昔はすぐに順番が回ってきて、
「またオイラの番か!!」と驚いていたブログ当番。
しかし今では先生の人数も増え、当番はなかなか回ってこなくなった。
今回の当番もかなり久しぶりだ。
オイラにとって、ブログはメッセージだ。
ブログを読んでくれている松実の生徒、保護者さん、同僚、卒業生へのメッセージ。
それだけではない。このブログがネット空間に公開されている以上は、
大げさに言えば、世界中の人々へのメッセージだ。
今日はどんなメッセージを発信しよう。
ある日の放課後。
女子生徒2人(AさんとBさん)が教務室に入ってきた。
1人は談話コーナーの椅子に座り、もう1人はオイラの横に突っ立っている。
そんなことはよくある光景なので、そのまま放っておいたところ、
「横に立ってんのに気がつかないの?」
とツッコミを入れられた。
「気がついているに決まっているでしょうが。」とオイラが応えてから、
彼女たちとの会話が始まった。
「センセイ、暇だから話そうよ~。」と素直に誘ってくればイイものを、
「横に立ってんのに気がつかないの?」だから困ったもんだ。
彼女たちとの話はそこから1時間半位続いたが、その内容が面白かった。
教務室にいた他の先生方も、その話を聞いて思わず表情を緩めていた。
「面白い話」といっても、ただ単純に笑いが起こるだけの馬鹿話をしていたわけではない。
やはり教師にとっての「面白い話」とは、そこに生徒の成長ぶりや変容ぶりが、うかがい知れることができる話だ。
Bさんが言う。
「私は少し前まで不幸を作っていた。」
「悲劇のヒロインを演じていれば、松実の先生は優しくしてくれる。」
Bさんは更に続ける。
「自分の居場所が無い時や、さみしい時にわめき散らせば、
松実では誰かしら先生がかまってくれる。」
「その優しさに甘えていたら、卒業した後が怖いよね。こんな場所ここ以外ない。」
オイラはぶったまげた。
今、Bさんは、数ヶ月前の幼なかった自分を客観的に見ることが出来ている。
入学当初、確かに色々とあった。
泣いたり、すねたりしている姿を見てきた。
しかし、最近ではそんな姿をめっきり見せなくなり、顔つきがすごく落ち着いた。
オイラはある先生と「Bさんはすごく変わったね~。」と話題にしていたくらいだ。
オイラは、Bさんに尋ねてみた。
「なんで、悲劇のヒロインや不幸作りをやめたんだい?」
するとBさんは、
「私は今こんなに苦しんでいるんです。こんなに不幸なんです。って、ずっとノートに書き続けてた。」
「でも、書き続けたらどんどんノートの残りページ数が無くなっていって、しまいにはノートが終わったの。」
「それで、もういいいやって思った。ノートが終わった時が、不幸づくりを止めた時だった。」
何が彼女に「悲劇のヒロイン」や「不幸作り」をさせていたのかは分からない。
でも、彼女は抱えた苦しみや悲しみを上手く言葉では表現できずに、ただただひたすらノートに書いた。
しかし時がたった今、ほとんどの悲しみや苦しみを吐き出し終えたのか・・・。
ノートの終わりと同時に、彼女は強くなることができた。大げさに言えば生まれ変わった。
オイラは、その変容ぶりに感動した。
しかし素晴らしいのは、彼女の変容だけじゃない。
彼女がノートに苦しみや不幸を書き続けていた時期、担任が寄り添っていた。
時に突き放しながら、笑わせながら寄り添っていた。
彼女がノートに苦しみや不幸を書き続けていた時期、同じクラスのAさんが、彼女に寄り添っていた。
時にケンカをしながら寄り添っていた。
担任や友だちに「寄り添われていた時間」は、Bさんにとって、
赤ちゃんでいられる時だったのかもしれない。甘えたり、泣いたり、すねたり。
でも、赤ちゃんのままでい続けることをしなかった。
担任や友だちの愛情をしっかりと感じていた。もちろん家族の支えもあったのだろう。
そうです。素晴らしいのは、彼女の変容の影に、担任、友だち、家族の存在を感じられることだ。
彼女は、今、素直に自分を語ることができている。
彼女は、今、自分の気持ちを偽らずに笑うことが出来ている。
人間、それができれば幸せなんじゃないかな。
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