他のすべての受難予告におけると同じく、イエスは「人の子」と呼ばれている。
したがってこの受難予告は元来ペトロの告白とは別に伝えられていたものと考えられる。
この二つを結び合わせたのはマルコであろう。

31節
ここでおそらくマルコは伝承に手を加え、イエスを殺す者たちを「長老、祭司長、律法学者たち」として明示したのであろう。
「長老」たち(プレスビュテロイ)は当時は律法学者、祭司長以外の最高法院議員の名称。
エルサレムの貴族階級を代表し、通常サドカイ的・祭司的傾向に従っていた。
「祭司長」たちと訳されているアルキエレイスは現職の大祭司カイアファや引退した大祭司アンナスだけではなく、エルサレムの大祭司の家族を構成する祭司達をも含む。
長老、律法学者、祭司長は最高法院を構成していた。
マルコは、イエスの処刑の責任者はユダヤ教指導者であることを最初の受難予告において明確に示す。
しかし同時に、イエスの受難と死と復活は究極的に神の意志を実現するための必然であることが、「・・・・ことになっている」(デイ)という言葉によって初めて言い表される。

32~33節
「はっきりとお話になった」という言葉は、受難予告の重要性と現実性を示す。
しかし32節bは受難予告を聞いたペトロの困惑と反発の様を描く。
彼はイエスをメシアと告白したが、受難と死をとおして復活に達するイエスの道を拒否する。
そのペトロに対するイエスの言葉は厳しい。「サタン、引き下がれ」
イエスは自分を十字架への道からそらそうとするペトロの中にサタンの誘惑を感じ取る。
イエスの受難の道を拒否するペトロは、「神のことを思わず、人間のことを思っている」という点で、ファリサイ派の人々や律法学者と同列に置かれる。彼らは神の掟を捨て人間の言い伝えを固守している。
しかしイエスは「弟子達を見ながら」ペトロを叱っているので、彼の叱責はペトロだけではなく他の弟子達にも向けられて居る。
こうして弟子達全員の無理解が明らかになる。
32節bでペトロと他の弟子達がイエスの受難予告を拒否したのは、マルコにとってはたんなる知的理解の事柄ではない。
そこでは受難のイエスへの随従が拒絶されているのである。
このことをマルコは次の一連の言葉(8・34~9・1)によって示す。


つづく


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