時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

レオポルド・ロペスとは何者なのか

2015-03-19 21:42:10 | キューバ・ベネズエラ
こうしてプロパガンダは作られる ベネズエラ編

前の記事です。



ユートピアでもない限り、政府は必ず失敗を犯し、民衆の不満がたまるものですが、
その場合、その抗議の手段は正当なものでなければならないはずです。


少なくとも私は、①暴力、②虚偽、③欧米政府との協力をもとにした
抵抗運動は、いかなる理由があろうとも断固拒否すべきだと思います。


というよりも、この3点は得てしてセットになりがちです。
今回もベネズエラの反政府メディアの記事を実例に説明していきましょう。


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レオポルド・ロペスって誰?

レオポルド・ロペスはハーバード大学ケネディスクール出身の
カリスマ性を持つ若いベネズエラの経済学者で政治家です。


彼はカラカスのチャカオ市の前市長です。
彼は全く身に覚えのない汚職の申し立てにより、2008年選挙に参加することを禁じられました。


2011年には、ロペスの有罪が証明されなかったので、
米州機構がベネズエラ政府に対しロペスの禁止を取り下げるよう指示を出しました。


そして彼は野党「民衆の意志」Voluntad Popularを結成しました。
彼はこの抗議運動の主要な支援者でした。

しかしマドゥーロがテレビの生放送で
ロペスは殺人とテロリズムの罪を犯したので逮捕されなければならないと発言。


それに応じて彼は自ら出頭しました。
彼は野党の中でもより急進的な立場とみなされており、
路上での抗議活動が民主主義への移行に向うためには鍵となるポイントだと見ています。

http://venezuelainjapanese.com/2014/02/24/faq/
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米州機構はアメリカの中南米支配の道具として現在まで君臨する機関です。

米国、カナダと中南米33カ国でつくる南北米州の地域機構。1951年発足。
民主主義促進や貧困削減を掲げる一方、47年結成の米州相互援助条約(リオ条約)と連動し、
軍事干渉の正当化やキューバ封鎖など米国の中南米支配の道具にされてきました。

(赤旗の記事より http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-02-15/2010021507_01_1.html)


上の記事では説明されていませんが、
ロペスはベネズエラ初代大統領のひ孫で、正真正銘の支配者階級出身の人間です。


彼は71年生まれですが、国の財産がアメリカによって搾り取られた
新自由主義の時代、支配者の特権としてアメリカに留学し、博士号を取得しました。

この時代、ベネズエラが教育後進国であり、成人の識字率が40%だったことを踏まえれば、
ハーバード大学に留学するということが如何に至難の技だったかが想像できるでしょう。

(ちなみに現大統領のマドゥロは元バスの運転手で労働者の家庭の生まれです。
 背景からして、エリートと庶民との激突であることがわかるかと思います。)



このように、アメリカお抱えの政治家であり、
その主張も石油企業の民営化、規制緩和、IMFとの協力という
80年代~90年代のベネズエラの時代と全く同じ政策を主張していること。

(参照:http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-ef24.html)


これは是非とも押さえておかなければならない点です。

引用分だけを読むと、如何にも不当な理由で逮捕されたかのように見えますが、
実際には、彼はどのような経緯で出頭するに至ったのでしょうか?


アメリカ・南米関係を研究するサリーム・ラムラニ助教授の寄稿文を読んでみましょう。


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ベネズエラ反政府抗議行動の25の真実

サリーム・ラムラニ
Opera Mundi (Rebelion 2014/02/25)



選挙によって政権をとることができない急進的な反チャベス派勢力は、
2002年と同様、憲法秩序を破壊するために、抗議行動を増大させている。



1.
2013年4月以降、選挙で合法的に選ばれた
ベネズエラのニコラス・マドゥーロ大統領は、強力な野党勢力と対決している。
野党勢力は、米国の支援を受けて、1998年に失った政権を再び取ることを狙っている。


2.
野党勢力は、2013年4月の大統領選挙において、1.59%の差で敗れたため、
当初は選挙の結果を否定した。しかし、その選挙結果は、欧州連合や米州機構、
カーター・センターなど、最も重要な国際機関によって保証された結果であった。

そして、野党勢力は、その怒りを暴力的な行為で示し、チャベス派の11人の命を奪ったのである。

3. 
しかしながら、当選したニコラス・マドゥーロ大統領と、
野党で右派のエンリケ・カプリーレス候補の票差が僅差であったことで、右派は活気づき、
政権奪還の期待で奮い立った。そこで2013年12月の地方選挙を戦略目標としたのである。

4.  
あらゆる予想とは反対に、地方選挙はチャベス派の政権を信任する国民投票を意味するものとなった。
というのは、チャベス派が基礎行政区の76% (256区)を獲得したのに対し、
全野党が集まった反チャベス派同盟の民主団結会議(MUD)は23%(76区)しか
獲得できなかったからである。

5.  
この重大な敗北に士気をくじかれ、民主主義的な手段で政権を奪還する見通しが
再び遠ざかるのを見て(次の選挙は2015年12月の国会議員選挙である)、
野党はウゴ・チャベス大統領に対するメディアと軍によるクーデターに至った
2002年4月のシナリオを繰り返すことを決定した。


6.  

2014年1月以降、野党の急進的な党派が、行動を起こすことを決定した。



「人民の意志」党の指導者で、
2002年4月のクーデターにも参加したレオポ ルド・ロペスは、
2014年1月2日から、抗議行動の呼びかけを開始した。


「われわれは、ベネズエラのみなさんに対して、(…)決起を呼びかける。
 ベネズ エラ国民が「もうたくさんだ」と声を上げることを呼びかける
(…)目的は、“解決策”について議論することだ。何が、この惨状の解決策となるのか?」




7. 

2014年2月2日の抗議行動において、レオポルド・ロペスは、
すべての悪はマドゥーロ政権に責任があると非難した。

「ここ最近の物資不足は、誰のせいか。それは、政府のせいである」



8. 

2014年2月2日、野党の大物で、
首都カラカスの市長であるアントニオ・レデスマも変化への呼びかけを開始した。

「現在まで15年連続で続いているこの体制は、対立を引き起こしている。
 今、全ベネズエラの街頭がひとつになる」

9.  

野党議員のマリア・コリーナ・マチャドは“圧政”を終わらせるための呼びかけを開始した。

「ベネズエラ国民の答えは“反逆”だ。選挙まであと数年、待つべきだという人たちもいる。
 子供たちのための食料を入手できない人々は、待つことができるだろうか? 
 働く権利や所有権を奪われている公務員、農民、商店主は、待つことができるだろうか? 
 ベネズエラは、もう待つことができない」

10.
 
2014年2月6日、反チャベス派の抗議行動の後、
100人あまりの覆面をした学生の集団が、タチラ県の知事公邸を攻撃し警察官10人が負傷した。

11. 

同じ週、反チャベス派の抗議行動が、いくつもの県で相次いで起こり、
それらの抗議行動のすべてが暴力行為で終わった。

12.  
2014年2月12日、反チャベス派が検察庁前に大々的に組織した抗議行動は、
挑発行為を行うために組織された私立大学の学生たちで構成されたものであった。


この抗議行動は、それまでにないほどの暴力的な事件となり、
3人の死亡者、約100人の負傷者と、数えきれないほどの物的損害を出した。


13. 
2002年4月のクーデターと同様、3人の死亡者は、頭部に1発の銃弾を受けて死亡した。

14. 
3人の中には、チャベス派のフアン・モントーヤと、
反チャベス派のバジル・ダ・アコスタと呼ばれる人物が含まれていた。
弾丸を調査した結果、二人とも、同じ武器を使用して殺害されたことがわかった。

15. 
この抗議行動後の数日間で、参加した学生たちは、
“インフレと治安の悪さに抗議するために”正式に組織され、
カラカスの富裕地区にあるアルタミラ広場に結集した。

16. 


数カ月前から、ベネズエラは、反チャベス派が仕掛けた経済戦争に苦しめられている。
反チャベス派は、いまだ広範な産業分野を支配しており、
物資不足を人為的に作り出したり、生活必需品を買い占めたり、投機的行為を倍増させたりしている


17. 
そのような状況の中、2014年2月5日、当局は、タチラ県において、
倉庫に隠されていた1000トン近くの必需食料品(米、砂糖、油、コーヒーなど)を押収した。
2013年1月以降、当局は、5万トン以上の食料品を押収している。

18.  
ベネズエラ政府は取り締まりを開始し、買占めや投機を行う人々を処罰することを決定した。
2013年11月、政府は、家電製品チェーンのダカに介入し、 価格統制を行うことを決定した。
ダカは、家電製品に1000%以上の利益を上乗せして販売していたため、
ベネズエラの大部分の人々は、購入することができ ない状態であった。

19. 現在は、企業の売買差益は、30%を上回ることができなくなっている。

20. 
ニコラス・マドゥーロ大統領は、クーデターの企てを非難し、
“ファシズム”と対決することを国民に呼びかけ、
「われわれを祖国と民主主義の道から引き離すことは、誰にもできない」と断言した。

21. 
米国人外交官3人が、流血の惨事となった抗議行動とかかわっていたため、
2014年2月17日、国外退去となった。ベネズエラ政府によると、
3人は、抗議行動について連携するため、私立大学の学生たちと会っていた。

22. 
2014年2月18日、レオポルド・ロペスは、
暴力的な抗議行動における政治的責任を問われて
逮捕され、起訴された。


23. 
オバマ政権は、クーデターを企てた反チャベス派の責任をまったく指摘することなく、
ベネズエラ政府の暴力を非難した。それどころか、米国の国務省は、
この悲劇的な事件の主要な扇動者であるレオポルド・ロペスを、即時に釈放することを要求した。

24. 
西側メディアは、武装した急進的な党派による暴力的な行為
地下鉄や公共建築物における略奪、
 人民の店メルカル ―国民が食料を購入する店である!― の焼き討ち
)や、
国営テレビのベネソラーナ・デ・テレビシオンが銃撃されたことを、隠蔽した。

25.  
西側メディアは、ベネズエラで起こった悲劇的な事件を、
厳密な客観性をもって報道するどころか、クーデター主義者の反チャベス派の肩を持ち、
選挙で選ばれたニコラス・マドゥーロの民主主義政権を敵視した。


また、ためらうことなく世論を操作し、現在の状況を政府に対する大衆蜂起として報道している。
現実には、ボリーバル革命に賛同する非常に大規模な行進が示しているように、
マドゥーロ大統領は、大方のベネズエラ国民の非常に広範な支持を得ているのである。


http://emexico.web.fc2.com/articulos1/manifestacionesenvenezuela.html
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このように学生を扇動し暴動を起こした張本人がロペスだったのです。

しかも、ロペス達は暴動を扇動する直前に、
ベネズエラの石油の民営化、経済の規制緩和、国際通貨基金(IMF)との協力を発表していました。
(参照:http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-ef24.html)


加えて、アメリカの役人と裕福な人間が通う私立大学の学生との連携の疑い、
反チャベス派の生活必需品の買占め、そして反政府派の暴力行為。


これだけの汚点がありながら、ロペスを正当化することはかなり厳しいでしょう。


この反政府メディアの主張、叩けば叩くほどホコリが出てくるのですが、
特に非道いのがベネズエラのここ20~30年の状況についての説明。



簡単に説明すると、ウゴ・チャベスが大統領に当選する前の20年間は、
レーガン・サッチャー両陣営にサポートされた新自由主義政権の時代で、
IMFの指導の下、極端な緊縮経済と石油の民営化、経済の規制緩和を行った結果、
国民の80%(1900万人)が貧困、うち46%が極貧の生活を送り、
1975年から1997年にかけて中産階級の割合が56.9%から31.3%に減少し、
労働者の4分の1しか社会保障を受けられない状況に陥った地獄の時代でした。


以下、次の説明文を紹介します。

「【ベネズエラって?】

 面積は日本の2.4倍、人口2550万人、人種は混血66%と白人22%他。
 石油輸出量世界第4位という富裕国。しかし富は一部の金持ちのものだった。

 1980年代、90年代に強力にすすめられた新自由主義グローバリゼーション
 (市場原理を最優先する経済の世界化)で、国民経済は壊滅的打撃を受けた。

 IMF(国際通貨基金)から財政再建のための福祉予算の削減、
 規制緩和、公共 サービス部門の民営化、貿易自由化などが押しつけられ、
 貧困人口が増えた上に、所得格差が開いた。
 
 98年、チャベス氏が国民の圧倒的多数の支持を得て大統領に当選。

 旧体制にしがみつく資本家・大土地所有者、
 特権高級公務員・労働組合幹部、メディア支配層は、
 軍事クーデター、全国的な経済スト、大統領罷免国民投票などで
 政権転覆をはかったが、すべて失敗している。

(http://www.min-iren.gr.jp/?p=3462)



反政府メディアのサイトでは、この時代を次のように説明しています。

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チャベスが政権につくまでは、べネズエラの中流階級の人には、
世界の中流の人と同様に、頑張って働けば良い暮らしができ、
頑張って勉強すればより良い仕事につける可能性がありました。


確かに、発展途上国によくある汚職や政治の不正、
圧倒的な貧富の差という不平等の問題は昔からありました。

とはいえ、それとは別に中流層には頑張ればより良い生活をつかめるチャンスがあったのです。


ところが、チャベスが大統領になりベネズエラが社会主義の国になったことで、
その中流層の可能性はどんどん狭くなっていきました。

http://venezuelainjapanese.com/2014/06/03/whyprotest/
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これは史実を完全に無視した手前勝手な大嘘です。


実際には、前述したようにミドルクラスを含めた庶民が貧窮し、
頑張ればどうにかなると言えるような社会ではありませんでした。


データを見ても、中産階級が占める比率は
70年代から90年代にかけて現象の一途を辿っていっています。


(なお、この努力次第で幸福になれるという理屈は、
 新自由主義を推進する人間の決まり文句のようになっている)


要するに、ロペスをはじめとした反政府の先導者たちは
新自由主義の時代への回帰を求めているのです。



米国の関与の下で。


このことが反政府サイトでは一切触れられていません。



(ベネズエラ現大統領、ニコラス・マドゥロ)


最後に、この反政府派の活動を語る際に、絶対に外せないことについて説明します。

それは「スォーミング」です。

アメリカの防衛機関のシンクタンク、ランド社の研究員が考案したもので
ネットでつながった若者を蜂の群れ(スォーム)のように動かし、
アメリカにとって不都合な国に住む現地住民の抗議運動を
人為的に発生させようとするものでした。


要するに、アメリカのペンタゴンの研究機関が、
現地の学生を訓練し、抗議デモ・暴動を発生させてきた歴史があるのです。


その始まりは天安門と言われていますが、近年ではエジプトのキファーヤ運動が挙げられます。
このキファーヤとは現地の言葉で「もうたくさんだ」を意味します。



ここで、ロペスの暴動を呼び掛けた時の演説をもう一度読んでみてください。

「われわれは、ベネズエラのみなさんに対して、(…)決起を呼びかける。
 ベネズ エラ国民が「もうたくさんだ」と声を上げることを呼びかける。」


初代大統領の血をひく支配者層の人間が、
ハーバード大学に留学し、新自由主義への逆行を主張しながら、
スォーミング(学生を中心とする若者を動員し学生運動を誘導させる)を実行している。


このことで最も得をするのはどこの国かは、あえて書くまでもありません。


確かにベネズエラの経済状況は芳しくないですが、
その改善は選挙によって選ばれた人間が他国の指図なしに取り組むべきことです。


暴力と嘘と外国勢力との癒着に基づいた政権転覆運動は、
いかなる理由があろうと正当化できるものではない。それだけは確かではないでしょうか?


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