あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

「私は貝になりたい」だなんて

2005-08-16 22:51:14 | 映画
昨日、60年目の8月15日(私にとって60年目という意味ではナイ)は、フォーラムやシンポジウムなどおもしろそうな企画がたくさん催されたようです。
私は仕事だったため、というか新聞の締め切り間際だったため、昼間は出歩くのを控えました。
15日を前後して、しかし何もせずに過ごすのは落ち着かないので、映画を見に行きました。

14日は岩波ホール(神保町)で、黒木和雄監督の「美しい夏キリシマ」。
15日は新文芸坐(池袋)で、フランキー堺主演の「私は貝になりたい」。

「美しい夏キリシマ」は、黒木監督の三部作と言われるうちの二つ目。
去年の8月15日、三部作の完結といわれる宮沢りえちゃん主演の「父と暮らせば」を見ました。私も被爆者の話を幾度か聞き、決して及ばないけれど何とか被爆体験の継承をしたいと思ってきた経験が、映画の登場人物への感情移入を助けたように思いました。

「美しい夏キリシマ」は、比べるものではないかもしれませんが「父と…」よりもよかったです。
主人公の少年の負い目が、最終的にはかつてはバカにしていた「竹やり」をその手に持たせました。最後のシーンは愚かで物悲しく、衝撃でした。
戦争に翻弄された、「弱い」人々の暮らしや心情が伝わる映画でした。


そして「私は貝になりたい」。
この映画は傑作です。
私は最後の場面だけ見たことはありましたが、通して見たのは初めてです。
もとは1958年に放送されたテレビドラマだったらしいです。しかも前半はVTR、後半は生放送だったらしい。このことは見た後で知ったのですが、ナマとはまったく感じなかったので驚きました。

私は今は亡きフランキー堺が大好きだったのですが、やはりここでもすばらしい演技でした。
見終わったときの感想は、「理不尽…」の一言につきます。悶々としてしまいました。

赤紙で召集された理髪店の主人(=フランキー堺)が捕虜を上官の命令で刺し殺そうになり(実際は直接は殺していない)、戦争終了後東京裁判にかけられる。そして最後死刑を宣告される、という物語。

東京裁判の不当性を告発するというにとどまりません。
このドラマの本質は、「美しい夏キリシマ」と同じように、戦争に踊らされた「弱い」人びとの姿です。
一市民の前に権力が横暴勝手に振る舞うとき、無防備な市民はたいてい無力です。
戦争とは、国対国の争いのように見えて、実は国対民衆の構図になっているのだと、痛感しました。
もちろん、権力の横暴勝手ぶりと民衆の無力さは、決して不動の関係ではありません。しかしかつてのその構図、そして今また民衆の無力化を図ろうとする昨今の動きは、実に理不尽です。

「私は貝になりたい」のもっとも有名な最後のセリフを、そのままのっけてしまいます。

=====

「ふさえ、賢一さようなら お父さんは二時間ほどしたら遠い遠いとこへ行ってしまいます
 もういちど逢いたい、もういちど暮らしたい…

 お父さんは生まれ変わっても人間にはなりたくありません、人間なんていやだ。
 もし生まれ変わっても牛か馬の方いい
 いや牛や馬ならまた人間にひどい目に遭わされる

 どうしても生まれ変わらなければならないのなら、いっそ深い海の底の貝にでも…

 そうだ貝がいい

 貝だったら深い海の底でへばりついていればいいからなんの心配もありません

 深い海の底だったら戦争もない、兵隊に取られることもない
 ふさえや賢一のことを心配することもない
 どうしても生まれ変わらなければならないなら、私は貝になりたい・・・・・」

きのこ雲の下

2005-08-16 21:59:39 | 日記
総選挙を目前に控え、小泉首相は公約に掲げていた8月15日の靖国神社参拝はやめたようです。ニュースで見た小泉さんは、ただただひたすら「状況を見て適切に判断した」と繰り返すばかりでしたが。

NHKでは13日、14日と2日連続して靖国神社特集をしていました。
13日はNHKスペシャル「靖国神社・占領下の知られざる攻防」という企画で、実に物足りない内容でがっかりしました。

靖国の論理は、単に戦争を美化するにとどまりません。
戦争によって、敵味方含め「人が人でない」姿で殺された、多くの人びとの死に方、あるいはその後の生き方には一切ふたをします。
その上で、戦争に命をかけることを美学とし、戦争で死ぬ者に栄誉を与える。そのことで、戦争で死ぬことを恐れない、逆に言えば戦争で死ぬことを恐れる人間をさげすむ効果を持ちます。
しかも靖国は死者を予め選別します。本人、あるいは遺族が望む望まざるにかかわらず、天皇家のために戦って死んだ者のみを神社に英霊として一方的にまつるのです。
これらを実現するための装置が、靖国神社です。

13日のNHKスペシャルは、これらのことに一切触れていませんでした。
遺族の感情、アジアの人びとの感情、…こうした個人対個人、あるいはアジア対日本という図式では、靖国問題の本質は解けません。

先日長崎で会ったフランスの青年は、被爆者の話を聞いて、「今までは原爆というときのこ雲のイメージしかなかったけど、その下で実際にどんな無残な状況であったかを知ることができた」と話していました。
靖国論理はきっと、特攻機で飛ぶ若い日本兵の姿しか思い浮かべていないのではないかと思います。


写真は、本文と全く関係ありません。
最近購入したサボテン二つ、職場デスクに置いて毎日眺めています。

60年目のヒロシマ・ナガサキへ

2005-08-15 02:51:54 | レポート
行ってきました。
8月4日~6日までヒロシマへ、7日~9日までナガサキへ。
主な目的は、原水爆禁止世界大会へ参加するためです。

外国人が多かった!
フランスからは160人が参加しました。
「フランス平和運動」という団体があり、160人全てがそこのメンバーではありませんが彼らのコーディネートの下に参加しました。

フランスは核保有国。
政府の方針は「核兵器は持つが使わない。持つことで多国間の力の均衡を図る効果がある」というもの。いわゆる「核抑止論」です。
フランスの青年と交流する場面がしばしばあったのですが、多くのフランス国民が「核抑止論」を信じていると言います。今回参加した多くの青年は、当然核兵器の完全な廃絶を目指していて、国内で核抑止論の虚構を明らかにして核廃絶世論を広げるために頑張っているそうです。

そして「フランス平和運動」は、戦争放棄を定める日本国憲法9条の理念をフランスはじめ世界に広げることをすすめようとしているそうです。
日本青年とフランス青年が長時間、しかも大人数で対話する分科会があったのですが、そこではしばしば「9条」の話が出ました。
日本とフランスの間で、9条というテーマでかみ合うことに感動しました。
9条を日本人として誇りに思う…なんてことはまったく思いませんが、9条を軸に平和運動をしてきた主に日本の多くの先輩方の功績かもしれません。
「9条」をスローガンとしてでなく、その理念を具体的に言葉にし、可能性を提案していきたいと、改めて思いました。


そして核兵器廃絶という、大きな目標。
今年は日本の被爆から60年。
被爆者にとって被爆70年はないと言われています。
とくに若い人に、被爆者の話(被爆体験の証言だけでなく彼らの生き方)を聞いてもらおうと、場を準備しました。
60年目にして初めて被爆体験を話す、という方のその気持ちとはいったいどんなものか、想像を絶します。
「聞いてくれてありがとう」という言葉が、胸に重く残りました。
こちらとしては「話してくださってありがとう」に尽きる、としか思わなかったけれど、被爆者の感謝の気持ちもしっかりと受け止めたいと思いました。

そしてナガサキ原爆被爆者で、ずっと核兵器廃絶の運動を引っ張ってきた山口仙二さんという方がいます。
この方の話を、今回は2回聞く機会を得ました。
この人の話は、胸を打つとともに、実に多くを学ばされます。小さな、腰の曲がったその姿から放たれるエネルギーをひしひしと感じました。
今回、山口さんの顔をじっと見ました。
顔、表情がなんとも言えずすさまじいというか、感動せずにはいられないというか。
私のつたない言葉集では表現しきれませんが、いろんな感情と力を感じました。


作成中の平和新聞(8月25日号)は、世界大会特集号(すでに15日付けでも大会について報じていますが)。
初のカラーです。どうなることか…。

原水爆禁止世界大会へ

2005-08-04 04:47:50 | 日記
明日、というよりあと2時間もしたら家を出て広島へ向かいます。
原水爆禁止世界大会へ参加するためです。

今年は被爆60年、節目の年として大規模な大会になります。
国内外からそうとうな数の人々が参加するようです。

すでに国際会議は2日から始まっていますが、明日からは本大会として広島、続いて長崎で大会が開催されます。
私は企画によっては運営に携わる身として、全般的には取材という仕事を負いながら参加します。

高校生のころからたびたび参加してきたこの原水爆禁止世界大会ですが、今年は特にわくわくしています。
海外から10カ国以上が参加するといった規模の問題、5月のNPTを経てからの核兵器廃絶運動の盛り上がりの上で迎える、被爆60年目の記念すべき大会という意味もあります。
しかし特筆したいのは、原水爆禁止世界大会は、単に核兵器廃絶運動の成果を持ち寄り、世間にアピールし、さらに決意を固める、といった意義だけではありません。
初めて被爆者の話を聞き、これから自分がどう生きていくべきか、特に若者がそうした体験、議論、模索をできる場であるというということです。

どんな大会にできるか、明日から参加・運営しながらも、「成功」に向け努めたいと思います。

あー眠い。
見直していないので読みにくいかもしれませぬ。