先日「斉白石」先生の作かもしれない篆刻印を紹介しました。その後様々な検証をし、追加で情報を入手し、諸先生の意見も頂戴したのです。
そこで、これまで書き綴ってきた「ひょっとするととんでもないお宝かも」しれないシリーズを終え、その「総括」を致したいと思います。本日はその1であります。
ワタシは、基本、だいぶ前から(笑)無欲で勝負事や一攫千金などには興味も縁もありません。また、とんでもない博物館クラスの歴史的な文物がそこらに転がっている、などといった夢のようなむしのいい期待は致しません。万馬券は滅多に出ないから万馬券、ほぼ100%当たることが無いから宝くじであります。きわめて冷静かつ常識的な検証をすすめてきたところであります。
さて、ちょっとおさらいです。ヤフオクで「斉白石」との謳い文句も、詳しい説明も無い古い箱入りの「自然石」仕立ての篆刻印を1万円ちょっとで落札したのです。手にした現物は①蘭径さんという実在した研究家さんの名前で「斉白石印章」の鑑定印がある(簡単に剝がせないよう、薄紙をしっかり糊付けしてある) ②丁寧な細工の桐箱と渋い布袋にくるまれた印であった ③刻字、側款ともに非常に美しく凄みがある ④斉先生の作風、印譜によく似ている、といった「本物感」があったのです。
これは、出品者は良心的な方で、この品を「贋作」と見て、あえて由来や作者の説明をしなかったか、素人の廃品処分業者か故買屋さんで、その中身に興味を持たなかったのいずれかでしょう。しかし、包みを開け、品物を手に取った瞬間、鳥肌が立つような感覚がありました。
斉先生(1864-1957) は、 中国のピカソとも言われ近代中国の美術・芸術ではもっとも著名な画家・篆刻の「巨匠」であります。2011年にはその絵画が54億円で落札されたのが知られています。今更、ウィキペディアのコピペを載せても仕方ないので略歴などは割愛しますが、日本では横山大観とか葛飾北斎みたいな人というイメージになりましょうか。
斉白石は50才過ぎてから、北京に移り住み「売印・売画」をして生計を立てて90歳過ぎまで創作していたそうです。問題の印は、白石74歳と彫られているので、現代の西暦の数え方だと1938年作となります。中国式は存じませんが。芸術家として最も脂ののった時期であったと想像できます。
印には本物と「鑑定」された紙片が共箱の底に張り付けられており、丸い自然石の背面には、後世に削って石質を調べて出来たと思しき傷が残されています。(本人か贋作者か、いずれにしても制作時にそんなことはしませんね)。鑑定されて本物と印が捺されているから本物だろう、と単純に信じるにはあまりにもその真正であった時の「お宝」の希少性・歴史的価値が高すぎるのです。
そこで、篆刻家さんや書道家さんに見てもらい、ネット上でも様々検索してきました。篆刻専門家の方、写真やグラフィックに通暁している方の協力を得て、途中経過ながら、まとめた写真資料を作成していただきました。
(Kisenさん Kumakoさん Pekepekeさんなど 各氏に感謝いたします)
この印の拓本は、ワタシが生まれて初めて採ったものであります。その後の追加調査で一部の文字が違っていますが、それはまた後日修正しようと思います。(例えば左下の側款で、趙之謙は正しくは、趙之琛(ちょうしちん))
また、側款には、印の所有者として「質兄(雅兄)」、趙之琛、白石、次閑(趙之琛の字名)と4人の名前が彫られているのも特徴的です。つまり、単純に人に印を売るために彫ったものとは一線を画していると推察いたします。
これをもとに、ネット上で類似品や印譜など、印の由来などを調べられるような情報を探したのであります。するといくつかヒットしました。
少なくとも、ワタシの印と側款が酷似したものの写真などがネット上に掲載されていました。もとより中国語を解しないので、それぞれの印の説明は漢字を拾って類推するしかありません。2枚の写真は同じ印だと思われます。下の写真のものは寿山高山(坑)石で「斉白石1936年作」と表記され、どうやら過去オークションにかけられて504,000RMB(中国元)で成約したといったことが書かれています。日本円にしたら約1千万円!。これとて大げさに誇大表示する贋作・いんちき王国中国なのであてにはなりませんが。
そこで「仮説」(これが大事)。最もオーソドックスに考えて、ネットで10百万円相当の本物が紹介されていたとしましょう。他に今のところ資料はなく、斉白石さんの印譜集もほんの一部しか手元にないので、真贋は分かりません。
しかし、ワタシが見るに1世紀近くに作られた印にしては、ピカピカしているし、側款も鮮明で奇麗すぎ、との印象が拭えません。勿論、大事に保管されていたからという説明になるかもしれませんが。次に印面も、変哲もない楕円で、彫自体が整いすぎていると見えるのです。斉先生は、片側のみから刀を入れる単入刀法を多用し(一つの線が片側は鋭く直線的になり、反対側は石の砕けるままぎざぎざになります)、字画の粗密を偏らせる章法を駆使して「 拙劣な枯れた作風 」で後世の芸術家篆刻家に影響を及ぼしたのです。そんな一級の芸術家さんが彫った印にしては、平板で躍動感や緊張感が感じられないのです。
枯淡の風合いを好み、紅花墨葉を画題にした農民出身の斉先生、晩年のその孤老然とした容姿さながら、質素にして厳しい精神性を醸し出すような人が作った印には見えないのであります。
以下、また後日に譲ることにいたします。
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