あすなろ

塾長日記

嵐を超えて

2015-08-18 21:53:57 | Weblog
あのね。30年間潰しもせず塾をやってきたんだよ。その俺に向かって弁当代を払わないなら警察に届けるとはバカにするのも大概にしやがれと思った瞬間からボーとしていた頭がフル回転してきたね。そうしてね。いろんなことを思い出した。歴史的にはバブル崩壊と言われてた1992年ごろのつらかった日々もね。当時の借金取りはすざましかったよね。銀行員ですら授業中だといっているのに教室に入ってくる。それも積立金の集金だよ。この銀行はのちに潰れたけれどノルマが達成できない行員は立たせておくといっていたね。一番すごかったのはやはり潰れたチサンホテルの合宿代の集金だったね。ああいう嵐を潜り抜けてきたんだものね。突然こんなやつに負けるかと思ったよ。








馬鹿にされて生きている

2015-08-18 18:58:17 | Weblog
最初は弁当屋の話。
退院してきて糖尿用の弁当が来るようになった。足も不自由だし最初は便利だったけれど、請求が来ないから何度かはどうなっているかとは聞いたのだけれどもそのままでおかずは同じものばかりになってきたからほかの弁当屋にしてしまった。請求が来たけれど支払いは遅れていた。それは認める。4か月12万だという。突然電話があってそこの社長から『今から警察に届ける』というのだ。なんで警察なのさ。びっくりした後怒りがこあげてきた。介護関係の人というのは認知症の人を扱ってるからか平気でもう一本の足も腐るわよとか簡単に言う。会話が相手をバカにしきっているんだ。
退院してきて必死に足のケアをしているのにもう一本の足も腐るとか、収入はどうなっているとかそんなことまでこたえる必要はないけれど生徒もまだいるしというと『本当に高校3年生なんて教えられるの』とも言われた。なんでこんなに屈辱的なことを言われられなくてはならないのか。もっともこんなことで、私は悔しさでよみがえったしな。

一番ブログ開通。

2015-08-18 10:39:01 | Weblog
入院中考えた退院してから夏までは不動産が売れるまで30年のあすなろの段ボール何箱もの写真や書類手紙類を整理して生きていくはずだった。だから今の生活でいいはずだった。仕事がないことがこんなにも孤独だとは思わなかった。仕事がないからお金もない。から行動も鈍る。ipadを導入したからブログを再開する予定だったけれどブログは読者を増やし過ぎてたくさんの人が見てくれているので、逆に言えば当たり障りがない文章になってしまって自分で読んでもつまらん。まるで朝日新聞みたいだ。やはり文は本音トークで書かないと