時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

日本におけるイスラム差別

2016-07-08 00:05:15 | 日本政治
前回、軽く日本におけるイスラモフォビアについて触れたが、
これに関連して数日前に掲載されたスプートニク紙の記事を紹介したい。


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日本にいるムスリムへの当局の監視については、
2010年の警察情報の大量漏洩で知られるようになった。

そこには彼らの通うモスクや、名前、住所、風貌、交友関係など、あらゆる個人情報が含まれていた。
情報共有サイトには数週間で20カ国から1000万人以上のユーザーのダウンロードがあった。

宮坂直史防衛大学教授は、
 
 これは日本の対テロ史上最大の失敗である。警察と情報提供者との間の信頼と協力を通じて
 潜在的な脅威に関する情報を収集する治安機関の評判が傷ついたためだ。

 その後まもなく、日本のイスラム教徒のグループが(中には日本人もいた)、東京都と政府を提訴した。
 このような措置は違法であり、信教の自由を侵害するものである、とのことだった。

 アルジャジーラによると、裁判所は、補償として原告に88万ドルを支払うことを命じた。
 しかし裁判所は、テロ防止の必要性を考慮し、監視の停止については決定を取らなかった。

 モハメッド・フジタさんは日本人。20年以上前にイスラム教に改宗した。
 氏は、これではすべてのイスラム教徒が自動的にテロの容疑者になってしまう、と言う。
彼らは私たちをテロ容疑者にしてしまった。我々は違法なことなど何もやっていない」とフジタ氏。

日本の裁判所の判決に対し、スプートニクの取材に応じた
イスラム研究センター基金のマルジャニ・イルシャト・サエトフ学術代表が見解を示した。


「私は、このやりかたは人権を侵害している、と思う。
 連帯責任の原則が特定の人種、国籍、社会集団や宗派に課されてはならない。
 イスラム教徒の99.9%は平和な人々であり、誰にも害を及ぼさない。

 一方、治安機関と警察は、犯罪やテロリストとの関連を疑われている人を追跡する必要がある。
 裁判で、原告の弁護士は、日本のイスラム教徒人口の98%以上が監視下にあった、と述べた。

 しかし、私は日本ですべてのイスラム教徒が追跡されていたとは思わない。
 おそらく追跡は特定の個人に対して行われており、インターネットに流出した
 114件の警察ファイルから判断すると、おそらくその人々こそ最も強い疑いがかけられていた。

 この人々にはもしかしたらインターポールや外国の特務機関も追跡を行っていたかもしれない。
 しかし、日本の当局がイスラム教徒へのスパイ行為を容認する最高裁判決に関する情報を
 「ミュート」するために最善を尽くしたことは注目に値する。

 どうやら彼ら自身、特定の宗教グループを追跡することは正しいことではない、
 ということを理解しているらしい。ここには矛盾が見られる。

 一方で、裁判所は、原告に有利な判決を下し、補償を与えている。
 一方で、監視は必要であると認定された。私は追跡の性質についてはデータを持っていないが、
 おそらく、最高裁は国家安全保障の観点から問題を検討しており、
 下級裁判所は単に法律の条文に従ったのだろう」

元NSA職員エドワード・スノーデン氏も意見を述べている。

まず第一に、何の犯罪にも関わっていないイスラム教徒が苦しむ。
 日本でテロが最後に行なわれたのは20年前の 「オウム真理教」事件で、
 東京地下鉄へのガス散布により13人が死亡、6000人以上が負傷した。
 それはイスラム教徒のグループではなかった。
 単に教祖を日本の皇帝にしようとした狂信者の犯行に過ぎなかった」

とスノーデン氏。イスラム・トゥデイが報じた。

日本の国外では、日本人はしばしばイスラム過激派のテロの犠牲者になっている。
7月1日に発生したダッカの人実事件では、報道によると、日本人7人を含め、20人が殺害された。

http://jp.sputniknews.com/opinion/20160705/2423847.html
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重要なことは、イスラム原理主義者の犠牲者の多くはイスラム教徒であるということである。
ムスリムの多様性を無視して、悪戯に敵視する。これは日本に限られた話ではない。

例えばフランスのパリで起きた同時多発テロ事件は大きく取り上げられる一方で、
シリアやレバノンで日常的に起きるテロに対してはこれといった批判が起きない。

こういう矛盾が当たり前のように受け入れられている。
そのため、フランスの知識人の中には日本はまだマシと答える人間もいる。


とはいえ、彼らは日本当局がムスリムを監視していたことは知らないわけで、
ムスリムに対する偏見を助長させるような真似を政府が行っているという点では
フランスとどっこいどっこいである。


加えて、ヨーロッパが歴史的にイスラム圏と衝突していたのに対して
日本はこれといってイスラム圏と敵対したことがないことを思えば、
むしろ、イスラムに対する過剰な恐怖心は日本のほうが勝っているのかもしれない。

日本におけるイスラモフォビア

2016-07-04 19:37:57 | 国際政治
現在、各メディアがバングラデシュのテロを集中して報じている。
もちろん、大きな事件であることには変わりないのだが、隣国ミャンマーにおける
イスラム教徒の弾圧など、この地域におけるイスラム教徒に対する差別が語られていない。


もっぱら強調されるのはダーイシュ(イスラム国、IS)の異常性であり、
このような「悲劇」を繰り返さないために「国際社会」が「協調」しなければならないという主張だ。


ある事件が起きるのは、それなりの理由があるからであって、
本当に悲劇を繰り返したくないのであれば、同国の差別問題に言及すべきなのだろうが、
かわりに提示されるのが、「協調」、要するにテロとの軍事的対決の強調である。


パリのテロ事件の際にも悲劇性を強調し、フランスのシリアへの軍事干渉が正当化された上、
その後、移民世帯を中心とした令状なしの拘束、監視、デモの禁止などの人権侵害が当然視された。


あわせて、日本の報道の場合、自国におけるイスラム教徒への差別に触れようとしない傾向がある。
嘘だと思うのであれば、次の事件について私たち日本人の何人が知っているのか想像してみればよい。



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日本、イスラム教徒への監視は「合法」


日本の最高裁は国内のイスラム教団体に対する警察の監視を合法と判断した下級裁判所の決定を支持した。
インディペンデントが伝えた。

2010年、警察のファイル114件が漏洩し、イスラム教徒への監視に関する情報が明らかになった。
祈りの場やイスラム教徒向け飲食店、東京都内のイスラム教団体の事務所が監視対象となっていた。


その後、中東・北アフリカからの移民を主体とする日本のイスラム教徒17人が、
憲法上の権利が侵害されているとして、日本政府を訴えた。


原告はプライバシーの侵害について 88万ドルの金銭的補償を受け取ったが、
裁判所は警察の行動を国際テロに対する防衛のために「必要かつ不可避」のものと判断した。


http://jp.sputniknews.com/japan/20160701/2407700.html
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「必要かつ不可避」というのは、「監視しなければいけない」という強い表現である。

 イスラム教徒をテロリスト予備軍として見張ろうとする行為にこそ問題があるのだが、
 こういう点に関して、本当に最高裁というのは、わかっていない。国際基準とズレがある。


 まぁ、フランスも中東からの移民を犯罪者予備軍として見ているわけだから、
 どこも同じなのかもしれないが・・・それにしても日本の人権意識は低いように感じる。



ついでに言うのだが、日本の場合、人権もさることながら生命倫理そのものが疎いというか
よくわかっていないようなところがある。動物園で飼育されている動物に対する反応がまさにそれだ。


先日、日本で最高齢のゾウのハナコが死亡したことがニュースになったが、
ここでも強調されていたのは飼育員とハナコとの間の友情であり、
外国の保護団体から、本来、広大な草原で群れになって暮らすゾウを
非常に狭い空間に一匹だけ隔離するように「飼育」したことが非難されたことには触れていなかった。


ネットでも、ハナコの隔離飼育は必要なものであり、ゾウのためであったという見解が主流である。
こういうのを読むと、映画『ザ・コーヴ』に対する反応と同じものを感じてしまう。


つまり、日本人の動物への接し方は愛情を持ったものであり、
そこには一片の問題もなく、非難は日本の文化を知らない外国人の戯言に過ぎないというものである。


「ゾウ」を「在日コリアン」や「朝鮮」に変換すると、これはまさにネトウヨの言い分そのものだ。


日本の植民地化政策は「朝鮮」には必要なものであり、愛情を持ったものであり、
実際、それにより感謝する「朝鮮人」もいたのに、それを非難するのは
日本の好意をよく知らない外国人の戯言だ。こういう風に変換することが容易にできる。


ナチ研究の中には、アメリカの家畜に対するのマニュアルが
ホロコーストの原型になったと指摘するものもある(『動物虐待とホロコースト』)


ムスリムにせよコリアンにせよ動物にせよ、
要するに差別というものは特定の対象を「自分たちとは違う扱いをして構わない」とみなすことであり、
「奴らは俺たちの仲間ではない」という態度を自然に取ることである。


それについては、日本ではすでに十分土台が出来上がっているわけで、
難民や外国人(ただし欧米人は除く)を社会的に排除している構造がある今、
いつ日本で同様の事件が起きてしまったとしても、それは別段おかしなことではない。

特に今後、冒頭で紹介したムスリム差別について、私たち日本人が全く気にしないまま、
テロとの戦いに参加してしまったら、東京でテロが起きるのも時間の問題ではないだろう。


こういう点について知識人はもっと真剣に語らなければいけないと私は思う。