松実ブログ

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生きる

2009年02月13日 23時54分37秒 | Weblog

生きる理由は人それぞれだ。

命が生まれる。
それは自分の意思ではなく、親により誕生が義務付けられるもの。
人はこの世界に生まれさせられた瞬間から死ぬことが定められている。
それは言い換えると生きることを強要されているのかもしれない。

しかし、成長していく過程の中で、それぞれの命に意味があると悟り、自分なりの生きる意味を見つけていくのだと思う。


生まれた以上、ただこの世を去るときを待つのではなく、限られた時間の中で何を為すのかを想い秘めながら生きていきたいと思うし、そう思いながら生きて欲しい。

それが人によっては「夢」であり、「目標」として表現される場合もあるし、感覚的に持っているイメージかも知れない。

・私は将来~~になりたい。
・ ~~になったらこのように働いていきたい。
・ ~~に行きたいから。
・ ~~をしたいから。
・ ~~が欲しいから。
・ 大切な人達を守るため。
・ 誰か、何かのために。
・ 明日の朝陽を見たいから。

世界は広いし、時間はこれから過ごすには思ったよりも長い。
生きるための理由は本当に人それぞれだと思う。
一つ一つが尊重されるべき、大切なものであるとも思う。

だからどうせなら、生かされているのではなくて、自分から生きていると胸を張って堂々としていたいですね。

もちろん、私にも生きる理由があります。


自分が育ってきた場所は、一般的な家庭と比較して何かが足りなかった。
そこそこ不自由はしなかったし、今こうして生活できているのは家族のおかげだ。
でも確かに何かが足りなかった。
しかし、そんなことにはずっと気付かずに過ごしてきた。
なぜならば、周りにも同じような境遇で育ってきた人達がいたからであり、彼らも自分も、共に遊び過ごし、語り尽くし、共に励み、共に笑い、それぞれに抱えるものがありながらも毎日を生きていたからである。
それはそれで楽しかったし、充実していたと言える。
むしろそれが当たり前だと思っていた。


けれども、あるとき知ってしまった。
両親がいて、家族や兄弟姉妹がケンカすることはあってもいがみ合う事はなく仲良く過ごし、そして家族の中に笑顔が絶えなくて、温かさ、温もりを感じるような世界があることを。

すごく裕福な家庭というわけではない。
何か物質的にとても恵まれたものを持っているわけでもない。

それでも、温かみを感じる人達と空間が存在する事実、そしてそこで育った人がいることを。

長年生きてきて、初めて知った衝撃的な事実。
同時に初めて人の家庭を羨ましいと感じてしまったこの気持ち。
複雑であり、とても寂しくなった。


そんなことをある人に話したら、その人が自分に言った言葉がある。


寂しいと感じたならば、
自分で新しい単位を作り上げればいい。


きっと、自分が育った場所は十分すぎるくらい幸せだったのかも知れない。
それでも本当に自分が望みたかった幸せとは違ったものだったのだと思う。
確かに複雑だけれどもそれを恨んではいないし、感謝している部分もある。

自分はその人の言葉を聞いてからずっと考えていることがある。


自分が今まで持っていなかったのなら、
自分自身で自分が幸せだと感じる単位を、家庭を作り上げたい。

小さくても良い、裕福でなくても良い。
ただただそこに、笑顔と思いやりと温かさがあれば良い。
そしてその幸せを大切な人と、大切な家族と共有したい。


それが今の私が生きる理由の一つです。
もちろん、大人として、社会人として、そして教師として。
それぞれに持つ信念や理由は持っています。

けれども、一生をかけて「自分」という人間が生きていくための理由です。
十分すぎる理由ではないのかなと思う。

本当に生きる理由は様々。
この世界は辛すぎる場面も多く存在するけれど、見方を変えれば生きていくための理由は沢山見つかると思います。

 

もう既に見つかっている人も、まだ見つかっていない人も。

せっかく与えられた命、大切にして欲しいと思います。

そして一人一人の生きる理由を見つけて欲しいと切に願います。


 

 

 

たき