日暮しの種 

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中国の前に二つの道は無し

2016-07-31 08:45:00 | 編集手帳

7月30日 編集手帳

 

 日本の中学生は、
1年生で『少年の日の思い出』(ヘルマン・ヘッ セ)、
2年生で『走れメロス』(太宰治)に触れる。
国語教科書を発行する5社全てが採用している。

3年生は近代中国の文豪魯迅の『故郷』を読む。
荒廃した
郷里に失望する主人公だが、
再会を約束する子供らの言葉に未来を思う。
希望を道に例え、
〈もともと地上には道はない。
 歩く人が多くなれば、
 それが道になるのだ〉という結びに励まされる生徒も多かろう。

国際法が出来上がるさまも、
道に例えられる。
法律を作る「国会」のない世界で国々の歩みが積み重なり、
やがて、
そこを通ることが正しいと誰もが確信する。
警察もなく、
互いに約束を守ることが生命線である。

南シナ海問題をめぐる仲裁裁判の判決を、
中国は紙切れと呼んで無視している。
「裁判は拘束力を有する」と記した条約に署名したことを忘れたのだろうか。
紛争を「紙切れ」で解決することを目指して国際社会は歩いてきた。

中国の前に二つの道があるわけではない。
各国と肩を並べ、
法が通じる道を踏み固めながら進むか、
前近代の荒野にひとり迷い込むかである。



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男よ、聴くがいい

2016-07-31 07:15:00 | 編集手帳

7月27日 編集手帳

 

 思い出す五行歌がある。
〈百メートル
 九秒台
 一歩(いっぽ)
 三十分
 どちらが凄(すご)い〉
(斉藤淳一、市井社『五行歌秀歌集2』)

1歩を30分かけて歩く人が作者自身かどうかは分からない。
身体の障害であれ、
知的な障害であれ、
健常者には何でもない作業一つにも神経を張りつめ、
全身全霊をこめて取り組む姿が人々の胸を打つのは確かである。

以前、
知的障害をもつお嬢さんが成人式を迎え、
その感慨を語る父親の投書を本紙で読んだ。
言葉は話せず、
泣き声だけを発するという。
「倍の四十年ほどの重さがある歳月を生きてきた娘は、
 親の私たちの誇りであ る」と。
男よ、
聴くがいい。
誇りである、
と。

「障害者なんて、
 いなくなればいいと思った」。
逮捕された26歳はそう供述しているという。
ふざけるな、
ふざ けるな…と、
幾度も同じ言葉を胸につぶやきながら、
この稿を書いている。

生まれてきた長男の両足に障害があると分かったとき、
歌人の島田修二は詠んだ。
〈誰よりも永生きをせん病める子に語らねばならぬこと多く持てば〉。
奪われた命の一つひとつが、
肉親の流す涙で磨かれた宝石であったろう。


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