あすなろ

塾長日記

ペンション全滅

2011-07-09 16:31:46 | Weblog
夏の思い出
 とにかく、塾ができたころは合宿ばかりしていました。先日書いたように群馬のボロボロの農家で5年間くらい合宿していました。自分自身が高校三年の時、長野県の伊那郡の駅からバスで40分というド田舎で一カ月勉強して楽しかったからかもしれませんね。隣の部屋は京都大学哲学科の生徒とかね。川の中の岩に腰掛けてフルートを吹いている女子大生とか。幻想的でありました。群馬でもみんな渋谷の子だから、がけから転げ落ちて泥だらけとか、川に突き落とされてびしょびしょとかね。親と行った旅行じゃ絶対に経験できないことですからね。みんな大喜び
その群馬の農家はもうかってくるととても嫌な感じになった。バブルというのはああいうことだったのでしょうね。同じ時期、知り合いが富士山の樹海の中でペンションを始めた。その人はすごい額の退職金をもらってその全額と、息子が二人ともプロのテニスプレイヤーなのでその指導が受けられますと言うテニスペンションだった。各大学から、大型バスで客が詰め掛けた。さらにロッジを増設すると言うので、借金を申し込むも当時だからね。ガンガン貸してくれたそうだ。東京からやってきた女子大生にとっては,カッコいいペンションのオーナーだよね。テニスはうまいしね。それで結婚、ところがペンションの仕事なんか、実際は毛髪がイッパイ落ちているお風呂の掃除とかさ。朝五時に起きて、御殿場までおいしいパンを買いに行くとかね。大変なのよその仕事。そしてクタクタになって離婚。するとすぐに次の女の子って兄弟でそれぞれ2~3回の離婚経験があるんだよ
群馬の民宿がダメになったから、こちらにしたんだけど、段々経営が悪化してきてさ。やっぱり生徒がテニスをしただけで、ラケットレンタル代とかいってくるし。バーベキューとかしても、焼きそばばかりなんだよね。こちらはものすごい数の合宿しているから、そこの裏が見えてきちゃうんだよね。最後には自慢のお風呂を沸かすと重油代が大変とかいって近くの河口湖温泉に行ってと言うのだよ
ひとり千円としても二十人とか、私が払うんじゃね。行かなくなった。その後は油壺になった。ところでこのペンション。富士山が全く見えなかった。すでに不動産屋にだまされた土地だったんだろうね。