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花は咲く

2016-07-30 08:15:00 | 編集手帳

7月26日 編集手帳

 

 プロとアマはどう違うのだろう。
英文学者にして駄洒落(だじゃれ)の名手、
小田島雄(おだしまゆう)志(し)さんの説は味がある。
〈その道に苦労する人が玄人、
 その道を知ろうとする人を素人という〉

一昨日のスポーツ報知でプロ野球・広島の黒田博樹投手(41)が語っていた。
「投げることが楽しいと思ったことは一度もない」と。
日米通算200勝を成し遂げての感懐である。
玄人は苦労人(くろうと)、
小田島説の通りだろう。

この人もそうである。
黒田投手快挙の翌日、
ヤクルトの登録名・由規(よしのり)(佐 藤由規)投手(26)が右肩の手術から復帰し、
5年ぶりの白星を挙げた。

仙台市出身で、
NHKの震災復興支援ソング『花は咲く』の歌唱メンバーとしてご記憶の方もあろう。
ほぼ同じ歳月を、
被災地と苦しみを分かち合うように過ごした。
6年前には日本人投手として当時最速の161キロを投げた剛腕が、
140キロ台の球に全霊をこめての勝利である。

窪田空穂(うつぼ)の歌がある。
〈われ生かす信(しん)はわれには唯一(ゆいつ)なり評する者のあらば我のみ〉。
自分を生かしている信念は一つである。
審判を下すのは誰でもない、
自分自身だ、
と。
流した涙を養分に、
花は咲く。


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イチローを育てたバッターボックス

2016-07-30 07:15:00 | 報道/ニュース

7月9日 おはよう日本


かつてイチロー選手が通っていたバッティングセンター。
野球好きがあこがれる場所である。
イチロー選手が生まれ育った愛知県豊山町。
このバッティングセンターには
1番から9番まで
それぞれ球の速さが違うバッターボックスが9つ並んでいる。
中でも人気なのが
イチロー選手が小学3年生から中学3年生まで
毎日のようにバットを振っていたという8番。
その球速は120キロ。
このバッティングセンターで最も早い球速である。
「イチローのすごさがわかりました。」
「1回は行ってみたいと思ってたんで。」
わざわざ台湾から来たという男性は
どうしても8番に立ちたかったという。
憧れのイチロー選手と同じ場所でバットを振る。
「イチローさんは神様のような存在。」
8番バッターボックスが育てたのはイチロー選手だけではない。
谷口克之さん(44)。
中古車販売店で働いている。
谷口さんは週末の仕事帰りにはほぼ欠かさず8番に直行する。
通い始めたのは小学5年生のとき。
野球チームの監督をしていた父親に連れられてきた。
一番速い球が打てるようにと
選んだのが8番だった。
6年前に亡くなった父親にはいつも厳しく言われていたことがあった。
(谷口克之さん)
「1球目から入ったところから
 父親はフルスイングで行けと。
 とにかく厳しくフルスイングと
 すべての球を振っていけと教えられました。」
大学を卒業するまで野球を続けた後
別の道を歩み出した谷口さん。
会社勤めになってからも常に持ち続けてきたのが
“フルスイングの精神”だった。
谷口さんは現在
5店舗の中古車販売店を統括する副社長を務めている。
大学生のときに洗車のアルバイトから始めた。
(谷口克之さん)
「3時間で20代くらいはバカみたいにワックスかけてましたね。」
何事にも全力で取り組む姿勢が評価され
28歳のときには会社の役員に抜擢された。
(谷口克之さん)
「僕は特にいま仕入れをやっているんですけど
 自分が少し楽をした
 少し抜いた
 それは自分にしかわからないですけど
 そういうことをするとやっぱり長期在庫になったり
 初めから売れない車だったり
 自分に跳ね返ってくる。
 全力で手を抜かずにすべてのことをやりなさいというのは
 いま自分の仕事をやっていく上ではひとつの教訓になっていると思います。」
谷口さんはこの日
中学2年生の息子を連れてバッティングセンターを訪れた。
向かったのは自分の父親から教わった8番バッターボックスである。
アドバイスはもちろん
「頑張ってフルスイングで。」
(谷口克之さん)
「僕も自分の父親に野球を通じて教えてもらったことを
 また自分の子どもに伝えられるのは
 すごく本当に父親に感謝してます。」
イチロー選手のように
常に前へ。
全力で生きることを教えてくれた8番バッターボックスである。



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