「職人もわしらも、あのときに自分らが持ってるもんを
全部出し切って燃焼し尽くしたんやから、
もうそれでよろしんや。」
――――安井清
桂離宮の修復に携わった棟梁のお言葉。
予算だとか、合理性だとかがとかく重要視されがちで、
どうしても職人技でという重要な文化財以外は
入札制度で大手ゼネコンが文化財の修理も請け負ってしまう。
それが本当に適材適所なのか、疑問。
職人が代々受け継いできた手法や、
いわゆる「勘」という経験値。
それらは重要視されず、
後回しにされて、
「予算をおさえる」こと、「工期を短縮する」こと、
「効率よくしあげること」を
良しとすること。
もちろんそれが全面的に悪ではなく、
需要がそうなのだし、大切なのだけれど、
でもでも、なんか焦燥感。
どうしても、憂えてしまう。
全部出し切って燃焼し尽くしたんやから、
もうそれでよろしんや。」
――――安井清
桂離宮の修復に携わった棟梁のお言葉。
予算だとか、合理性だとかがとかく重要視されがちで、
どうしても職人技でという重要な文化財以外は
入札制度で大手ゼネコンが文化財の修理も請け負ってしまう。
それが本当に適材適所なのか、疑問。
職人が代々受け継いできた手法や、
いわゆる「勘」という経験値。
それらは重要視されず、
後回しにされて、
「予算をおさえる」こと、「工期を短縮する」こと、
「効率よくしあげること」を
良しとすること。
もちろんそれが全面的に悪ではなく、
需要がそうなのだし、大切なのだけれど、
でもでも、なんか焦燥感。
どうしても、憂えてしまう。
いいもは、やっぱり高い。
でもその価値がその値段に等価だとわかりつつ、
それでも予算をおさえなきゃならない。
いろんな人のはがゆさを感じます。
「心のやりとりと、相手への信頼」、そこがほんとの原点の原点にあるのがベストですよね。
持ってるもんはいつも、出し切っているつもり、
でも、消費者の方に立って考えてみると、
昔の情や、気持ちのやり取りで物を買うって事が、
出来なくなってるなーと、思う。
家なんて、心のやり取りと、相手への信頼が無きゃあ、できないし、お互い少しでも高くや、
少しでも安くじゃあ、いいものは作れないよな~。