聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書 洗礼者ヨハネ、殺される その2

2008年01月13日 | 新約聖書日記
つづき

新約聖書略解 日本基督教団出版局 を、まとめて。
『洗礼者ヨハネの殉教は、十二人の宣教によって彼の名が広まり、ガリラヤの領主ヘロデ(アンティパス)も彼について聞き、洗礼者を殺したことを想起するという設定で、導入される。
ヘロデとヨハネの関係を記す導入部と斬首に至る経過を語る本体に分けることができる。』


新約聖書注解Ⅰ 日本基督教団出版局 を、まとめて
『十二人の宣教活動をとおしてイエスの評判はますます広く知れ渡り、ついに「ヘロデ王の耳にも入った」。
ヨセフス(37~38年ユダヤ貴族生まれ。「ユダヤ古代誌」93~94年の著作。天地創造からユダヤ戦争勃発までのユダヤ人の歴史を叙述したもの。
異教徒に対してユダヤ人の歴史を護教的に述べて、ユダヤ教のよさを弁証しようとした。)によると、
ヘロデが洗礼者を処刑したのは民衆に対する彼の大きな影響力が騒乱につながるのではないかとの恐れからである。
洗礼者の処刑には、結婚批判という個人的な理由と騒乱の恐れという政治的理由が重なっていたかもしれない。
「ヘロデ王」はヘロデ大王とマルタケとの息子ヘロデ・アンティパス。
実際に王ではなく、ガリラヤ、ペレア地方の分封領主。

14~15節に記されている民衆の三つのイエス観について。
①洗礼者ヨハネは生前には奇蹟を行わなかったが、死から復活してからは奇蹟を行う力を持つようになったと考えられたのであろう。
②エリヤは終末の前にメシアの先駆者として再来することが期待されていた。
③「昔の預言者のような預言者」という表現はかならずしもモーセのような預言者を意味しない。
マルコにとってこれら3つのイエス観はいずれも不適切である。
福音書著者によれば洗礼者ヨハネはメシア・イエスの先駆者であり、再来のエリヤは洗礼者と同一視されるべきである。
イエスは確かに預言者的側面を有するが、
預言者以上の者、神の子、メシア、権威を持つ人の子である。

17~20節
ヘロディアはヘロデ大王とマリアンメ一世との息子アリストブロスの娘。したがってヘロデ・アンティパスの姪。
ヨセフス(「古代誌」)によるとヘロディアの前夫はトランスヨルダン地方の分封領主フィリポではなく、ヘロデ大王とマリアンメ二世との息子ヘロデ・ボエトスであった。
一方、フィリポの妻はヘロディアとヘロデボエトスとの娘サロメ。
洗礼者がつながれた牢は死海の東、マケルスの要塞の牢であったとヨセフスは報じている。
兄弟の妻との結婚はローマやギリシアの法律では問題なかったが、ユダヤの律法では近親相姦として禁じられていた。

ヘロディアと対照的に、ヘロデは「ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、・・・(彼の言葉に)喜んで耳を傾けていた」。
「非常に当惑しながらも」という言葉の中には、自分の良心と妻との板ばさみになって悩むヘロデの姿を見ることができよう。
ついに彼は、宴会の席での軽率な約束を悪しき妻ヘロディアに利用され、洗礼者の処刑に追い込まれてしまう。
これは支配者の理想像には程遠い。』


新聖書講解シリーズ マルコ福音書 いのちのことば社 へ、つづく


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