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こんにちは江崎遊子です。

ちょっと言ってもいいですか。

衣類の整理。

2018年02月09日 | おばあちゃん

 おばあちゃんの衣類を片づけている。
 半纏や靴下など、わたしが使えるものはもらった。
 やがて、わたしが二代目おばあちゃんになるだろう。

 誰か着てくれる人でもあれば良かったけど、
 仕方なく、沢山片づける事になった。
 プラスティックゴミの日に出せるのだけれど、月2回だけだし、
 この雪の中、重くてバス停の所までゴミを出すのも大変である。
 昨日はとても風が穏やかで、絶好の片付け日和だった。
 落ちた屋根雪に大きな穴を掘り、その中で燃やした。
 
 
 洋服が大好きで、1日に何回も着替えるのがおばあちゃんのお楽しみだったと思う。
 長い時間をかけて集めた洋服である。晩年は整理する事も出来なくなり
 セーターは穴だらけになったり、食べ物の汚れや排泄物の汚れでわやだった。

 火事にならないと思うものの,ヒヤヒヤしながら片づけた。
 見事にほぼ焼いてしまった。クレーターのような大きな穴に、黒く焦げた化繊の残骸だけが残った。
 なんか虚しい気もするけれど、跡形もなく消えていくのはおばあちゃんだけではない。みんなそうだ。

 おばあちゃんは時々わたしの中に登場する。
 スーパーで野菜入のはんぺんを買う時、二人でよく食べたなと思い出す。
 買って来たばかりのはんぺんを二人で分けて、
 炊きたての白米で食べるその美味しさはおばあちゃんと共有できた。
 旦那の留守に、二人でアメリカ産の牛肉のステーキもしたっけ。
 何故か食べ物の事ばかりが思い出される。

 まあいいや。わたしはまだ生きている。明日美味しいものを作って食べよう。
 「生きてるうちが花なのよ」と坂村真民が言っているじゃん。
 
 
 

お別れの儀。

2018年01月10日 | おばあちゃん

 わたしたちは5日に家に戻ったおばあちゃんの通夜をし、
 
 1月6日、おばあちゃんは荼毘に付され、天の人となりました。
 お葬式はほんとの身内が集まって,皆で和尚さんと一緒に唱和しました。
 シンプルで気持の籠ったよろみ村のお葬式です。
 
 儀式に重きを置かない江崎家ですが、子供たちも忙しい中駆けつけてきて、
 最後のお別れをしました。
 無謀にも,ノーマルタイヤで深夜京都から車で駆けつけた下の息子にびっくり。
 
 久々の大集合で、盛り上がりました。
 おばあちゃんが皆を集めてくれたのでしょう。
 それぞれ忙しい身で、すぐに帰って行きましたが、楽しい時間でした。
 
 おばあちゃんの骨は旦那制作の骨壺に入りました。
 
 斎場の人に、珍しく立派な骨だと,感心されました。
 元々丈夫な身体に生まれつき、病気もせず,薬も飲まなかったことが効いていたかも知れない。
 お花好きなおばあちゃんに花も届けられ、華やかな祭壇ができました。
 

 おばあちゃんは焼かれるのが怖い,とよく口にしていたけど、
 おばあちゃん、大丈夫だったでしょ。
 おばあちゃんありがとう。
 さようなら。
 
 

おばあちゃん逝く。

2018年01月06日 | おばあちゃん

 1月5日の朝4時、
 おばあちゃんは天に召されました。
 特養に12月4日に入所し、ひと月皆さんのお世話になり、
 看護士さん、介護士さんに見守られながら、97年の生を全うしました。
 皆様、大変お世話になりました。
 眠るような穏やかな表情でした。
 拝。
 

新年あけましておめでとうございます。

2018年01月03日 | おばあちゃん

 
 今年もドーゾ宜しくお願い致します。

 年末から熱を出し、点滴を行い、いよいよ食事が喉を通らなくなり、
 おばあちゃんは寝たきりになっている。
 30日にも息子夫婦と孫を伴ってあての木園に出掛けた。
 その時はタイミングが悪かったのか、おばあちゃんは目もろくに開けず、
 おばあちゃんもいよいよか、と思わせるものがあった。

 園からの電話では酸素吸入をしたとの事だったしドキドキした。
 今日も午前中に皆してあての木園に出向いた。
 チアノーゼが出たと言うし、緊迫したものがある。
 しかし、おばあちゃんの顔色はそんなに悪くなく、
 「おばあちゃんお肉食べるか」と声をかけてみた。
 反応はある。
 初めて見るひ孫が分かるだろうか。
 
 盛んに手を挙げたり,伸ばしたり。
 何か分かるのかも知れない。
 
 
 蒲団を触ったり、手を伸ばしたりするので手を握ってさわった。
 「江崎キヨ子サーン」と呼んだら
 「はーい」と返事が返って来た。
 一瞬、部屋の空気が和んだ。
 言葉は出て来ないけれど、どこまで感じているのだろう。
 
 5分もするとおばあちゃんは疲れたのか、眠りに入りそうだった。
 
 まだ大丈夫、漠然とそう思った。

 帰り,スーパーに寄って買い物をしている時、
 急に涙が出そうになった。
 おばあちゃんの好きな唐揚げも、エビチリも、もう,要らないんだ、と思った。

 帰りの車の中、妙な静けさがあった。
 3月9日はおばあちゃんの98歳の誕生日だ。
  
 
 

あての木園訪問2。

2017年12月23日 | おばあちゃん

 旦那とおばあちゃんの様子を見にあての木園へ。
 報告では、ご飯を余り食べないとのこと。
 取りあえず、インスタントコーヒーを持って行った。
 それに、お正月なので、洋服を新調し、それも持って行った。

 カメラを忘れてしまったけれど、おばあちゃんは一回り小さくなっていた。
 8度の熱を出し、点滴を3回し、そのあとは元気になったとの事だった。

 完全に流動食になっており、残すことも多いみたいだ。
 がたっと,生命力が落ちたみたいだ。
 食事で出たコーヒー味の飲み物を盛んにストローから吸っていた。

 息子の事も,嫁の事も誰か分かるかと聞いたけど
 分からない,と言っていた。

 何がいいか,分からないけど、ちょっと複雑な気持だった。
 家で最後まで世話をするべきだったか、ちらとそんな思いもよぎった。

 知り合いの頼りになる看護士さん初め5人の看護士さんがいると言う。
 介護士さんの丁寧な世話を受ける方が遥かにおばあちゃんにとってはいいのではとも思う。
 おばあちゃんの好きな唐揚げでも持って行こうかとも思ったけど
 どうやら,唐揚げは食べられそうもなかった。

 看護士さんと,最後のあり方など話し合ったけれど、沢山のお年寄りを見てきている人であるので、
 あれだけ元気者と思っていたおばあちゃんだけど、看護士さんとの話から、
 何があるか、分からないとも思え,妙な気分になった。
 仕方ない。
 わたしたちはおばあちゃんの頭を触って、あての木園を後にした。