《一ノ宮巡拝 河内、和泉、摂津の国へ!》
畿内の河内国、和泉国、摂津国の一ノ宮を訪れて来ました。
今回は、サイクリングでお世話になっているIさんの案内で、畿内三カ国の一ノ宮を参拝しました。梅雨明けもハッキリしない不順な天候のため、当初予定していた自転車プランは取りやめ、車での移動となりました。
石切神社・・・石切さんは、遠く離れた全国でも知っている人がいるほどです。やはりガンに代表されるできものの病気が多い現代社会では、できものの神様で超有名な石切神社のことは知られています。正式には「石切劔箭神社」というそうです。
要するにオデキの神様、大阪辺りでは人気のお宮さんで、お百度参りの老若男女で賑わっていました。また、駅から坂を下りてくる参道沿いには、土産屋や食堂がずらっと並び、賑わいを見せていました。お昼は、名物の散らし寿司をいただきました。お土産にはせんべいがよいとか。
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(河内国 枚岡神社)
河内国一ノ宮「枚岡神社」・・・大阪平野の東端、奈良盆地との境に連なる生駒の山々、そのほぼ中央の山麓、なだらかな山裾に鎮座するのが枚岡神社である。近鉄奈良線枚岡駅下車すぐ駅前に参道が続くこの神社は、河内一の宮である・・・ネットより
当初、奈良駅より国道308号を走り、暗峠(くらがり)を越えて神社を訪れる予定でしたが、雨模様のために断念し、Ⅰさんのお世話になっての参拝となりました。鳥居に飾られた注連縄(しめなわ)が独特な形をしていました。
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(和泉国 大鳥大社)
大阪市内を過ぎ、大和川を越えて堺市へ。以前、訪れた仁徳天皇陵などの古墳群が懐かしい。その町中に和泉国一ノ宮「大鳥大社」がありました。
日本武尊が東夷征討の帰途、伊勢で亡くなりました。その屍は白鳥となって飛び去り、大和国琴引原から河内国古市を経由して、この地に留まったので社を建立したといわれています。日本武尊の白鳥伝説は、酉の市で有名な浅草の鷲神社や目黒の大鳥神社、そして大阪羽曳野市などにもあり、尊に何等かの関連のある所には広く伝われています。このような各地に存在する日本武尊にまつわる白鳥伝説ですが、堺市の大鳥大社は大鳥(鷲・大鷲)神社の総本社としての格を持ち千葉県柏市の大鳥神社を始めとして全国各地の神社に分祠されています・・・ネットより
日本武尊を乗せた白鳥・・・それが大鳥の名前の由来になったようです。境内には日本武尊の銅像が建っていました。羽曳野も同様ですね。
方違(ほうちがい)神社・・・社地は摂津、河内、和泉の境の三国山(現在は三国ヶ丘と称される)にあり、三令制国のいずれにも属さない地、方位のない地であるとして、古くから方位、地相、家相などの方災除けの神社として信仰を集めてきた・・・ネットより
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(摂津国 住吉大社)
一ノ宮巡りの三つ目は、摂津国一ノ宮「住吉大社」・・・海の神である住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と息長足姫命(神功皇后)を祀り、「住吉大神」と総称される。住吉大神宮(すみよしのおおがみのみや)ともいい、当社で授与される神札には「住吉大神宮」と書かれている。大阪の住吉大社、下関の住吉神社、博多の住吉神社、の三社が日本三大住吉とされる・・・ネットより
お世話になったⅠさんと別れ、同じく自転車でお世話になっているOさんの案内で住吉大社へと向かいました。丁度、夏の祭礼が終ったところのようで、屋台などが並び、とても活気にあふれていました。石造りの太鼓橋を越え、賑やかな楽団?の音楽を聴きながらの参拝となりました。
本殿は遷宮のために改修中とのこと。あの日本最古の建設会社?「金剛組」が請け負っているようでした。
日本という国が最初にできたのが淡路島とか・・・その淡路国一ノ宮「伊弉諾神宮」(いざなぎ)を訪れた時、諸国一ノ宮巡拝というものを知りました。信仰心という点ではとても怪しげ?ですが、奈良時代に成立したという60幾つの諸国にある一ノ宮を訪ねてみたいなと思い立ったのがそもそもの始まりです。(一ノ宮という格付けは平安時代に作られたとか・・・一つの国に一ノ宮が二つ以上ある場合もあります。二ノ宮、三ノ宮・・九ノ宮もあるそうです)
時間は掛かりそうですが、老後?の楽しみに全国を訪れてみたいなと思っています。興味のある方、ご同行をお願いします。