かづさふるさと紀行

ふるさと「加津佐」の今をあなたに。

二宮金次郎像と小学校

2010年09月13日 | 日記
今日は9月13日 月曜日 天候は曇り。
今、加津佐東小学校にある二宮金次郎像前に来ています。小学校に通学していた頃の遠い
記憶をたどっていくと、古い木造校舎と二宮金次郎さん像に行きつくんですよね。その
当時は「加小」と呼んでいました。この金次郎像も、木造講堂の前にありました。この講堂も
今から見たら、文化財に認定されるぐらい古いものでした。グラウンドを取り囲むようにし
て建っていた木造校舎も、今は見ることができません。昭和51年に「加小」と「宮原小」が統
合して「加津佐東小」となり、現在に至っています。学校生活も、あの頃は「ガキ大将」がいて
みんなをまとめていたような記憶があります。ただ、陰湿ないじめはなかったような気がす
るのですが…。今、振り返ってみると、当時のことが、あぶり絵のように鮮明に浮かび上が
ってくるから不思議です。
 金次郎さんについて、学校ではどんな風に教えられているのか、尋ねてみました。
「今は何も教えていません。ただ、20年前、自分が新任の教師だった頃は、道徳の時間に
取り上げていました」と40代の教頭先生の話でした。
 いろんな理由があるにせよ、すっかり忘れられた金次郎さん。でも、親の「孝」や「勤勉さ
」は、今でも立派に通用すると思うのですが…。左手に持って読んでいる本も、中国の古典
の「論語」や「大学」だったとか。それらの本から「徳」や「敬」を身につけた、金次郎さん。その
ことこそ、わたし達大人が学ぶことではなかったかなと思うのですが・・・・。 
 遠くから、職員室の懐かしい「鐘の音」が聞こえてきました。

小さな小さな源泉

2010年09月12日 | 日記
今日は9月12日 日曜日  天気は曇り。
昨日、少し足を伸ばして雲仙市の小浜町に行ってきました。この町は日本一長い足湯が
あることから、最近テレビでも中継がよくなされています。なんと、1日1000人近
くの人が訪れるとか。広場では、「フラっとハワイアンフェスティバル」と題したイベン
トが開催されています。会場周辺では、出演するフラガールズの皆さんの姿も多く見か
けます。
 湯の街を少し散策することにしました。やってきたのは、炭酸泉が自噴している小さな
源泉。周りには、硫黄の匂いが立ち込めています。なんか、小さな露天風呂みたいです。
 ブクブクと自然に湧出する泉温は、説明版によると25~27℃だそうです。かっては、
この源泉を沸かした銭湯もあったそうです。小浜温泉の殆どが食塩泉の中にあって、炭酸
温泉は珍しいですよ。せっかくですから「5本の指さん」に入浴してもらいました。普通の
温泉に比べると直接の入浴は無理かもわかりませんが、とても効能がありそうな気がしま
す。夏限定の「冷泉館」でもあればと勝手に空想するのですが・・・。
 それにしても、こんな近くの場所で、小さな源泉に出会えるのは感動ものですよ。
冷たいラムネでも飲みながら、古き良き時代の「昭和の話」をするには、いい場所かも知れ
ませんね。

釣り針モニュメントと夕日

2010年09月11日 | 日記
今日は、9月11日 土曜日 天気は快晴。
寝苦しい夜からは、少し解放されたような気がします。今朝は少し早めに目が覚めたので
朝のウォーキングに出かけました。途中の田んぼでは、すでに、稲が刈り取られ、天日干し
されていました。まだ、刈り取りには少し早いような気もするのですが・・・。
 さて、昨日のブログで、鯛釣り大会のことを書きました。そのとき、釣り針型のモニュメ
ントが頭にふっと浮かびました。
 そこで昨夕行ってきましたよ。このモニュメントは、野田浜と岩戸山が一望に見える加津
佐道路公園に、平成5年に設置されたものです。今では、ドライバーの皆さんが、車を止め
休憩されているのが、よく見られます。加津佐への玄関口といった方が、ふさわしいかもし
れません。なんといっても、岩戸山が見えると、ふるさとに帰ってきたという感じがします
からね。ただ、残念なことに、目を引くようなデザインではないので、そこで、記念写真
とまではいかないようですが・・・。釣り針モニュメントは「海の町・加津佐」を象徴して
いるようです。でも、ここは何か寄り道をしたくなるような場所なんですね。
 そんな訳で、今日は「夕日スポット」として、道路公園からの夕日光景をお届けします。


空の青さで引き立つ岩戸山

2010年09月10日 | 日記
今日は、9月10日 金曜日 天気は快晴。
久しぶりに本当の“空の青さ”を見たような気がします。晴れ渡った秋空の下…まるで運動
会の校長先生のあいさつに出てきそうですね。
 今時刻は、午前10時。前浜の波止場から岩戸山を見ています。満潮なので、係留されて
いる漁船も、ここから、よく見ることができます。
 いつも見慣れている岩戸山とは言え、空の蒼、海の蒼、そして山の緑、これだけ条件が揃
うと「イケメン男島」に見えるから不思議です。
 セミの鳴き声が遠のくとともに、何となく秋の足音も感じるようになりました。加津佐の
秋の海と言えば釣りでしょう。10月には恒例のタイ釣り大会も開催されると聞いています。
心待ちにしていらっしゃる釣りファンの方も多いのではないでしょうか。まもなく募集が開
始されると思いますが、早めの申し込みがいいですよ。
 さて、この岩戸山、どこから眺めてもいいですよね。
山のことをおさらいしてみましょうか。まず、この山は155万年前に海底火山によってで
きたんですよね。それから、ここに自生する植物が貴重なことから、国の天然記念物に指定
されています。また、キリスト教が盛んな頃、穴観音に隠れていた仏教徒たちをキリシタン
が焼き討ち襲撃したという史実があります。このようなことから、丸ごと「岩戸山歴史博物館」
と呼んでもいいのではないでしょうか。
岩戸山さ~ん、これからも四季折々の表情を見せてくださいね。 


愛嬌のある仁王像

2010年09月09日 | 日記
今日は、9月9日 木曜日 天候は晴れ。
棚田を撮り始めてから、稲穂の生育が気になります。案山子と田んぼの風景をと思って、
探すのですが、いっこうに見つかりません。案山子さんどこにいるの~。
気を取り直して着いたところが、山口の玉泉寺の前。彼岸の入りの前だから、お寺という
わけではないのですが、山門の両側に、愛嬌のある仁王像が立っています。普通寺院で見
られるのは仁王立ちといわれるような、怒りの表情をした像をよく見るのですが、そんな
気配すらありません。お寺のご住職にお尋ねしたところ、南方系の影響がある像ではない
でしょうかとのこと。それにしても、不思議な仁王像ですネ。仁王像には、口を大きく開
いた像を“阿形”そして、口をへの字に結んだ像を“ん形”というとか。また、改めて訪
れたいと思います。
 さて、山門の前には、九州自然歩道の標識が゜立っています。この九州自然歩道が、全
面開通したのが、昭和56年5月。加津佐を通るルートは、口之津港から三軒屋、蓮岳、玉泉
寺山門前、奥山堤を通り諏訪の池までの約20キロメートルのコースとなっています。
 のどかな里山風景を楽しみながらのハイキングは、今からが絶好の季節かも知れない。
 



滝の水の音もまた涼し

2010年09月08日 | 日記
今日は、9月8日 水曜日 曇り時々晴れ。
9月に入っても、予測不能な天気が続きます。空を見上げると、青い空と黒い雨雲が混在して
います。態度をはっきりしろよと言いたくなります。
 さて、今朝新聞を広げると「滝の茶屋」のお店が紹介されていました。今日も暑そうな予感が
したので、そこのお店の近くにある「滝」を見に行くことにしました。
 今、時刻は午前10時。南島原市有家町の「鮎帰りの滝」に来ています。滝つぼの前に来ると
さすがに、冷気が体中を包み込むような気がします。落下する滝の水の音も、耳には心地よ
く感じます。滝つぼに差し込む太陽の光が一層、水の色を際立たせています。
 8月は、あまりの暑さて昼も夜も、クーラーの効いた部屋で過ごす日が多かったのですが、
ここでは「自然の部屋」のクーラーという感じです。体の中の細胞が、ものすごく喜んでくれ
ているような感じさえします。自然が与えてくれている「贅沢な空間」でしょう。このように
四季折々の自然の風情を楽しむことが、人生の妙薬かも知れませんね。
 また、この辺りは、「梨農園」が多く点在しています。もぎたての梨が食べれるのも、もう
間近かです。考えるだけでも美味しそうでしょう。ワクワクしますよね。
 さて、帰路は、一面に広がる棚田風景を横に見ながら、まさに「棚田ドライブ」を楽しんで
帰って来ました。今日は、これで良しと。 


久留米で食の巡礼を楽しむ

2010年09月07日 | 日記
今日は、9月7日 火曜日 曇り。
今日は、台風の影響で自宅でお留守番。ということで、加津佐の今をお届けできません。
二日間の御無沙汰でした。実は久留米に行っていたんです。「何しに」と来るでしょう。
お教えいたしましょう。実は、土曜日の夜に情報誌を読んでいたところ、「日本一」の文字が
目に飛び込んできました。「久留米焼き鳥フェスタ」の開催記事。その次のキャッチコピーが
いいですよね。「食の巡礼2010」と。それも、巡礼にはちゃんと振り仮名がふってありました
よ。「たび」と。この丁寧さ、いいですよね。
 途中は省略して、さっそく会場へと足を運びます。着いたところは、繁華街のど真ん中。
辺りは、もうもうとした煙と焼き鳥の匂いが充満。大型テントには、焼き鳥を食する人の山
。「メタボ」への入り口みたいな感じですよ。もう、ここまで来たら止められない。さっそく
最後尾のプラカードの前に並び、じっと順番を待つ。汗が背中を伝い歩く感じの中、親友か
らあれだけ止められていた「豚バラ」が目の前に。後は省略といたしましょう。
 十分に煙と匂いも頂きました。もちろん「焼き鳥も」・・・。
 せっかくの来たのだからと思いアーケード街を通って、駅まで歩くことにしました。
なんと、なんと、空き店舗の多いのには、ビックリ仰天。シャッターが下りた店舗には、
テナント募集の文字ばかりが目につきます。不況の現実がこれほど、厳しいとは。・・・。
 駅前では、B級グルメグランプリに輝いたお店も出店。ズラリと並んだ人の列に唖然とす
るばかり。食べるイベントはかくもありなんという感じでした。当然、私も1時間待ちで
しっかりと食べましたよ。








南蛮船も見た風景ー口之津港

2010年09月04日 | 日記
今日は、9月5日 日曜日 天候は快晴。
猛暑は続くよ、どこまでもみたいな感じですね。朝から、汗と一緒に疲れがどっと噴き出して
来るようです。
 今時刻は、午前9時半。口之津イルカウォッチングの乗船場に来ています。観光バス
からは、ワッペンを付けた観光客が、乗船場に集まってきています。それも、老若男女合
わせて40人ほどでしょうか。もう、秋の観光ツアーが始まっているのかも知れませんね。
 隣には、、船員を養成するための「国立海上技術専門学校」があります。海上には、練習船
やカッターが浮かんでいます。岬には、赤い南蛮大橋がかかり、突端には、口之津歴史民俗
資料館を見ることができます。
 この天然の良港口之津港に、ポルトガル船が入港したのが、永禄10年(1567)のことでした。
 それ以来貿易港として栄え、明治時代には、石炭の積み出し港としても繁栄を重ね、現在
に至っています。
 口之津町史「郷土の歩み」によると、ポルトガル船入港の翌年1568年には、口之津の人口
1200人、全員キリシタンとなると書かれています。キリスト教の布教が盛んにおこなわ
れていたことを物語っています。
 今は、その当時の貿易港の面影は見ることはできませんが、史実として、西洋文化の窓口
であったことが、脈々として伝えられています。
 今、港には、口之津と天草を結ぶフェリーが就航し、イルカウォッチングに向かう観光船
が湾内を行き来しています。
 

青いみかんと運動会

2010年09月03日 | 日記
今日は、9月3日 金曜日  天候は快晴。
暑い、暑い。おまけに暑い、もうひとつおまけに暑い。9月の炎暑ですかね。
今、山口地区のミカン畑に来ています。久しぶりにみかんの木をみるような気がします。
かって、加津佐も、ミカン栽培が盛んに行われていた時期がありました。それこそ山の斜面
はもちろん、平地でさえ、みかん畑を見ることができたものでした。今では、みかんの木さ
えも、あまり見かけなくなりました。
 秋の運動会の頃には、昼の弁当時間には、まだ青いみかんが必ずあったように思います。
まだ甘味はなく、酸っぱかったのが、記憶にあります。その頃は、今みたいに果物が多く
あるような時代ではなかったですからね。ただ、家族みんなが輪になり、テントの中で
重箱に入った母親が作った弁当を食べるのが楽しみでしたから。その当時は、運動会も児童
生徒の数が多く、それはにぎやかなものでした。加津佐でも、今月26日は、4小学校一斉
に運動会が開催されることになっています。
 まだ、木になっている青いみかんをみると、各地区のテントから、多くの保護者が身を乗
り出して、わが子を応援している姿が、セピア色の映像として、目に浮かんできます。   


源泉と至福の温泉

2010年09月02日 | 日記
今日は、9月2日 木曜日 天候は晴れ。
9月に入っても、いっこうに残暑が遠ざかりそうにありません。というわけで、ちょっと
涼しい場所に移動することになりました。
 今、時刻は、午前11時。雲仙の小地獄館前に来ています。硫黄の匂いが鼻をつき、温泉
に来たという感じがします。ここの泉質は、硫化水素泉で、白濁した濁り湯です。
 源泉風景を写真に収めようと思ったのですが、立ち入り禁止の表示札。
それならば、登山道からの撮影をと思って、竹藪をかき分けていたところ、近くの旅館主
らしき人が、温泉卵を入れるような小さな竹かごを手に、来られるのが見えました。
そこで、写真撮影の依頼をし、旅館主監視の下で、数枚の写真を撮ることができました。
 その源泉から、直接下の小地獄館に温泉が引き込まれています。まさに大地の恵みの
天然温泉です。湯船につかっていると、疲れが乳白色の湯に吸い込まれていくような気が
します。窓からは、涼しい高原の風が吹き、火照った顔に、とても心地よいです。
 ぬるめの湯につかっていると、ついウトウトと夢見心地になってしまいます。
温泉の至福のひとときとは、このことを言うのでしょう。
 嘉永6年(西暦1853)には、吉田松陰も湯治に訪れたとか。子ども時代には、この地にあった
大正時代の、ひなびた共同浴場に来ていたことを想いだしていました。

加津佐の…誰もいない海.

2010年09月01日 | 日記
今日は、9月1日 水曜日 天候はうす曇り。
今年はやっと9月、それとも、もう9月。何ともすっきりしない9月になりました。
今、午前10時半、前浜海水浴場の桟敷前に来ています。砂浜には、誰ひとりいません。
さすがにこの光景を見るとひと夏の終わりを感じます。
名曲「誰もいない海」の歌詞の一節が浮かびますが、「もう秋」というには程遠い暑さです。
海も穏やかな表情を見せています。波の音だけが聴こえてきます。
誰もいない監視台が、いつもと変わらない海を眺めています。カンシダイさん、この夏
お疲れさまでした。水の事故がなかったのも、あなたのお陰かもわかりません。
 今まで、お届けしてきた加津佐の夏の海はひとまず、幕を下ろしたいと思います。
今日は、去りゆく加津佐の夏の海を、思い出と一緒に、楽しんでください。