植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

ワタシらのお寺に四天王がやってきた 

2023年10月12日 | 雑感
今朝は8時に、お寺に集合でありました。檀家で慰安旅行に行くわけではありません(笑)。

ワタシのご先祖が代々眠っている菩提寺の山門に、「四天王」の木像が搬入されるのです。このお寺は千幾つかある「高野山真言宗」の末寺の一つであります。山門が完成したのは、2021年、これで、約20年にわたるお寺の「平成大復興事業」の一連の建設事業が終わりました。それ以前は、小さなあばら家のような庫裡に、お一人で住まわれていた先代の女性のご住職がいて、粗末で折り畳み机に長椅子という本堂しかなかったのです。聞けば先の太平洋戦争で、当地はB-29の爆撃にさらされ焼け野原になったそうです。お寺の本堂もその時焼失してしまったのだとか。その後、焼け残った小さな別堂とプレハブの幼稚園で間に合わせてきたのです。

先のご住職が他界されて派遣されたのが、高野山金剛峰寺の役員級の高僧でありました。その経緯は存じませんが、とにかく本山のナンバー幾つとかいう位の高いご住職がみえました。そして、さすがにやり手でした。それからというもの自分たち家族が住まう庫裡から始まり、本堂・別院・事務所まで次々に建立いたしました。その仕上げが山門であったのであります。ワタシの知っている限りでは、檀家からの寄付金も驚くような金額ではありませんでした。広く薄く集め、手持ちのお金(多分本山からの持参金)といくらかの銀行からの借り入れで資金を集めたのだろうと思います。

ともあれ、その山門の「楼門落慶開眼法要」を来月に控え、本日四天王の木像が搬入される運びとなったのであります。8時集合で、すでに大型の運搬車数台を含めて10台ほどの車が駐車し、20人以上の関係者(業者・仏師関係)が集まっておりました。こちらは住職ご一家に、世話人十数人であります。世話人になってまだ、半年の下っ端がこのワタシ、聞けば高齢化が進み世話人の半分近くが「認知症」になったので、まだ若手と思われている68歳のワタシにお鉢が回ってきたのです。

こんな機会は滅多にない、というよりほとんどの人は一生に一度も遭遇しないような幸運なことでありましょう。この寺が建立されたのは1185年とあります。その後何度か建て替えられてはいるでしょうが、山門付きで四天王が守るような立派なお寺であった可能性は極めて低いのです。どこのお寺にもあるような設備でもないし、もし一旦設置されたら数百年その姿を変えることも無いのですから、地元の人間にとっては歴史的な事と言っていいでしょう。

ましてや、ワタシは、その高野山から来られた住職から、新たに建設された山門の天井裏に格納された「棟木札」に、仏様の言葉やら建立に関わった関係者さんの名前などの文字を書くという「名誉な作業」を依頼されたのですから。

聞けば仏師の先生は京都で修業し、現在は滋賀県で木像を中心に制作活動をしているとのこと。息子さんと思しき方と別の名前の二人のお弟子さんとで制作した、と足の下の差し込み部分に墨書されていました。一体を彫るのに約1年を要するとか。粘土で原形を一度作ったら、それに合わせて実物大の模型を作り、さらに張り合わせて一体化させた木の塊を、木のみや小刀で彫っていくそうであります。一切機械は使わず、仕上げもサンドペーパーなどは不使用で、小刀一つで丹念に丸みを出していくのだと、仏師の先生がおっしゃっていました。

現物は、大体組み合わせた合計で300㎏くらいだそうです。台座・踏みつける「鬼」・本体・手首・頭などいくつかを別々に制作して、現地で組み立てていくのでした。作業はとにかく慎重に、決して像に衝撃がかからないよう、傷つかないように進みました。

まず踏まれる鬼を安置します。そしてその上に胴体部分をチェーンで吊り上げて載せて固定しました。

この方が仏師の先生。

だいたい午前中いっぱいでそれぞれの搬入が終了して、ワタシ達は解散。
この後は白い布で包み、外側をガラスで遮断して風雨に当てないようにするということでした。

ワタシは、今日2年ぶりにご住職のまじかでお話が出来ました。実は今の若住職はまだ正式には副住職扱いなのです。住職は棟木の書筆をワタシに依頼してまもなく倒れ、「認知症」を発症したのです。まだ80歳になったかどうかというところで、一気に症状が進んだとお聞きしました。能筆であるはずのご住職がワタシのような人間に代筆させたのは「手が震えて書けない」という理由でありました。
もう車いすに乗り、ほとんど話も出来ない状態になっていたのが本当に悲しかったのです。ワタシが車いすにつかまりおそばで「おめでとうございます。お天気で良かったですね」とお声掛けしたら、ありがとうのお言葉の次に4小さな声でワタシの名前を呼んでくださいました。ワタシの事・名前をまだ覚えていたのです!!

胸が詰まる思いでありました。なんとかお元気で過ごしてもらいたいものだと思います。
そして、四天王の設置が終わったら、世話人が若住職と相談しているのが、四天王の名前が解るようにプレーとかなんかを置いてくれ、という要望でした。若住職が、まだ僧職について日が浅く書に関しては、書道教室に行って練習しているのを聞いていました。お安い御用です、2、3日時間を貰ったら書いて進ぜましょう。書いた紙を何かの板に張り付けておけば当座は間に合います。

来月になって手が空いたら「木札」に四天王の名前を彫ってみようともおもいます。石ばかりの篆刻ですが、木に彫るのも練習です。それでいくらか功徳を積むことになればなおさら結構であります。

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