Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

東海道・桑名宿から草津宿へ!その3

2006-07-04 22:34:10 | Weblog
≪東海道・桑名宿から草津宿へ!その3≫

 植林に覆われて薄暗い峠付近を抜けると茶畑が広がった。鈴鹿峠は典型的な片峠のようで、急峻な鈴鹿側に比べて近江側は緩く上っているようだ。万人講常夜灯を右に見て下りに入る。

 ひなびた家並みが残る蟹ヶ坂を抜けて真っ直ぐ橋を渡って進むと田村神社の境内へと入っていった。平安時代初期、坂上田村麻呂を祭神として創建されたという由緒ある神社である。うっそうとした森を抜け、玉砂利の上を遠慮しながら自転車を押していった。本殿前には茅の輪くぐりがあり、説明書き通りに潜ってみた。

『土山宿』
 馬子唄に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と謡われている。道の駅より旧街道に入り、カラー舗装の道を進むと当時の雰囲気が色濃く残る家並みが両側に広がる。一里塚跡、旅籠跡、本陣跡、高札場跡と宿場町の定番ともいえる痕跡が其処かしこに残っていて、ゆっくりしたい所でもあった。

 白川の渡し場を迂回し、垂水斎王頓宮跡へ寄ってみた。何の変哲もない林の中に祠があった。頓宮とは、都の天皇が伊勢神宮にお参りする時に泊まったところということか。

 街道は野洲川に沿って河岸段丘上を西に進む。緩やかに下っているために自転車には好都合な地形でもある。

『水口宿』
 小さな丘を越え、坂を上ったところに水口宿の東見附跡があった。この地域の中心地でもあるのか街並みは結構大きく、水口城の城下町でもある。本来ならゆっくりとしたい魅力的な場所であるが、今回は急ぎ旅のために通り過ぎただけであった。

 更に西に進み、横田の渡し跡へ突き当たった。明治期のものであろうか、石の橋台だけが残っていた。

 横田橋を渡って草津線三雲駅に寄って休憩を取る。道は更に落ちついた家並みの中を真っ直ぐに草津へ向かっていた。

『石部宿』
 街道沿いの民家が増えて、どこからが宿なのかは判断し辛い。夕方の帰宅ラッシュのせいか、クルマが多くなって怖い思いをする。

 和中散本舗のところまでくれば草津宿は近い。最後の力を振り絞ってペダルを漕ぐ。金勝川の堤防下を走るようになると気も楽になった。橋を渡って左岸へ移り、坂を下れば中山道との追分の碑の下へと出た。

 桑名宿から草津宿を一日で走るのは急ぎ過ぎのようだ。当時の旅人並とまではいかないでも、一日自転車で50キロ位がのんびり出来て良いようである。次回はピンポイントで興味の湧くエリアだけを訪れてみたい。

 草津駅よりは輪行のため、駅前のラーメン屋さんでチャーハン、ラーメン、餃子、生ビールと心置きなく味わった。