mitakeつれづれなる抄

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伝達式

2017年01月28日 | 相撲
 もう少し相撲の話。稀勢の里の、明治神宮における奉納土俵入りは、凄い人出だったようです。
 マスコミは相変わらず、19年ぶりの日本人横綱で、大相撲人気を取り戻す、などと言うてますが、その横綱へのプロセスに「昇進伝達式」というのがあります。
 稀勢の里の場合はなぜか部屋で行わずに、東京都内のホテルで行ったそうですが、これは単に人が多く入ることができるように、という部屋側の配慮だそうです。
 マスコミの他、部屋の後援会(谷町)が大勢いますので。

 事前にマスコミがカメラをセッティングし、マイクも協会側の使者と、これを受ける部屋側のマイクをそれぞれに向けてセッティング。
 さらに赤じゅうたんに金屏風(もあったかな?)で、見栄えが良い儀礼的にセレモニーのような感じですが(まァセレモニーには違いないですが)、これ元来は本当に伝達するものです。
 マスコミはそこまでは中々、伝えませんからね。

 本場所の2日又は3日後に次の場所の番付編成会議が行われます。その際に、幕下から十両に昇進する力士、大関又は横綱に昇進する力士が決まると、それをその部屋に連絡します。
 なぜ事前に連絡するかという理由は、十両は幕下と違い、お関取として扱われるので、土俵入りの際の化粧まわしなど、諸準備が必要なため。
 大関、横綱の昇進の場合も同じ理由で、諸準備が必要なため。
 さらに大関・横綱昇進は、審判部の番付編成会議では決められないため、理事会の承認を経て昇進が決まります。
 そのため、番付編成会議が終えると、それを知らせるために、審判部の年寄と理事の計2名が使者として、部屋に伝達しに行きます。
 それをセレモニー化したのは、あの光景ですね。
 いつからあのようなセレモニーになったのかは、分かりません。
 どこかの時代で、マスコミの影響で、儀礼的なセレモニーが演出されるようになったのだろうかと思います。

 ついでに番付の話。
 19年ぶりに日本人横綱で、少々やかましく感じますが、この横綱、必ずしも番付に必要なものではありません。
 極端なことを言えば、いなくてもいいです。
 現在では大関の上の地位ですが、元々は最高位が大関で、横綱は単に称号でした。
 その伝統があるので、必ずしも横綱は不要です。
 しかし大関は必ず東西に必要なので、横綱がいる状態で大関が引退することになれば、大関の空席側の横綱が大関の地位をも兼ねる意味で「横綱大関」という地位になります。
 この場合は、大関がどうしても欲しいので、大関昇進が若干緩やかになります。

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2 コメント

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相撲の最高位は大関 (ponta)
2017-01-30 09:38:14
相撲の最高位は大関と言うのは知って居ました。
昭和何年か忘れましたが横綱大関と云う番付で居ました。

横綱の推挙式と奉納土俵入りは何故明治神宮でしょうか知りませんか?  伊勢神宮なら解りますが。 熱田神宮でも良さそうなものです。
 また、明治神宮独自の第○○代横綱との言い方が有るらしいですね。第72代で無いらしい。

これまた余談ですが、御嶽海、ハーフとは知りませんでした。 お母さんがフィリピン人かな? そんな事どうでも良いですが、将来が楽しみな若者です。
私は期待して居ます。
 
地固めなど (kisomitake)
2017-01-31 02:09:04
コメント、ありがとうございます。

明治神宮でね。詳しくは分かっていませんが、明治神宮自体が大変新しい御社で(大正時代の創建)、建立前から神事として当時の相撲協会から、土俵入りを行ったのが始まりらしいです。
横綱推挙式は、横綱は元は吉田司家のもので、吉田司家において推挙式が行わていたものの、戦後、明治神宮の神前で行うようになった、というのを聞いた記憶があります。
推挙状は戦後ですが、明治神宮自体が、戦前の国家神道の思想の中であり、横綱土俵入りもその辺りの意思がはたらいたのではないかと思います。
明治神宮で第何代の横綱、そんなのがあるんですね。宿題にさせてください。

御嶽海は、ハーフなのですか。
木曽の地は、実は結構東南アジアからの御嫁さんが多いです。
町村バスに乗ると、夕方は幼稚園の送迎バスも兼用。
停留所ごとにお母さんが迎えに来ています。
お母さんが東南アジア系の顔立ちの方が結構多く、や山深い木曽の地ゆえ、御嫁さんの来てが少なく、民族策で、国際結婚があったらしい一つのようです。

私は木曽ゆかりの人間ゆえ、御嶽海はご当地力士のつもりで応援しておりますが、将来が楽しみというコメント、とても嬉しく、有り難いです。

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