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フランス 「表現の自由」揺れる教育現場

2020-12-06 07:22:01 | 報道/ニュース

11月9日 NHKBS1「国際報道2020」


フランスでは9月から10月にかけての1か月余で3つのテロ事件が起きている。
 9月25日 パキスタン出身の男 男女2人を切りつける
10月16日 チェチェン系の男 教員を殺害
10月29日 チュニジア出身の男 3人を殺害
きっかけとなったとみられるのがイスラム教の預言者ムハンマドの姿を描いた風刺画である。
もともとはパリの新聞社「シャルリ・エブド」が掲載したもので
2015年にイスラム過激派から襲撃を受けた。
今年9月この事件の裁判が始まるのに合わせて
新聞社が再び風刺画を掲載したことがテロの引き金になったとみられている。
特にフランス社会で大きな衝撃が走ったのが10月16日の事件だった。
「表現の自由」について教える授業の中で生徒に風刺画を見せた中学校の教員が
18才の男に首を切りつけられ殺害されている。
テロが相次ぐなかでもフランスが守り続けようとする「表現の自由」とは何か。

10月21日パリのソルボンヌ大学。
「教育と表現の自由」を象徴する場所にマクロン大統領など400人が集まり国葬が営まれた。
亡くなった中学校の教員サミュエル・パティさん。
イスラム教の預言者の風刺画を生徒に見せたあと殺害された。
生徒たちには
“絵を見てショックを受けるかもしれないと感じるのであれば目をそらすように”と伝えていたという。
マクロン大統領は事件直後から
テロに屈することなく「表現の自由」を守っていくと表明した。
(フランス マクロン大統領)
「彼はイスラム過激派の標的になる人物ではない。
 “表現の自由”を教えただけだ。
 尻込みをする必要はなく
 風刺画を見せる自由を諦めない。」
しかしマクロン大統領の発言は大きな反発を招く。
預言者の姿を描くこと自体が冒涜だとされるイスラム圏でデモが相次いでいる。
ヨルダンでフランス製品の不買運動を組織しているジャーナリスト。
風刺画は表現の自由で許される範囲を逸脱していると批判した。
(不買運動を組織 ジャーナリスト アバディ氏)
「政府は5年前の時に風刺画を止めさせるべきでした。
 しかし今やフランスの大統領が風刺画の再掲載を許し
 それを“表現の自由”とみなしている。
 私はこれを“表現の自由”ではなくむしろ無礼だと思います。」
一方 フランスの教員たちは
テロに委縮するのではなく結束して
「表現の自由」を生徒たちに教えていくべきだと声をあげている。
(中学校委の教員)
「深く悲しんでいます。
 “表現の自由”は常に守られるべきものです。」
フランスにとって「表現の自由」が譲れない理由。
それはフランスの歴史に由来する。
王制とともに強大な権力をふるってきたカトリック教会。
革命などを通じこうした権力を打倒することで
フランスの「表現の自由」は確立されてきた。
聖職者と貴族が平民を苦しめていることを表した18世紀後半の風刺画。
フランスでは宗教を含めすべての権力が批判の対象となってきたのである。
長い歴史の中で獲得した「表現の自由」の権利。
フランスでは歴史や道徳の授業で教えることが義務付けられている。
パリの公立中学校の教員 エリオさん(49)。
事件後 初めて登校してきた生徒たちにあらためて教えたのは
「表現の自由」をめぐる基本的な考え方である。
(エリオさんの授業)
「“表現の自由”について考えましょう。
 フランスでは“すべての宗教の尊重”と“宗教を批判する自由”が対になっている。」
宗教すらも批判の対象として認める「表現の自由」。
それを補強するのが
フランス独特の政教分離の原則“ライシテ”の考え方である。
ライシテとは
・国家はいかなる宗教にも中立
・個人はいかなる宗教も信仰する自由を持つ
という原則である。
個人は宗教を否定することも許されていて
例え神であれ批判する権利がある一方で
国家はそうした個人の権利に介入すべきではないと考えられている。
マクロン大統領は事件後
「ライシテの原則を堅持する」と強調した。
(フランス マクロン大統領)
「パティさんが生徒たちに教えた自由をこれからも守り
 “ライシテ=政教分離”を貫く。」
エリオさんも授業の中でライシテの考え方を強調した。
(エリオさんの授業)
「ライシテの原則のもとでは
 宗教を批判することは“表現の自由”の一部です。
 批判された側は異なる宗教や意見を尊重するべきです。」
一方でフランス国内には
教会との闘いの歴史を共有せずイスラム教を信仰する人た阿地も多くいる。
そうしたことに配慮し
預言者の姿を描いた風刺画を生徒には一切見せていない。
「表現の自由」のもとであっても人を傷つけることがあってはならないと考えるためである。
(エリオさん)
「“表現の自由”で何が許されるのか?
 意見や信仰を批判することはいいが
 それを持つ人を批判することはできません。
 この2つの違いが分かりますか?
 人は個人として守られていて
 侮辱してはいけません。」
生徒たちには
「表現の自由」を大切にしつつも
価値観の異なる人たちと共存する道を考え続けてほしいと願っている。
(中学校教員 エリオさん)
「意見が対立していても穏やかに意見を交わし話し合うことができます。
 そうすることで最も良い結論を導き出せるはずなのです。」




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