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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

「きゃりーぱみゅぱみゅ」を知っている理由

2017年04月29日 | 思索と考え
 先日、言語リハビリで「きゃりーぱみゅぱみゅ」を言えるかどうかの話題を書きました。きゃりーぱみゅぱみゅはご存知の通り、女性の、何やる方なんでしょうか?歌手ですか、モデルさんですか?の人気の方ですね。

 私の生活範囲で、きゃりーぱみゅぱみゅなんて知らないはずなのに、この「きゃりーぱみゅぱみゅ」なる語を知ったお話です。

 2012年の春。TBSラジオで。夕方の番組荒川強啓デイキャッチで、毎週水曜日に時事川柳というコーナーがあり、その時の時事ネタをお題に川柳を詠むもので、今週の挑戦者の中から一人をチャンピオンとして選び、前週のチャンピオンと対決するものです。
 この川柳でこんなのがありました。

 「言い難い きゃりーぱみゅぱみゅ 小沢支持」

 当時、民主党の小沢氏が党を割って出ようかどうかという時期、そんな小沢さんを支持するとは言い難い。
 それと「きゃりーぱみゅぱみゅ」の言葉は言い難く、それにかけた川柳で、その週のチャンピオンになりました。

 これを聞いた時「きゃりーぱみゅぱみゅ」なる語は、言い難い言葉として「隣の客はよく柿食う客だ」とか、「青巻紙赤巻紙黄巻紙」のような、言い難い言葉の羅列の類の一つだろうと思っていました。

 そして三か月後の7月、同じくTBSラジオでイベントの告知で、出演者に名前として「きゃりーぱみゅぱみゅ」の名が。

 「あれれ、『きゃりーぱみゅぱみゅ』は人の名前だったのか!」という驚きと共に、そのきゃりーぱみゅぱみゅの声が流れて、確かに人だと理解し、そんな強烈な印象から「きゃりーぱみゅぱみゅ」なる語と人物の存在を知った次第です。

 「言い難い」の通り、言い難いですね。しかし私は言えました。

 その後もずっと顔を存じないまま過ぎます。彼女が登場する場組は見ないので、知らなくて当然です。
 翌年、ご存知の通り脳出血で入院しました。入院した最初の夜、ベッドで声にならないけど、発声してみました。「言え、言えない、汗汗」。そこで脳出血を起こしたことを自身でも悟った次第です。
 最初の一宮市民病院は構造から、ラジオの電波の入りがあまり良くなく、しかも夜はPCも無いので、テレビを見ることが何度か。その中で歌謡番組で、きゃりーぱみゅぱみゅが登場しており、「あぁ、この人か」と、TBSラジオでの時事川柳での川柳とつながったわけです。結構、可愛い方なのですね。

 入院中も「きゃりーぱみゅぱみゅ」が言えるようになったら、回復した、と言えます、などと宣言していましたので、看護師さん、「きゃりーぱみゅぱみゅ」の顔知っているの?と質問。「いや、顔は知らないけど、登場したら、字幕紹介で出ます」と答えました。


 というわけで、「きゃりーぱみゅぱみゅ」なる人物を知ったきっかけです。

消防車でうどん屋さんへ・この場合はいいのではないか

2017年04月28日 | 思索と考え
 マスコミでも大きな話題になっていましたが、弊一宮市で、うどん屋さんの駐車場に消防自動車が止められていて、中でうどんを食べていた、公用車をこんなのに使っていけないのでは?というメールが市民から寄せられ、ネット上で大きな話題になり、それをマスメディアでも取り上げたというもの。
 中日新聞記事にあります。
記事:消防車でうどん店寄る 一宮市消防団員7人

 つまり、これは一宮市の組織の消防本部ではなく、どこかは分からないけど、地域の消防団で、団の集まりに消防自動車で出かけ、その帰路にうどん屋さんへ立ち寄った、というもの。
 そのうどん屋さんに消防自動車を止めていた、その瞬間のみを市内のある方が発見され「アカンのでは?」と指摘して、それを聞きつけた中日新聞記者が記事を書き、中日新聞配達区域に広まり、「公用車の私的利用だ」という考えからネット上で、大きな話題になったものです。
 ツイッター見ていましたけど、私のフォロー範囲内ではそのようなツイート(発言)された方はおらず、ツイッターのトレンドに表示されていて「あぁ、あれか」と思い、話題の高さを知った次第です。

 消防車が駐車場に止まっていると、ビックリしますね。
 火事でもなく、中で消防制服の人がうどんを食べていると、消防車に乗って、うどん屋さんへ来たように思えますね。

 もちろん、消防署や消防団の詰所から「うどんを食べに行こう」「あれ(消防車)で行こう」という会話がなされ、消防車でやってきたのなら、完全にダメですが、今回のは、消防団の集まり、すなわち仕事を終えた後に、うどん屋さんへ寄ったもの。まぁ良いではないかと思います。
 厳格に言えば、いけないのだろうけど、そこまで息苦しい世の中にするのはどうかと思います。

 一宮市内、過去にはコンビニの駐車場でパトカーが止まっていて、店から買い物袋を提げたお巡りさんが出てきたのを見たことがあります。
 警邏中に夜食を買ったものでしょうけど、警察官も人の子、お腹も空くでしょうし、微笑ましく見ましたけど、世の中にはこういう小さなことまで厳しく求める人がいるんですね。
 息苦しい世の中になったものです。

言語リハビリ・コミュニケーション能力の回復

2017年04月25日 | 思索と考え
 私が脳出血で入院して、来月で4年。月日が経つのも早いです。病院という所は、ブログネタが豊富だと退院直後に書きましたが、案外書くことが無く、今まで過ぎました。

 この間の出来事は略しますが、入院後、点滴が取れるとすぐにリハビリテーションが始まります。機能回復で、リハビリテーションは、「理学」「作業」「言語」の三本柱。理学は、物理的な体の運動機能回復。作業は、日常の暮らしに必要な鼓動ができるようにの訓練。言語は「言語聴覚士」によるもので、私の場合は脳出血による脳機能の障害で発音機構の障害から発音しにくくなった場合の発音訓練かと思っていました。。。しかし最近、このようなことを聞きました。
 言語療法(言語リハビリ)は、単に発音ではなく、「聴覚」をもってコミュニケーション能力の回復だ、ということを伺いました。
 早い話が、言語というものを聴覚を通じ、構成を順序建て、理解し、他者との意思疎通を図るもの、なのだそうです。

 要するに、脳機能障害によるコミュニケーション能力の回復、もっと平たく言えば、痴呆からの回復、なのだそうです。
 なので、単に「きゃりーぱみゅぱみゅ」が言えるかどうかは、さして関係が無さそうです。
 最初の病院である、一宮市民病院で、言語リハビリの先生に「もう少し発音出来るようになりたい」と申すと、「それ以上は、アナウンススクールだ」などと言っていました。
 その理由がやっと分かりました。言語をもって、他人とのコミュニケーションができる以上、言語リハビリの目的は達成できていることになります。
 今、思うに、リハビリで言語リハビリのメニューが加えられたのは、入院当初に変な言語発声を行っていた「ことによるものだったのかもしれません。
 最初の病院では、毎朝「今日は、何月何日、何曜日、ここはどこですか」の質問。さらに「100から順に7を引いてください」の質問。
 この何月何日は、入院していると日付感覚が無くなってきます。何曜日だけは、CBCラジオの多田さんの番組、アシスタントさんのお名前で曜日だけは理解できていました。さらに「ここはどこ」ですが、何か、鉄道線路沿いの某病院に運ばれたような感じがして、そこの病院の名前を告げていた記憶があります。
 そこで痴呆の恐れあり、とか診断されたのかもしれません。
 さらに、ここが一宮市民病院だと正確に分かってもどこか東西南北の方位感覚がずれてしまいました。
 これも今思うと脳機能障害だったのかもしれません。

 至急期を過ぎて、回復期になると木曽川病院へ転院しました。
 木曽川病院でも、理学、作業、言語のリハビリ。しかもきっちり毎日。
 木曽川病院の言語リハビリでは、一見遊びのようなことも言語療法としてあるとのことで、言語聴覚士の方と将棋の他、オセロもやりました。
 オセロが病院に置いてあるのは不思議ですが、これもコミュニケーション能力の回復の手段なのでした。
 他に、担当言語聴覚士のお一人が地理に興味があるとのことで、全国の地名を言ったりしました。
 単に言うだけではなく、「あ」で始まる地名、とか「わ」で始まる地名とか、お題付き。
 こういうのもコミュニケーション能力の回復なのですね。やっとわかりました。

 何を今日のブログで書きたかったといえば、「きゃりーぱみゅぱみゅ」と言えるような口の運動機能はそれはまた別次元の問題で、きちんと人様の話を聞け、中身を整理順序立てて、理解できるのか、が大きな目的なのでした。

 木曽川病院での言語リハビリで「Qさま」ばりの質問がありました。「イタリアの首都は?」、そんなような類の質問。イタリアの首都が何処かどうかを訊くのではなく「イタリアの首都は?」という一文をきちんと理解できているかどうかの試験なのでした。

***ちなみに***
 脳出血発症前は「きゃりーぱみゅぱみゅ」を言えていました。発症前は「立て板に水」の発声でしたが、今は、やっと「立て板に水飴」になりました。皆様はふつうだよ、と仰いますが、本人は極めて発音しずらく悩んでおります。

電動アシスト自転車の充電に新機軸

2017年03月09日 | 思索と考え
 京都新聞web版記事からです。電動アシスト自転車の充電で、ワイヤレスで充電する方法の実験を始めたという記事。
記事:ワイヤレスで電動自転車に給電 京都・精華で実験スタート

 電動アシスト自転車は、バッテリに充電させた電力で、小型のモータを補助的に回して、動力の一助とするもので、充電する方法として通常はコンセントから電気をとり充電することになります。
 この「有線」で結んで充電するのではなく、無線交信で充電させて、便利性を高めたいというのがこの実験だおうです。

 京都府精華町で行われるもので、自転車に受電装置、地上側に給電装置を置き、給電装置から自転車の受電装置に向けてマイクロ波を発射させて、受電装置において電磁誘導で起電させて充電させるものです。
 つまりこれは自転車を、装置の前に置くだけで充電できるので、手間いらずで、便利というもの。
 しかしある程度の電磁誘導による影響はあり得るもので、充電中は装置のある倉庫を閉めるそうです。

 このマイクロ波による給電・受電は、いわゆるICカード乗車券で改札機を通る時の方法に用いられています。
 ICカード自体が小型のコンピュータのようなもので、ICチップは電気で作動するもの。この電力をどこから取るか→改札機のかざす所にマイクロ波が発射しており、そこをICカードが通る際に電磁誘導でICカード内の電気回路で起電して、ICチップの情報のやり取りをするもの。

 またマイクロ波による給・受電は、一つのアイデアとして電気自動車に用いる方法が考えられています。
 すなわち道路面の下部に埋め込んだマイクロ波発射する給電装置からマイクロ波を放射し、そこを通る電気自動車の受電装置でマイクロ波を受け、電気自動車の電力とするもの。
 もちろん自動車がいないところでマイクロ波が出っ放しでは人体に良くないので、走行よって位置が変わるので、自動車が所在する短い区間だけマイクロ波を出す、というもの、という構想をどこかで読んだことがあります。


 さて、電動アシスト自転車の充電で本題ですが、小生、脳出血の後遺障害で自転車に乗れなくなってしまいました。
 バランスを要す二輪はダメなので、三輪ならいいだろう、ということで、どうせ買うなら電動アシストの三輪を求めようとしましたが、価格の高さから二の足を踏み、いまだ購入できていません。
 尤も、退院直後でしたので、仮に三輪自転車を買えても、首を左右に動かすことができませんでしたので、左右の確認を行得にくく、三輪であっても実際には乗れませんでした。
 今でも、瞬時の左右確認は難しいので、この先自転車に乗れないだろうと思います。

 その電動アシストの自転車、バッテリへ充電せねばなりません。そこで思いついたのが、ブレーキをかけた際に、モータの起電力を充電に用いることができないものだろうか、という発想。
 これは鉄道車両に於ける、電力回生ブレーキそのもの。
 モータと発電機は全く同じ構造なので、モータが惰性で回る時に、負荷を接続してやれば発電力でモータも回転が止まろうとします。
 これが電気ブレーキというもので、この負荷として抵抗器に接続して熱として消費するものを「発電ブレーキ」、架線に戻して他の電車列車の動力とするものを「回生ブレーキ」といいます。
 この回生ブレーキの仕組みを電動アシスト自転車に用いられないものかと思います。

 こういうことを考えるのは、電気鉄道と電磁気に詳しいからでしょうか。

飲食店だけでなく公共のところでは禁煙であるべきだと思う

2017年02月28日 | 思索と考え
 少し前に、ツイッターのニュースツイートにありましたが、飲食店は原則禁煙で、喫煙室を設置することについての飲食店側の戸惑いが報道されている旨の話題がありました。
日テレニュース24の報道:飲食店“原則禁煙”に賛否、戸惑う店も…

 受動喫煙防止のため、厚生労働省が飲食店などでは原則禁煙として、喫煙者のためには飲食店において喫煙室を設けるよう規定するところ、飲食店ではそのような体力もスペースも無い小さな店舗では、戸惑いを感じるという報道。
 これ別のニュースでも触れておりますが、飲食店全面禁煙にすると客足が遠のく、といって店側では嫌がっているのだそうですね。
 私なんぞは、絶対禁煙でないとその店には行かないので、全面禁煙を嫌がる、という店舗が多いのは、意外な感じがしていますが、世の中喫煙者が多いのですね。

 しかしこのニュースの内容で気になるのは、「受動喫煙防止」という大義名分ながら、「2020年東京オリンピック開催を機に」という外圧を感じさせる部分。
 オリンピックがあろうと無かろうと、外国から健康被害を指摘されようとされまいと、受動喫煙による健康被害を防止させねばならないと思います。

 そもそもが「禁煙」という言葉自体がおかしいと思います。「禁煙」ということは、喫煙が可能な状態であって、その上で喫煙を禁ずる状態。
 話が逆なのであって、そもそもが喫煙が禁止であるのがデフォルトで、あえて喫煙を可能な「可煙」であるようなものかと考えます。
 公共の場の代表である道路、市町村の条例で「路上喫煙禁止」を設定しない限り、路上での喫煙は法律上は可能です。
 この道路上において喫煙が可能ななのはおかしく、条例で禁止する以前に法律で禁止状態にせねばなりません。
 受動喫煙であれば、路上はいろんな人がおり、路上で喫煙は、ほぼイコール歩きたばこです。危険極まりなく、ここはやはり厳禁にすべきと考えます。

 ところで今でも喫茶店で「禁煙席」を設けている店舗があります。
 具体的な店舗の場所は秘匿にしておきますがある喫茶店、店内に普通にテーブルと腰掛が並ぶ一か所のテーブルが「禁煙席」。店内は一続きの空間で禁煙席でありながら煙の中。
 何、考えてるねん、などと思います。
 
 名古屋人が日ごろ足しげく通う(らしい)コメダ珈琲は喫煙可能な店ばかりなので、私は行きません。
 しかし検索すると、店内全面禁煙の店舗があるらしいので、今度行ってみようと思っています。