聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書 悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす

2007年08月16日 | 新約聖書日記
◆悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす
『 5:1 一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
5:2 イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。
5:3 この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。
5:4 これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。
5:5 彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。
5:6 イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、 5:7 大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」
5:8 イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。
5:9 そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。
5:10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。
5:11 ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。
5:12 汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。
5:13 イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。
5:14 豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。
5:15 彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。
5:16 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。
5:17 そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。
5:18 イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。
5:19 イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」
5:20 その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。』
(日本聖書協会 聖書 新共同訳 マルコによる福音書)

新約聖書略解 日本基督教団出版局 を、まとめて
『ゲラサは、ヘレニズム都市連合体デカポリスの大都市で、重要な商業都市である。
壮大な遺跡は湖の南東五十キロも離れ、湖岸への配置は不可能である。しかしマルコではゲラサはガリラヤの対岸にある。
レギオンは当時約六千人からなるローマの正規軍団である。パレスチナに不穏な動きがあるとシリア州知事の下のレギオンが南下してきた。レギオンは被征服地域の人にとって抗いがたいローマの力の象徴である。人々がその名をもつ悪霊を前に無力であったことは当然である。
「豚」(本来は「子豚」)はレビ11・7などで汚れた動物とされ、飼育も禁じられていた。したがって、ここは明らかに非ユダヤ人地域である。
憑かれていた人が、「彼と一緒にいる」ことを懇願する。しかしイエスは許さず、新しい課題を与える。新共同訳と異なり、「あなたの家の中へ、あなたの者たちの所へ行け。そして彼らに対して、主があなたにしてくださったこと、またあなたを憐れんでくださったことのすべてを伝えなさい」と再現できる。』

新聖書講解シリーズ2 マルコによる福音書 泉田昭著 を、まとめて
『ガリラヤ湖の東岸に着いたイエスと悪霊につかれた男との出会いである。
男は、イエスを見つけると駆け寄ってきた。
この男については、狂暴性を帯びた精神病患者であるとか、ローマ帝国に抑圧された民衆の象徴的表現であるとか、いろんな説があるが、文字通り悪霊につかれた男と理解するのがよいだろう。
イエスが悪霊に名を尋ねると、彼は「レギオンです」と答えた。レギオンはローマの一軍団六千人のことである。
当時のイスラエルはローマの軍政下にあったので、この男は苦しんでいる民衆の比喩であるという先ほどの主張も生まれたのであろう。
しかしやはりこの男が悪霊の圧倒的な支配のもとにあることを強調した表現ととるのがよい。
豚はユダヤ人が最も忌み嫌っていた動物で(レビ記)、豚が飼われていたことからこの地方には異教徒が住んでいたことが分かる。
イエスたちがその地方を去ろうとすると、悪霊を追い出してもらった男は、イエスのお供をしたいと願い出た。
しかし、イエスはそのことをお許しにならないで、彼の身に起こったことを親類やまわりの人々に伝えるようにと言われた。
そこで、彼は自分の郷里で、イエスが自分にしてくださったことを言い広めたのである。
ここにあかしと宣教の基本がある。
「自分にどんなに大きなことをしてくださったか」という表現には、悪霊から解放された喜びだけでなく、
イエス・キリストの恵みと救いを体験的に知った者としての宣教の迫力がある。
そして彼のあかしは大きな衝撃となって広がり、イエスと弟子たちが再びこの地方を訪ねた時、大群衆が押し寄せてくるほどになったのである。』



お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
イエスさまがわたしのためにしてくださった恵みと救いを、伝えることができる者になれますように。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン


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