かづさふるさと紀行

ふるさと「加津佐」の今をあなたに。

オランダ砲台跡に原城攻防を想う―南島原・重箱山

2015年02月05日 | 日記

夜が明けるのが早くなりました。日本建築の良さでしょうか、障子を通して、差し込む
朝の光が辺りを柔らかく包みます。その様子を、うっすらと、目を開けて、布団のぬく
もりを楽しんでいる私がいます。

いつもの通り、朝の光を浴びようと思い、玄関の戸を開けると、いつもの陽射しと違って
います。なんかおかしい。目にする風景が薄く灰色がかっています。部屋のパソコンを
開いて、大気汚染物質pm2.5の飛来情報を見ると、基準を越えた濃度の数値が示さ
れていました。

しばらく、様子を見ようと外出を控えていたのですが、図書の返却期日が迫っていた
ので、原城図書館へ向うことにしました。返却は、近くの図書館でも良かったのですが、
原城の攻防で、気になる場所を訪れたかったのです。

島原の乱(島原・天草一揆)における、古い攻防絵図をよく、目にするのですが、九州
各藩が陣取った場所(陣場跡)が、余りにも広範囲に及ぶため、その場所を特定する
には、現在の地形からは推測するしか方法はありません。

現在、陣場跡として、確定できる場所が「重箱山」と言われる鍋島勝茂公の陣場跡地
です。この地は、3万5千余人の部下が、農具で山を築きあげて作ったものと言われ、
あたかも、それが重箱を重ねたような形で、一段と高く築いた四角な人口の山という
ことで、この名前がついたと言われます。

ここを台場として、オランダ軍船から、5門の大砲を陸揚げして、原城めがけて砲撃
させた場所でもあるとか。何回か訪れたことはあるのですが、藪に覆われた場所に
なっていて、その全容を確認できませんでした。

数日前、ガイドの研修会のおり、原城ガイドの会員の方が藪を刈り払われたことを
報告されました。ということで、興味深々とした気持ちで、この場所にきました。
早速、その場所に立つと、何と目の前には、原城本丸跡がはっきり見えます。
冒頭の写真がそうです。

それでは、順を追って、写真で紹介してみます。

        

途中には、原城ガイドの会の会員さんによる、手づくりの説明版が設置されていま
した。この砲台跡から、原城本丸までの距離が、800mあるそうです。ところが着弾
距離が600~700メートルしかなく、本丸までは届かなかったとか。

         

重箱山の入り口にやって来ました。祝 世界遺産推薦決定と赤文字で書かれた
文字が寒風にはためいています。旧南有馬町文化財保護審議会による、案内板
も設置されていました。 

      

砲台跡から、原城本丸跡にやってきました。携帯電話の中継塔のすぐ下に、白い木の
ようなもの(世界遺産推薦決定のぼり)が見えます。この場所が、人工的に築かれた山
(築山)です。標高は、本丸よりかなり高いことがわかります。

「重箱山」は、幕府軍の目線で見れ、その当時の壮大な攻防絵巻を偲ぶことができます。
原城本丸跡から、足を伸ばしたい場所のひとつかもしれません。