今日は私事ですが、自身の異動のお知らせをさせて頂きます。
2011年8月以来、上海の華東理工大学で勤務して参りましたが、今年7月末を持って新たな赴任地へ赴くこととなりました。
次の赴任先は中国山東省の省都、済南市にある済南大学で、同時に同じ済南市の山東師範大学でも教鞭をとらせて頂くことになっています。
着任は今年9月に始まる新学期からで、現在は済南大学・山東師範大学との契約・担当授業などの交渉を進めている段階です。
なお、これまで中国の大学での私の仕事は、日本人の外国籍教員として大学生のみに授業を行う立場でした。
(大学院生への授業も担当経験があるが、第二専門で日本語を学ぶ院生達だったためレベルは学部生と同じ)
しかし、次の職場では日本語・日本歴史や文化などを専門とする大学院生達を対象にゼミ形式の授業も担当することになります。
また、私自身の専門に近いテーマを研究する大学院生の指導教員という立場で、研究指導もさせてもらえることになっています。
(現在の話では、まず副指導教官として指導をはじめさせてもらう予定)
ちなみに私の場合、将来もずっと中国で外国籍教員(日本語教育そのものに関わる教員)として勤めていく考えはありません。
専門である日本近現代史、近現代日中関係史に関する日本での研究職のポストを得た後に帰国する、これが今も変わらぬ方針です。
やはり研究に関する仕事をしている時が一番の充実感、喜びがあり、私自身にとって一番向いている仕事だと思うからです。
そのゴールに近づこうと考えた時、現在の上海の職場では足りないものが多いと考えるに至りました。
もちろん、当初は研究環境のよい上海市内の他の大学への異動も考えましたし、実際にそうしたお話は幾つかありました。
ですが、上海・北京などでは外国籍教員が大学院授業を担当し、かつ指導教官もできる大学が皆無の状態でした。
むしろ、これらの地域ではレベルの高い大学ほど外国籍教員は学部生授業のみを担当するケースが多いことも、後で知りました。
何より、将来的に語学教員の道を離れる私が、よりレベルの高い語学授業を求められる大学へ着任する意義も見出せませんでした。
それならば、もっと研究職に近い仕事・キャリアを積める大学へ行きたいと考えていた矢先、済南との縁を頂いたというわけです。
上海を離れる時期を決める基準になったのが、上海に来てから進めていた千葉大との全学協定の締結を終えてから、ということでした。
2012年3月の交渉開始から2014年3月の協定締結まで約二年かかりましたが、現在は留学生派遣が可能になり、今年10月から学生が日本へ行きます。
有難いことにそれまで異動のお誘いを数校から頂いたのですが、それらは全てお断りし、千葉大との協定締結を終えた後、異動交渉を始めました。
もっと早く異動するという手もあったのでしょうが、現在の大学に博論執筆時に大変お世話になったせめてものお礼、また、日中双方の学生が関われるような機会をつくることに少しでも貢献できた後に、今回の異動を選択したことは間違っていなかったと思っています。
ともかく、7月末をもって私の上海での教員生活は終わります。
思うことはもちろん色々とありますが、精一杯の力で上海の残りの教員生活を過ごしたいと思います。
それが、次のステージに向かって力強く進むためのエネルギーになることを信じて。
2011年8月以来、上海の華東理工大学で勤務して参りましたが、今年7月末を持って新たな赴任地へ赴くこととなりました。
次の赴任先は中国山東省の省都、済南市にある済南大学で、同時に同じ済南市の山東師範大学でも教鞭をとらせて頂くことになっています。
着任は今年9月に始まる新学期からで、現在は済南大学・山東師範大学との契約・担当授業などの交渉を進めている段階です。
なお、これまで中国の大学での私の仕事は、日本人の外国籍教員として大学生のみに授業を行う立場でした。
(大学院生への授業も担当経験があるが、第二専門で日本語を学ぶ院生達だったためレベルは学部生と同じ)
しかし、次の職場では日本語・日本歴史や文化などを専門とする大学院生達を対象にゼミ形式の授業も担当することになります。
また、私自身の専門に近いテーマを研究する大学院生の指導教員という立場で、研究指導もさせてもらえることになっています。
(現在の話では、まず副指導教官として指導をはじめさせてもらう予定)
ちなみに私の場合、将来もずっと中国で外国籍教員(日本語教育そのものに関わる教員)として勤めていく考えはありません。
専門である日本近現代史、近現代日中関係史に関する日本での研究職のポストを得た後に帰国する、これが今も変わらぬ方針です。
やはり研究に関する仕事をしている時が一番の充実感、喜びがあり、私自身にとって一番向いている仕事だと思うからです。
そのゴールに近づこうと考えた時、現在の上海の職場では足りないものが多いと考えるに至りました。
もちろん、当初は研究環境のよい上海市内の他の大学への異動も考えましたし、実際にそうしたお話は幾つかありました。
ですが、上海・北京などでは外国籍教員が大学院授業を担当し、かつ指導教官もできる大学が皆無の状態でした。
むしろ、これらの地域ではレベルの高い大学ほど外国籍教員は学部生授業のみを担当するケースが多いことも、後で知りました。
何より、将来的に語学教員の道を離れる私が、よりレベルの高い語学授業を求められる大学へ着任する意義も見出せませんでした。
それならば、もっと研究職に近い仕事・キャリアを積める大学へ行きたいと考えていた矢先、済南との縁を頂いたというわけです。
上海を離れる時期を決める基準になったのが、上海に来てから進めていた千葉大との全学協定の締結を終えてから、ということでした。
2012年3月の交渉開始から2014年3月の協定締結まで約二年かかりましたが、現在は留学生派遣が可能になり、今年10月から学生が日本へ行きます。
有難いことにそれまで異動のお誘いを数校から頂いたのですが、それらは全てお断りし、千葉大との協定締結を終えた後、異動交渉を始めました。
もっと早く異動するという手もあったのでしょうが、現在の大学に博論執筆時に大変お世話になったせめてものお礼、また、日中双方の学生が関われるような機会をつくることに少しでも貢献できた後に、今回の異動を選択したことは間違っていなかったと思っています。
ともかく、7月末をもって私の上海での教員生活は終わります。
思うことはもちろん色々とありますが、精一杯の力で上海の残りの教員生活を過ごしたいと思います。
それが、次のステージに向かって力強く進むためのエネルギーになることを信じて。
中国の伝統文化を知るうえで、山東省は大事な役割を果たしていると言えましょう。
先生のご研究のためになれると思います。
ただ済南は夏になるとすごく暑いと聞いてますけど。。。(笑)
お体にお気をつけてくださいね!
あらためて、ご転職おめでとうざいます。今後もご活躍をお祈り申し上げます。
ルリさんも山東出身者でしたね。上海に来て以降、私の周りには山東出身の学生が多いことに最近気づきました。
もちろん、他の省出身者の学生もいるのですが、なぜか山東省出身者の学生とは特に仲良くさせてもらっているケースが多いようです。ルリさんもその一人ですね。
今後は山東の情報を色々と教えて下さいね。
そう言われてうれしいです。
私も先生からいろいろと教えていただきまして、感謝しています。
機会があればまた山東省で会いましょう。